みづからに立ち帰る・世間との和解
《前史を終わらせる》問題を継ぎます。
1. 自己との和解そして世の中との和解 これが――さまざまなきっかけをとおして いかなるかたちにおいて起きるにせよ―― 個人にとっての《前史の終了 すなわち 後史への突入》だと考えられます。
2. では和解は どうすれば生まれるのか? いかにしてわが心におとづれるのか?
3. ひとつには どうもつらつら考えるに 《悪は存在しない》という命題に心から同意することと同時なのではないか?
4. 悪と呼ぶ行為ないし現象は実際に起きているが それは 善の損傷としてあるのであって 《悪》というイデアやモノが存在しているわけではないのだ。この認識と身における感性的な秩序のようなものが成り立つとき こころのわだかまりは解けて 《和解》が成る。こう考えました。
5. 人びとの中には 一生のあいだについぞこの和解を見ない場合もあるのだろうか?
6. 死を前にした心境において 和解の境地は得られるものだろうか? つまり人は遅くとも死の直前には 自己に立ち帰り世の中とも解け合い 結ぼれたしがらみは無くなっていると言えるだろうか?
7. 言いかえると人びとの中には 死んでも その無明のうちに過ごす前史が終わらないという場合もあるだろうか?
8. 死ぬまで 《悪》なる観念に悩まされつづける魂は 存在するだろうか?
お礼
あーすばやい回答ありがとうございます りんじんに聞こうと思ったんだけど、、、 が、ここで聞いてよかった、 とにかく感謝せねば、、、、 う、、、、縦失敗、、、、、