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実録 小野田少尉の遅すぎた帰還 を見ての疑問。
こんにちは。昨夜の「遅すぎた帰還」よかったですよね。僕自身17歳で、戦争のことは知らないほうが多いくらいで、また新たな戦争の一面が見れてとてもためになり、小塚さんの両親に大切にしていた銃と手紙を渡すシーンでは泣いてしまいました。 さて、泣いておきながらも分からないことが2つありました。 1 なぜ、島田さんは打たれる時高い姿勢をとり続けのか。小塚さんは「彼は切れたのでは」と言っていましたが、なにが切れたのかいまいち分かりません。今ある、『逆ギレ』のような「キレる」という意味では絶対なさそうですし…。 2 なぜ終戦後も、アメリカ兵は武器を持ち、小塚さんを打ったのか。小野田さんたちが、未だに戦い続けていたから、対抗勢力としての武器だとしても、小塚さんを打つようなことをしては、終戦をした意味がないように思います。 以上の2つです。回答お願いします。
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こんにちは 1について怒りの意味でキレたのではなく、いつまで続くのかわからない戦いに絶望的になり使命感が途切れた、ということではないでしょうか。 2についてですが、実際に小野田さんたちと銃撃戦を繰り広げたのはアメリカ兵ではなく、現地のフィリピン国家警察軍や住民です。 では何故銃撃戦になったかというと、小野田さんたちが生き抜くためには野生の動植物だけでは到底無理だったので、たびたび島民の家畜を定期的に奪ったりしていたからです。ちなみに日本の情報を得ていたラジオや電池も島民から盗んだものです。 尚、小野田さんたちも相当数の相手方人員を射殺していたので、山を降り集落を通過する際に住民から射殺されるかもしれない、と覚悟したそうです。
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- funny-hill
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補足要求の文面を見させていただき、お答えします。 当然、小野田さんは知りませんでしたが、当時のマルコス大統領(フィリピン)により、「過去の行為のすべてを赦す」旨の発令が発せられていたからです。 それにより、住民は手を振りながら「ルテナンド(少尉)オノダ!」との歓声で小野田さんを見送ったそうです。 大統領の発令に関しては、日本政府による何んらかの要請(見返りに経済、技術援助等)があったのではないでしょうか。
- ake-chan
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連続投稿すいません。 自分の投稿後にfunny-hillさんの答えを見て funny-hillさんのお答えが正しいと思いました。 ですので、私の投稿は参考にせずfunny-hillさんの 答えを参考にされてくださいね。
お礼
回答ありがとうございます。
- ake-chan
- ベストアンサー率58% (39/67)
1、私が思ったのは 打たれる前に走った時に 自分は 走ることが出来ず 自分は間違いなく逃げ切れない。 このままだと自分は捕虜になってしまう... 捕虜になるくらいなら...と自分で身を投げ出した んじゃないかと思います。 2、これはわかりやすく言えば 「イラク戦争」を思い出してもらったらわかると 思います。 イラク戦争はほぼ2年前に収束しています。 ですが、いまだにアメリカ軍を初めとした軍隊が イラクに残っていますよね? どうしてか...戦争そのものが終っても、まだ 監視しておかないと 危険がまだ残ってるからです。 小野田さん達の存在は、アメリカ軍に取っては イラク戦争で例えるなら 自爆テロを起してる人々 と同じような危険人物だったんだと思います。
補足
回答ありがとうございます。 もやもやが晴れたのでもう1回、録画したのを見てみようと思います。 2のご解答で、 >>小野田さんたちも相当数の相手方人員を射殺していたので、山を降り集落を通過する際に住民から射殺されるかもしれない、と覚悟したそうです とありますが、小野田さんは打たれなかった。これってやっぱ、理由があるのでしょうか。「家畜を取られたけど、30年も戦い続けていまここで殺してしまうのは、いけないことだ」とか思い、射殺しようと思わなかったのでしょうか。