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数学ってどう考えてます?
今の数学は、答えさえ出れば良い、といったように感じます。私は、数学は論理学だと考えています。ネット上で教えるのもいいかもしれませんが、解答を安易に教えるのはどうかと思います。どこまで考え、また、どのように考えたかを配慮した上での“ヒント”や解答、解説が適切だと思います。 知っているからといって、答えを安易に教えるというのはどのように考えますか?これでは、PCを使ったほうが便利で人間は不必要になると思うのですが…。
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私も同感です。 問題は (1)文部省が勉強の学習方法を平等主義と思っているが、一律主義になっていること (2)数学がクイズみたいに、一問一答主義になっていること (3)受験勉強のためだけに、数学を勉強すれば、いいと勘違いをしている先生と生徒が多いこと (4)大学受験の得点方法が安易にできるマークシート方式であること (5)回答過程を評価しないこと が重なって、早く解くため、宿題を軽く済ましたために、GOOによく質問をあげる者がいると思います。 ですから、教える側がヒントしか与えない「勇気」を持ってほしいと思います。(^^ ちょっと、互いに不満は残るかも知れませんが、相手のことを考えると我慢が必要です。 「もう一歩」のところで迷っている、分からないと思われるときは「教えてあげる」ことが大切です。「もう一歩」は質問の文面で判断するしかありません。その文章でどこで躓いているかを教える側が考えるしかないと思います。 教える側もまた、勉強だと思います。(^^
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- kusokuzeshiki
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数学には論理学的な面もあるのですが、ちょっと違う側面について。現実世界の諸問題を数式でモデル化してもデータの不足や誤差の問題があったり、あるいは解析的(入試のように式変形でとくこと)にとけないことの方が多いです。したがって、安易に解が得られるような受験数学は基本的なとき方の訓練です。問題なのは訓練の時に、天下り的にパターンとして習得した気になっていると、基本的なとき方の特性を理解していないから、上記のような現実問題には無力になってしまうことです。 ただ、私は天下りでも最初はいいのではないかと思います。なんでそうなるのかわからないけれど、使っているうちにその意味がわかることもありますから。いちいち完全理解を目指していては、頭のいい人ならともかく凡人には時間がいくらあってもたりません。 実際数学の歴史をひもといても、証明が後からついてくることはあるようです。高度な数学者の世界ですらそうなのですから、一般人はその辺は臨機応変というかズボラでもいいのでは。
お礼
回答、ありがとうございます。 しかし、頭がいい、凡人のように分けるのは、どうかと思います。知識は後天的能力だと私は思います。努力が必要なんです。 確かに、基本的な解き方の訓練は、大切だと思います。ただ、解答をネット上で安易に教えてしまう事に対して、疑問を感じます。もっと、考える努力をしてもらいたいです。
数学は「脳の中」での学問。 指摘の通り「論理学」(定義食い違うかもしれないが)。 ネット上で教えるのは、大学レベルまでしょうが「同じ答え」を出すのにも「あなたが唯一用いた解法」が有り得るのが良い処。 また、『四色問題』をPCが解決!などというが、例え「正解」でも「数学」では無いと思う。 「エレガントな解答」こそ、「数学」のハズ。大数学者の逸話を読むと、エンピツ(当時あったのかな?)と紙だけで「大まかな設計図=基本的な全体像を論理的なモデル」として想定した後に、やっと「証明」という作業に入る。 そして、その作業も「時間がかかっても、電話帳サイズより、数行でQED」が理想でしょう。 P.S.広中教授が「フィールズ賞受賞」の論文が「Hironaka's Phone Book」と呼ばれる位のボリュームだった(自分は理解出来ないから、本での受売りです)がこのケースの「電話帳は、論理の積み重ねの結果」で決して、「総当り的解法」では無いと(思うしかない。読んで無いから。エレガントな電話帳ではと想像するだけ) 一時「文学科のPC設置台数が、数学科より多い」時期が実際にあった。 「文学」でのPC使用は「馬鹿な行為」で触れたくない! (特定単語の使用頻度、その他文体から、本人著作か偽作か判別によく使われた。 スタンダールや井原西鶴などに。そのデータ打ち込み作業を想像すると、何と言う無駄か?呆れ果てるのみ) 似て非なるも「数学科でのPC導入」も使用法によっては、「文学科と同等の愚挙」を犯しかねない。 もう「文部省自体とか日本人」のレベルの問題なのかもしれない、こういう愚かな思考パターン傾向は! その欠点が算数とかで見られるのが「幾何」の分野でしょう。空間の想像力欠如。 例:長方形Dがある。Dの頂点間に対照線を引く。その線の一方をlとした時、直線lを中心にDを360度回転させた時に、軌跡が描く立体Pを図示せよ。 これが大学院の口頭試験で、出来ない数学専攻学生が多かったという逸話(知ってたらゴメン)は「空間把握能力」の低下を確かに裏付けている。 オマケ「フィールズ賞受賞小平邦彦教授専攻「代数・幾何」。朝日新聞の記事です。「なかぐろ不要」は当然。日本の数学の得意な分野なのに… 以上、文系からの誤り多い解答(解法過程も点数無し)無駄な文章(=非エレガント)でした。 では~♪♪♪
お礼
回答、ありがとうございます。貴重な意見、嬉しく思います。 あなたの言う通り、最近の幾何学については、かなりの疑問を感じます。日本の教育は、かなりの高水準だったはずですが、最近はどーでしょう?これでは、義務教育の意味すら疑いたくなってしまいます。
- nika
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数学の試験対策はそれでいいんでしょう。 でも、多くの人たちの考え方を学ぶという点では、便利な世の中になったなと思います。 答えを安易に教えることは、問題ないと思います。 なぜなら、時間の節約になるからです。 もし、その人が数学的思考をより深めるとしたら、答えじたいあまり問題にしないと思うし、他人の思考を盗んだところで発展はないでしょう。 より深く思考することを求めるなら、答えを知りなぜそうなるかを考える、この積み重ねじゃないでしょうか。 数学者は、おそらくずっと先を考えているし、答えは誰も教えてくれません。そこからが、あなたのいう通りのような気がします。
お礼
回答、ありがとうございます。沢山の意見が聞けて、とても嬉しく思っています。 今回、私が言いたかったのは、自分で考えることをどのように思っているかということです。数学者こそ、自分の考えで正しいのかを証明するために、目先の問題に取り組んでいるような気がします。 確かに、試験対策というのは大切だと思います。が、対策勉強というのは近い将来では役に立つと思いますが、もっと先ではどうなんでしょうか。
お説の通りです。 数学とは、1+1が基本であり 全てです。 その上に公式があり、公式の成立要因や解を求めるプロセスが大切であり「解」そのものは必要がありません。 小生が学生時代の教師は「解」を求めるプロセスが理論的であれば「解」が間違っていても満点をくれました。 反面「解」が合っていてもプロセスが理論的でなければ点数はくれませんでした。 人生における「数学」には「解」は色々とあります、そのプロセスが大切だと思いますが・・・
お礼
回答、ありがとうございます。 私も、学生時代、過程を大切にする人に出会ったので、今の数学について周りの方がどのように考えているかと思い、今回の質問をしてみました。 同じような考えを、持っている方がいてうれしく思います。
お礼
回答、ありがとうございます。 私が言いたかったのは、まさに、これ!!!教える側にも責任があるし、教えてもらう側にも、それ相応の努力が必要だと思います。 貴重な意見、ありがとうございました。