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国民の権利を制限し軍備を増強しアメリカと協調することが日本の国益になるならば
愛国心、軍国主義の再来や特別警察の復活や思想統制も国益という偉大な目的があれば許されますか? 仮にそういう主張があればあなたは支持しますか? 日本の国益とは誰の利益になるのでしょうか?
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「国益」とはすなわち「国」の利益ですが、例えば「公共」や「国民」という用語でなく「国」という語そのものが使われている以上、通常「国益」を考える時には他の「国」のことが当然念頭に置かれるわけであり、その点で対外的な意味を主軸に考えることは差し支えの無いものと考えます。従って主権国家の安全保障上の存続を追求するということを基軸に、他国・並びに他の国際的社団に対して政治・経済・文化・宗教等様々な争点領域に対して主導的な影響力を発揮出来るようになることが国益であり、その為の一連の努力(ハード面においてもソフト面においても)が国益の為の手段であると暫定的に考える事が可能です。 しかしながら主権国家体制が全世界に広がった今日の国際政治状況においては、抜け入れが自由他の社団とは異なり、人は何れかの国家に所属することが原則となります。勿論「移民」や「移住」といった形で所属する国を選択する権利はある程度保障されていますが、政治難民等は別として一般人が国籍を「捨てる」という自由が原則認められていないことには留意する必要があります。グローバル化や国際化が叫ばれる中においても、生まれた時点で「日本人」、「韓国人」、「アメリカ人」といった所属が半ば強制される以上、国家という「社団」は何れかに所属しなければいけないという点において非常に特異な物であると言えるでしょう。 こういったことも踏まえた場合、国益を一元的に定義しその内容に優先順位をつけることは極めて難しく、その国のおかれている国際構造、国内を支配する価値観・政体、そして政策決定者集団が如何なる性格を持っているかによって大きく左右されると思います。例えば、質問者様が仰っているような内容は特に太平洋戦争前の日本の状況であるものと推察しますが、当時の日本にとっての国益は取りも直さずハード面としての物理的軍事力を増大し、これを手段として自らの勢力圏・支配地域を拡大し、地域覇権を強固にすることが第一であったと考えられます。所謂軍国主義というのはその目的の政治的価値観であり(因みに軍国主義というのは当初としては国家社会主義の為のある種の政策的手段だったわけですが…)、特高・憲兵にによる思想統制もその最たる国益に反する行動を抑圧する為のものでした。 ですが、現在の世界情勢に焦点を当てれば、経済的相互依存の深化、ネットワーク・情報網の拡大、そして米ソ冷戦終結による2極化構造の崩壊といったような国際システム上の変化、また我が国内における自由主義・民主主義思想の「定着」、そして代表制民主主義的制度によって選出された政策決定者集団の存在等、各階層に渡って大きな変化が生じており、この中において国益を太平洋戦争前と同様にとらえることは極めて困難であると考えます。少なくとも、戦後日本における国益は、軍事力の大幅な再増強からではなく、開かれた貿易システムの中で経済成長を追求することから得られる、というコンセンサスが働いてきたと見て差し支えはないでしょう。即ち、各時代の国際システム、国内の政治・社会的状況、そして政策決定者(とその延長としての世論・政治集団構成員としての国民一人一人)の状況によって、国益は流動的に変化していくのです。 最後に思想・言論統制との関連で付け加えたいのですが、具体的な国益やその優先順序がこのように流動的である以上、その変化をとらえ柔軟性をもって対応する為にも、言論・思想の自由が広く認められていることが必要であると思います。真のコンセンサスも自由で本質的な討論によって生まれるのであり、それを国が制度的に保障することは、長期的な目で見て逆に国益に繋がります。また、世論を形成する我々自身としても、一見特異な主張に対して冷笑や一元的批判を浴びせるのではなく、彼らの意を十分に汲み取る努力が必要でしょう。国家による制度的統制の代わりに世論による精神的圧力が目に見えない形も含めてかかり得る可能性にも十分留意する必要があるといえます。
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- christophe
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高校生の戯言なので、話半分に聞いてください。 今のところはまだいいですけど、今以上に技術が発展してくると、思想統制を一度でも始めてしまうとひどいことになりますよ。1度でも高度に発達した監視社会が成立してしまえば、その中では革命を起こすことすら困難になってしまいます。つまり、監視社会が恒久なものとなり、変化のない社会が成立しうるのです。要するに小説1984年の世界ですね。 1984年的論理でいくと、中にいる人間は「幸せ」なのですが、我々の目から見ると幸せには遠く及んでいない…。 高度な監視社会は案外、その世界で普通にに生きている人にとっては、居心地の良いものなのかもしれません。しかしながら、その世界の中で矛盾に気づいてしまった者や、我々の目から見ればこの上なく不幸な世界。それが、監視社会の本質でしょう。はたして、それは国益といえるのでしょうか???監視社会を止めるためというのが、日本やドイツで全体主義が蔓延していたWW2を踏まえての、現代における民主主義の1つの大きな意義だと思うのですが、いかがでしょう? 外交関係とかは無視で言っているので、そこは突っ込まないで下さい。監視社会云々のことなら、ジョージ・オーウェルの1984年を読むことをお勧めします。 ついでに言っておくと、監視社会の成立後は、確実にトップが甘い汁を吸う社会構造になると思います。それは非合理的制度の存在を容易に許すので、結果的には国益どころか、特権階級以外の誰の利益にもならないでしょうね。要するに、政治のトップを監視する機関がなくなり、非合理的な事柄に対して修正が利かなくなるということです。つまり、言いたいことは、監視社会化は、戦時や緊急時などには短期的には効果があがったとしてもその効果は持続しない上に、監視社会からの脱却は非常に困難ということです。 ということで、私は支持しません。そもそも、国益が偉大な存在って、どういうこと?近代国家のそもそもの存在意義は個々の基本的人権を守ることにあるのでは?それが破られるのなら、これ以上本末転倒な話はないと思いますが…。
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ありがとうございました
- free_777
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これは政治哲学の問題ですね。つまり個人に対する社会権力の限界を何処で線引きするべきかと言う問題だと思います。 この問題は「個人の領域」と「社会の領域」を区別する必要があるのです。他人の利害に関係する部分が「社会の領域」になります。 私は、国家が制限するのは、あくまでも「社会の領域」に限るべきで、「個人の領域」に関係する部分に国家が干渉するべきではないと考えています。また、制限するにしても議論が必要で世論で非難する方法が妥当な場合もあるし、法律で罰則を設けるのが妥当な場合もあります。 よって私から言えば「愛国心」、「思想」は個人の領域に属するものであり、国家が干渉するべきものではないと思います。これが19世紀以来のJ.S.ミルに代表される自由主義の考え方です。 この説明に納得がいかない場合は、J.S.ミルの「自由論」を読む事をお勧めします。 以上。
お礼
ありがとうございました
- netcatme
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愛国心を許さない人はいないと思うが。 国益とは国民の財産と生命を守り、豊かで安全な社会になること。 「軍国主義の再来や特別警察の復活や思想統制」が国益になる社会とは、世界中が戦乱と混乱の中にいて、そうでもしなければ、正常な生活を善良な市民が営むことができなくなるような状態。
お礼
ありがとうございました
- password
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北朝鮮が『東京を火の海にしてやる』と公言し 朝鮮人が 日本人を誘拐/虐殺し続けてきた【過去】が公になった以上、 それに備えるのは 誰も反対しないでしょう。 人命の為に 国民の権利を制限するのは 別段問題では無く 国益=日本人の命 とするのなら、『他人の命より 自分の権利の方が重要だ』と主張するのは(反日左翼以外)存在しないでしょうね。
お礼
ありがとうございました
まず最初に考えたいのは 「国」とは何ですか? あなたにとって「国」とはどのようなモノであるか? こういう自問自答を繰り返して行けば ある程度は「自分の考え」が見えてくるかも知れませんね? 私は、自分の考えをあなたに押し付ける気がありませんので ここで述べることはしません。 人それぞれに解釈や考え方があるような、ご「質問」だと感じます。
お礼
ありがとうございました
- adaypajimy
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愛国心とは米国との独立心であり、引いては反米思想だと思います、すくなくとも諸外国と境を設けますよね。完全なアメリカ協調路線なら日本州ということですよね。私は日本思想なるものはない交ぜになっても何かしら残るものなので、国民や世界に貢献できる方向にバランスをとっていく考え、極端にはしらない考えが、必要だと思います。 特高警察、軍国主義、の賛成は否か、もっともこれらとは別の不条理が特高や軍国主義で自分たちが守られるのであれば国民も私もこれらの組織と概念を取り入れるでしょう。 日本の国益→特定の国民の利益に多く関与する。 たぶんわたしじゃないw
お礼
ありがとうございました
お礼
ありがとうございました