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ヒトとしてのアピール
最近の若者(高校生~20代くらい、オス)には、髪を立てたり染めたりしているヒトが見受けられますよね。 同じ世代としてはあまり理解できないのですが、もしかしたら彼らは現在の流行と言うものにマインドコントロールされたメスたちの興味を引き子孫を残そうとする動物の本能により、そういったことをやっているのですか。 たとえば、いつぞやのテレビでやっていたあごの辺の袋みたいなものを膨らましてメスにアピールする鳥みたいな感じです。 つまり、オスの本能か何かがそういったものを感じ取って、流行に乗るというアピールをメスに対して取っているのか、それとも別の観点から行っているのかということです。 これについて、本当のところはどうなのか知りたいです。 回答を待っています、よろしくお願いします。
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こんにちは。 若い男性が髪の毛を染めて女性の気を惹こうとするのは、これは本能行動をより有利に実現するための手段として獲得される「学習行動」に当たります。 動物の求愛行動といいますのは間違いなく本能行動です。ですが、我々高等動物といいますのは求愛行動を「より効率良く行なうための手段」を生後体験から学習することができます。そして、このような異性に自分の髪型を見せるといった「生殖行動を実現するための学習行動」といいますのは、果たして我々人間の社会では必要不可欠なほど重要なウェイトを占めています。 何故ならば、通常、我々動物にとって生殖行動を選択するための「性的刺激」といいますのは「性的に成熟した異性の身体的特徴」であるわけなのですが、我々人間の社会では性的に成熟した自分の身体的特徴を相手に見せて求愛行動を行なうというのは事実上不可能であるからです。従いまして、取り敢えず相手に見せることができるのは髪形や服装ということになります。そして、このようなものを利用するためには必ずや生後学習というものが必要になるわけでありまして、現在の人間の社会では、学習行動なしで生殖行動を実現するというのはまず極めて困難となっています。 このようなものは自分に与えられた生後環境に従って獲得されるものですから、当然のことながら学習される手段といいますのは時代や流行などによって様々に変化することになります。ですが、アピールする相手が必ずや異性でなければならないというのは種の存続を目的とする本能行動として生得的に定められたものでありますから、こればかりは全人類に共通であり、何時の時代においても変更されるということは絶対にありません。 このように、男性が髪の毛を染めて女性にアピールしようとするのは学習行動であり、本能行動をより有利に実現するために獲得される行動様式であります。女性がそれに対して反応を示すのは、同様に与えられた生後環境に従ってそのような反応規準が学習されておりからであり、その反応結果に基づいて接近行動や生殖行動が選択されるためには、果たして相手は必ずや男性でなければなりません。 「流行」といいますのは「画一的な学習行動」であります。そして、このようなものが獲得される背景には「メディア社会」の存在があることはどうしても否定できません。 本能行動の様式といいますのは生得的に定められたものですから、これだけでは環境の変化に対して柔軟に対応することができません。ですから、学習行動といいますのはそれを補佐するために生後環境における体験を元に獲得されるものです。 では、本来、学習行動というのは生後の「個人体験」に基づいて形成されるものなのですが、そこに「メディア」や「マニュアル」といったものが存在するならば、我々は自分がそれを実際に体験しなくとも生殖行動を有利にするため手段を簡単に学習することができるわけです。では、これがどういうことかと申しますと、誰でも真似ができるのだから、流行に乗らなければ間違いなく自分が不利になるということです。若いひとたちも必死ですよね。 ですが、学習行動といいますのは本能行動をより有利に実現するためのものです。ですから、これを逆にしますならば、学習行動とは何らかの欠点を補うためのものであるわけです。ならば、これがアピールに使われるということは、果たして男性は自分の本来の価値を自覚できておらず、女性は男性の本来の価値を評価していないということになります。そして、男女を問わず本来の価値観というものを持っていないのは、その価値を決定しているのが本人の体験ではなく流行であるからです。 では、何故このような現象が若い世代で顕著であるかというのは、ひとつにはその価値観において恋愛というものの優先順位が高いからではあるのですが、本質的には流行に乗るというのは比較的「単純な学習行動」であるということです。 最初に申し上げましたように、我々人間の社会では学習行動なしで生殖行動実現するというのは極めて困難です。では、学習行動といいますのは本能行動を補佐するためのものであり、これによって実現される我々人間の極めて複雑な生殖行動を「恋愛」といいます。 このように、動物の行動といいますのは本能行動に対する「学習行動の比率」が高ければ高いほど複雑になるわけですが、この複雑さが即ちその個体の「知性の指標」となります。同様に、学習行動における「計画行動の比率」が高ければそれは「より理性的」ということになります。そして、このようなものは例外なく「大脳皮質の発達」と「生後体験の学習量」に比例することになります。 ですが、我々人間の大脳皮質といいますのはその成長にどうしても生後15~20年という長い歳月を要します。更に、我々が実際の社会というものを学ぶためにはそこからまた数年が掛かります。 若いひとたちはみな知性に乏しく、理性に欠けると批判しているわけでは決してありません。多くの学習体験を獲得するためには、やはりそれなりの時間が必要であるということです。ですから、15歳~二十歳の若いひとたちに今それを要求するというのはたいへん難しいということになるのではないかと思います。事実、我々だって恐らく、若いときは同じようなことを夢中になってやっていたはずです。 では、もしかしたら流行といいますのは、そんな若いひとたちの旺盛な「学習意欲」や「吸収力」が作り上げる文化であり、逆にある程度の経験を積んでしまいますと、我々の感覚というのは年齢と共に鈍ってしまうのではないでしょうか。 質問者さんの仰る通り、若い男性が女性にアピールするというのは間違いなく子孫繁栄という生物学的利益に則って行なわれるものであります。ですが、それは飽くまで本能行動を補佐するための学習行動であり、そして、我々人間の社会ではこれを代用しなければ求愛行動ができません。 片や、学習結果といいますのは生後体験の量に比例します。ならば、若いひとたちが生殖行動を実現するための手段といいますのは、やがて単に流行からではなく、自分自身の体験を元に嫌でも様々な学習が積み重ねられてゆくことになります。
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仲間を求めているのではないでしょうか。身につけるのがなかなか容易ではない教養とか技術とかあるいはひとの目に付かない内面的なものでは誰もがまねをすることができません。その点髪型などはやろうと思えば誰でもできます。「類は友を呼ぶ」ということわざがあります。社会人のネクタイと変わりがありません。一応無難なネクタイを締めていれば仲間と思ってもらえるというようなことです。ネクタイも近頃は締めないほうが意識が高いとされる場合もあるようですが・・・
お礼
ヒトとしての暗黙の了解みたいな感じということですね。 しかし、独創的なファッションのヒトもいるのでそこの説明があると良かったのですが・・・ ただ、社会集団の一員であるためことを維持をする人の側面が見れたように思えます、ありがとうございました。
- 1fan9
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同世代の男性です。 人がそれなりに生活にも困っていないならば、容姿をよくしようと努力することは多いと思います。髪を染めたり、立てたりしなくても、髪型は個人個人工夫する余地はあるわけですし自己表現の方法はさまざまに思います。 今の自分のまわりで、どういった髪型をしていたら受け入れられるか、考えての結果その髪型や髪色になるのでしょう。他の動物に比べて、そういった容姿というものは重要でないでしょう。 髪の表現は時代、世代、個人の考え方によって異なることでしょう。 今の世の中で、縄文人や将軍の髪型をしていたらちょっとおかしい気がしますよね。 髪を切ったり立てたり染めたり装飾を施したりした瞬間こそが、個人個人のふさわしいと思う髪型が完成した瞬間でしょう。 ヒトは、単純にほかの動物と同じようにはいきませんからよくわからないですし、 あなたのいう流行にマインドコントロールというのかは専門的過ぎてよくわからないですけど、 髪を染めたり立てたりすることで女性へのアピールの一部ということには変わりないと思います。しかし他の鳥みたいな動物のような特定の器官を異性にアピールするというたぐいのものではないと考えられます。 ヒトはそんなに単純じゃないと思います。ヒトは、料理や芸術など自分で作り出すもの、知識、話し、体力、忍耐力、サービスなど複数の要因が異性や同性に評価されると思うからです。 あなたの嫌いな髪形や髪色をしている男(オス)が、ほかにどんな素晴らしい面を持っていても、髪のことが嫌いなばっかりにその人のことが見れていなかったらとても残念です↓↓ 髪型が流行にのっているかなんていうことは、異性に対する本能行動のごくごく細かい問題だと思います。髪型は、趣味のようなものです。髪型をあまり問題にしなくても性的欲求の強い人はいくらでもいます。 女性が髪をのばしたり染めたりも同じような程度のものだと思います。
お礼
『ヒトは、単純にほかの動物と同じようにはいきません』 『ヒトにはたくさんの表現法がある』 ごく基本的で大切なことを思い出させてもらいました、ありがとうございました。
お礼
なるほど・・・ ヒトには動物としての面に補う関係にあるヒトとしての面があり、片一方からはヒトの行動を理解することができないと言うことですね。 大変参考になりましたありがとうございます。