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大正デモクラシーからファシズムの流れ

大正デモクラシーからファシズムの流れを教えて下さい。 大正デモクラシーは人権を擁護しよう、という考えで、 ファシズムとは国家主義で、国のために人権を考慮せず、 と考えていますが、あってますか? 人権が考慮されないから、擁護されるべきというファシズムからデモクラシーの方向に行くのは わかるのですが、擁護されるべきという考えの中で国家主義に 行く(デモクラシーからファシズムへの流れ)のがよくわかりません。 なぜでしょう?

みんなの回答

  • nep0707
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回答No.2

>大正デモクラシーは人権を擁護しよう、という考えで、 大正デモクラシーは、むしろ政治や立法に対する 民主的コントロールの強化、という側面のほうが強いです。 なので、必ずしも人権尊重と歩調をあわせません。 法律さえ民主的に作れれば何やってもOK、という考え方だと、 結局人権を尊重しない方向に突っ走る要素は抑制し切れていませんし、 実際ドイツでナチズムが台頭した理由の1つになっていました。

回答No.1

余り自信はないですが・・・ >大正デモクラシーは人権を擁護しよう、という考えで、ファシズムとは国家主義で、国のために人権を考慮せず、と考えていますが、あってますか? 大正デモクラシーは民衆のための政治をしようと言うもので、特に人権を擁護しようとしたものでは無いと思います。デモクラシー(民主主義)とは言っていますが、民本主義と言われています。 大正時代に政党政治、普通選挙が成立していくましたが、治安維持法も成立しましたし。 大正デモクラシーから全体主義の流れは・・・ 昭和に入ってロンドン軍縮条約を締結⇒天皇統帥権干犯問題⇒軍部の台頭⇒5・15事件⇒政党政治の衰退⇒日中戦争勃発⇒国家総動員法成立 だったと思います。(如何せん高校時代の記憶ですが) 政治or歴史のカテの方が詳しい回答を得られると思いますよ。 法律的に何で全体主義にいったのかと言われれば、よく分かりせんが、個人的には明治憲法の天皇主権、天皇統帥権が遠因だったのではないのかなと思いますけど。