以下の文章が返事です。この返事は、おそらくは、と言うか当然に、
共産党の公的な見解であろうし、別にプライベートな話でもなんでもないので、
勝手に公開しても多分お咎めなしだと思われますので、又、
私の質問だけ公表しておいて、その先方の答えを公表しないのでは
不公平だとも思われますので、この場をお借りして、「全文」を
掲載させて頂くことに致します。ご了承くださいませ。
あとは、ご自身でどうぞご判断下さいませ。 以上です。
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メール受け取りました。ご質問について、
私たちの考えをお知らせします。
(1)綱領では、「憲法改悪に反対し、憲法の平和的民主的諸条項の完
全実施を要求」すると明記しています。この立場から、22回党大会決
定では、「国会に憲法調査会が設置され、改憲勢力は、この場を利用し
て、憲法改悪にむけた策動を強めている。憲法問題は、21世紀の日本の
進路をめぐる、進歩と逆流のたたかいの重大な焦点となっている。 日
本共産党は、当面の日本の民主的改革において、憲法の進歩的条項はも
とより、その全条項をもっとも厳格に守るという立場をつらぬく。この
立場は、わが党が野党であっても、政権党になったとしても、同じであ
る。わが党がめざす民主連合政府は、政府として、憲法99条にもとづ
いて現行憲法を尊重し、擁護する立場にたつ政府である」と述べていま
す。
同時に、将来の問題については、「21世紀の日本の未来を、より大
きな視野で展望したときに、社会の発展にともなって、憲法も国民の総
意にもとづいて発展することは、当然のことである。天皇制も、国民主
権との矛盾をはらんだ存在として、永久不変の制度ではありえない」と
みています。ですから綱領でも、将来、民主主義がよりすすんだ段階で、
主権在民、人間はみな平等という立場から国民の総意で民主共和国に発
展するだろうという展望をのべています。しかし、これは、将来の展望
であって、当面の改革のプログラムには含めていません。天皇制につい
ても、いまわが党が求めているのは、憲法でさだめられた国政への不関
与(第4条)、国事行為の範囲の限定(第6・7条)などを、厳格に守
ることです。これは、綱領の立場をふまえたものです。
ご指摘の「人民共和国憲法草案」は、戦争が終わった翌年(1946
年)、日本で新しい憲法を作ろうというときに、当時の党が提案した文
書です。他の政党が国民主権の原則をうちだせなかったもとで、この草
案が国民主権を明確にうちだし、現在の憲法にとりいれられたという点
では、画期的なものでしたが、当時の条件のもとでの歴史的な文書であ
って、これを現在の方針文書として扱うことはしておりません。
(2)日本共産党にたいする旧ソ連からの干渉についていえば、195
0年には、ソ連と中国の党が協力して、武装闘争をおしつけようという
激しい干渉攻撃をくわえ、日本共産党を分裂させたのです。この干渉を
はねのけ、分裂を克服するたたかいのなかで、日本共産党は今日の綱領
路線を確立したのです。また、どんな大国やその党であれ、外国からの
干渉は許さない、どんな外国の運動や国づくりもお手本、モデルにせず、
日本にあったやり方で国づくりをすすめるという自主独立の立場を確立
したのです。ソ連は、1960年代にも、分派を育成したり、内通者に
秘密資金まで渡して日本共産党の指導部をのっとらせようと策動をくり
かえしましたが、日本共産党はこの干渉をもはねのけ、1979年には、
干渉がまちがいだったと当時のソ連の党指導部もいわざるをえませんで
した。
なお、さらに詳しくは、HPに、不破哲三議長の党創立80周年記念講
演がのっています。お読みいただければ幸いです。
(3)日本共産党は、日本国民の進歩的な伝統、たたかいのなかから生
まれた政党です。日本には、中世以来の農民一揆や明治維新前後の国民
の運動、さらには自由民権運動や1890年代からの社会主義運動など
進歩的なたたかいの伝統があります。日本資本主義の発展のもとでの労
働者階級の成長とたたかいの前進のなかで、そのたたかいの伝統をうけ
ついで日本共産党が創立されたのです。党創立(1922年7月)直後の1
1月、コミンテルン第4回大会で、党はコミンテルン日本支部・日本共
産党として正式に加盟しています。この事実を日本共産党は隠していま
せんし、10年前に公刊した党史(『日本共産党の70年』)にも明記して
います。
こうして生まれた日本共産党が、日本国民のおかれた現実に根ざし
て、平和と民主主義の旗をしっかりとかかげて活動し、戦後における平
和・民主主義日本への転換の先駆けの役割を果たしたことも知っていた
だきたいと思います。そのたたかいは、日本国憲法の諸条項に実をむす
んだと確信します。
なお、コミンテルンは、1943年6月に、それぞれの国の共産党は、
それぞれの国の運動や国づくりを自主的にすすめるべきだという立場か
ら解散しています。
(4)日本共産党は、社会は、その時々に必要とされる問題を解決しな
がら、階段を一段ずつのぼるように前進する、どの段階をのぼるときに
も選挙でしめされ国民多数の合意を尊重しながらすすんでいくという立
場にたっています。そして、いま、日本で求められる改革は、すぐ社会
主義にすすむのではなく、まず資本主義の枠内での民主的改革だと提案
しています。それは、アメリカへの従属をたちきり独立・中立の日本に
なる、大企業・大銀行の利益最優先から、国民の暮らしをまもる政治へ
転換する、という2つを主な柱とする改革です。経済では、大企業・大
銀行の横暴勝手なふるまいを法律の力でおさえルールある経済社会をつ
くることです。これは、大企業をつぶそうとか、いきなり国有化しよう
というのではありません。大企業が社会的な責任をきちんと果たすこと、
大企業がもつ経済力を国民の利益のために役立てようというものです。
こうした民主的改革をへてもなお、不況、恐慌、失業、貧富の格差や
南北問題、地球環境問題など、利潤第一主義の資本主義につきものの矛
盾はなくなりません。私たちは、日本でも今世紀中には資本主義をのり
こえた新しい社会、社会主義社会にすすむことが時代の要請となり、国
民的な議論になるだろうという展望をもっています。そして、日本で社
会主義を展望するにあたっては、ソ連覇権主義の横暴とたたかってきた
歴史をふまえ、次の点を重視しています。(1)ソ連のような国民抑圧型の
社会を許さないという立場にたっています。ソ連は、看板は「社会主義」
でしたが、実態は社会主義とはまったく無縁の社会、外国にたいしては
覇権主義、国内では専制主義、官僚主義の社会でした。(2)資本主義時代
にきずかれた価値ある成果をすべて受け継ぎ、発展させることです。と
くに自由と民主主義が全面的に花ひらく社会を展望しています。(3)利潤
第一主義そのものをのりこえ、国民の利益の増進が社会の経済活動の直
接の目的となる社会制度にすすむことです。
なお、マルクスやエンゲルス、レーニンはそれぞれに大きな業績を
残しましたが、時代の制約をまぬがれることはできません。ですから、
私たちは、「マルクス・レーニン主義」という個人の名前をつけたよび
方はせず、「科学的社会主義」とよんでいます。以上でお答えとします。
日本共産党中央委員会 質問回答係
補足
返事遅れて申し訳御座いません。それはすごいですね もし可能であればその送られてきた一部でも送っていただけないでしょうか