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早稲田大学校歌について

やがても久遠の 理想の影は あまねく天下に 輝き布かん 早稲田大学校歌のこの部分にいつも疑問を感じています。 「やがても」は「やがて」という意味なのか、なぜ「も」がついているのか。 「影」がどうして「輝き」になるのか。 大学のホームページを見ましたが、歌詞の説明が載っていないので、疑問は解けません。 「久遠の理想は今は影であるけれど、やがては天下にあまねく輝きわたるようにしようではないか。」という意味なのかなと思いますが、でも、なんだか違和感が拭えません。 どなたかおしえてください。

みんなの回答

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.5

>その番組は見ました。100年前は著作権の概念自体が、皆無(あるいは限りなく皆無に近い状態)でしたので、別に不思議に思いませんでした。西洋文化を取り入れようと明治の先人たちが頑張っていたことを、現代人が「パクリ」と呼ぶのはいささか......... そうですね。そう考えましょう。僕自身、早稲田を中退したものの早稲田を母校と思っていますし、早慶戦もたまに見に行きます。都の西北、大好きです。今回、貴方の質問とは関係ないことを発言し、なおかつOBのかたがたの自尊心を傷つけて済みませんでした。しかし、私自身は皆様方の校歌に対する思いを知って却って嬉しく思ったことでした。 Nishikasai

noname#47512
質問者

お礼

私もよく「パクリ」を使います。響きが可愛いですから。 早稲田は卒業するより中退のほうが出世するそうですね。

  • ech08280
  • ベストアンサー率19% (11/56)
回答No.4

>なぜ「も」がついているのか 係助詞。 >「影」がどうして「輝き」になるのか 1. まずあなたは「は」によって●●が・は→主語を提示という考えを持っているように見受けられますがこれは誤りです。たとえば、 りんごは食べるよ。 と言ったとき、主語は私(省略)、目的語がりんごは、です。他との区別や主題の提示が「は」本来の意味です。 ためしに、ここでは目的語で考えてみましょう。 2. 「影」と「陰」「蔭」は違うものです。 後者は、物「陰」や(物にさえぎられて)光の当たらないところ、という意味ですが、 前者は元来、輝くもの(太陽や月など)の光を指す言葉でした。それが転じて、鏡・水に映る像や光によってできる影をあらわすようになっていくのです。校歌は一般に格調だかさを重視しますよね?なので影の原義をとります。 すると、 ほかでもなく永遠に追い求め続けなければならない、その高き理想の光を、輝きを、 広くこの天下に輝かせたいのだ というような意味ではないかと思います。 私は慶應経済の関係者(あいまいですね、特定されたくはないです)です。この点について2点申しますと、 1. 早稲田大学は私の知る限りいい人ばかりですし、なんの恨みもありません(むしろ都の西北に一種の愛を感じます)。 2. 国文学の専門家ではありません。これには大学受験で得た知識で回答しました。間違えがありましたら感情的にならずご指摘願います。

noname#47512
質問者

お礼

慶應義塾大学ご卒業の方までご回答くださいまして、誠にありがとうございます。ご回答者様のご意見に加え、私がいろいろ調べた結果、次のようではないかと思います。 中国において、「影」のもともとの意味は、単純な物理現象です。つまり、光が物体にあたり、物体の陰にできるシャドウです。そこから転じて、実体は見えないけれど、実体を感じさせる存在を「影」として表現するようになりました。中国語で映画のことを「電影」と言いますが、映画が発明された頃、白黒フィルムに光を当てて出来る影の動きがまるで本物のように思えたことでしょう。さて、「影」字が日本に伝播されると、「影」のほか、「光」の意味も持つようになります。この「光」の意味は、古来から少なくとも明治の頃までよく使われたようですが、今では「星影」「月影」といった表現に残っているだけです。

回答No.3

「やがても」の「も」は語句数調整と強調の意味があります。 「影」は苦労と受け取れます。「輝き」を出すための見えないところでの苦労です。 解釈はいくつあってもいいんです。早大を学舎とした者の誇りです。 早稲田で学んだ数多くの学問、人間関係を社会発展のために尽くしてほしいという願いなんです。 解釈はそれぞれの生きる道を元に決めればよいのです。

noname#47512
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。立派な愛校心に頭が下がります。寄付なども一生懸命なさって、母校の発展に貢献してください。 古典では「やがて(やがても)」は「すぐに」「さっそく」という意味に使われていて、現代語に比べて、時間的猶予が少ないようです。校歌の中の「やがても」は、古典的な意味なのでしょうか、それとも現代的な意味なのでしょうか。それが私の疑問です。現代的な意味だとしたら、理想の実現を先送りしているとか、客観的に見ているだけのような感じがしませんか。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.2

早稲田中退の者です。 中退しましたが、早稲田は好きです。校歌も大好きなのですが、最近NHKのテレビでメロディーはイギリスのどこかの伝統ある学校の校歌のパクリであることを知り、がくっと来ています。その校歌がテレビで流れたのですが、正にそっくりでした。残念だ・・・ 回答でなくて済みません。

noname#47512
質問者

お礼

その番組は見ました。100年前は著作権の概念自体が、皆無(あるいは限りなく皆無に近い状態)でしたので、別に不思議に思いませんでした。西洋文化を取り入れようと明治の先人たちが頑張っていたことを、現代人が「パクリ」と呼ぶのはいささか.........

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AB%A4%B2&kind=jn&mode=0&base=1&row=4 (2)や(6)の意味での影です。 「も」は強調を示す 係助詞かと思われます。

noname#47512
質問者

補足

ネットで調べてみましたら、「理想の影」という語句は、いろいろな学校の校歌の中に出てくるので、明治末期から大正にかけて、よく使われていたのでしょう。

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