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昔(25年以上前ですが)は東大合格者の出身高校に
日比谷高校や都立西高校が上位10校に必ず名を連ねていましたが、ここ十数年は僅かしか合格者を出していません。 どうしてでしょうか?やはり私立の台頭なのでしょうか? この二校は全国にその名を轟かせた名門中の名門でしたよね。 寂しい限りです。
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東京の私立中高から東大に進学した者です。 「今の時代は都立なんてダメよ、私立の方が絶対に良い!」という声に「ダマされて」私立中受験しましたが、私立校の教育があまりに酷かったので。「当時の私の地元」なら公立中から都立進学校の方が良かった、と後悔しています。 という個人的な苦い経験があるので、詳しく書きます。 1 まず日比谷や西がトップ校として評価されていたのは、40年以上前のことです。 ただ多くの人が誤解しているのは(石原慎太郎.東京都知事まで誤解していた)、これらの都立高は「全盛期」といえども通学区域制限はあった、ということです。それぞれの学区ごとに日比谷・西などと並んで「両国高校」「戸山高校」などもトップクラスの進学校として評価されていました。 2 それが1967年に、小尾逓夫という大バカな(←私の正直な本音)東京都の教育長が、学校群制度など都立高校入試の大改革をします。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%BE%A4%E5%88%B6%E5%BA%A6 都立トップ校も、別の学校と学校群を組まされて合格者は強制的に割り振られる仕組みです。 これで日比谷・西などの進学実績は致命的に低下します。 また都立高入試も、実技教科などの内申点も重視する制度に変わります。ペーパーテスト学力に自信のある生徒たちが、これで都立を敬遠して私立高校に走る傾向が出ます。 さらに小尾教育長は、都立高校は原則として「大学受験準備のような教育をするな」という通達を出します。課外や既に卒業した浪人生への補習もできなくなり、都立高への信頼が下がります。 こうして学力トップ層は高校受験でも国立や私立の高校、さらにそれだったら国私立の中学を受験する風潮が強まります。 私立中高の整備や受験産業の発展もそれを後押しします。 3 それでも面白いのは1970年代、学校群制度の時期。西高と学校群を組んでいた富士高校、戸山高校と同じ学校群の青山高校といった学校が、目覚ましい大学進学実績を誇っていたことです。(東大合格者で全国20位以内)。「都立からは東大に行けなくなった」というより、高学力者が各都立高校に分散した形でしょう。 4 さらに1977年、文部省(当時)が「ゆとりの教育」をはじめて告知します。公立校の学習内容はどんどん削られ、授業時数は減らされます。しかしこれは保護者にほとんど評価されず、塾通い、さらに私立中高の人気が高まったのはご存知の通りです。 都立進学校のレベル低下に嫌気がさしたのか、都立名門校の教師が退職して予備校教師に転職する、という傾向もありました。1980年代、東京の大手予備校には元都立進学校の名物教師が多く見られました。 5 その上1980年代に入ると、特に公立中学の「荒れ」が問題視されます。家庭環境・学力に恵まれている層が、それを嫌って私立中へ逃げると、公立中はますます取り残されます。 例えば「日比谷高校」「西高校」には入れたい・入れても良いけれども、公立中学には行かせたくないから、という親子が私立中学受験に走ることになります。 1982年に都立高校は学校群制度を廃止、日比谷・西などの名門高校を第1志望にできるように改善しますが、都立離れは止まりません。 さらに最近では、しつけの行き届かない子どもや問題のある親が増えてきても、公立小中は「全員受け入れ」ねばならず、教師が体罰含めて厳しく指導するのも許されない風潮です。これではますます私立中学志向が強まります。 6 進学実績における公私逆転を、「私立は企業努力して、良い授業をしているからだ。」とする意見もありますが、私の体験からは大いに疑問?です。私立だからといってそれほど良い授業・教師だとはとても思えません。 「昔なら都立に行っていた成績優秀者が、最近は私立に行くようになっただけ」というのが実態だと思います。 7 ところがさらに最近は。No.1、2さんの回答のように、都立校も入試制度の改革、「進学指導重点校」指定などによって急速に変化しています。小尾教育長の「受験対策をするな」という通達も40年ぶりに!空文化しました。日比谷や西からの大学進学実績は、これから改善するでしょう。 8 しかし日比谷や西が、全国トップレベルの進学実績に戻るのは、残念ながら困難だと、私は思っています。 (私個人は、これらの高校の教育方針は高く評価している人間ですが、それでも...) それは、私が書いた「5」の問題点です。「公立中学に行かせたくない」と考える親子が、中学受験する流れは止まりません。 都立進学校ならむしろ。「小石川」「富士」といった中等教育学校(中高一貫校)の方が、進学実績を伸ばしてくるのではないでしょうか。
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- susuyaman2
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>ぶっちゃけ都立がいくら増えたといっても、東大自体が定員を増やしていますので、いくら数を増やしても開成は今年度189名の東大合格者数を誇っていますが、それを脅かすことなど最早不可能だと私は思っています。 そりゃあ開成を抜かすことなんて無理でしょう。 >都立は頑張っても私立巣鴨を脅かす(でも越せない)が限界だと思いますね。現在では都立御三家(都立日比谷・西・国立)やそれに準ずる戸山・小石川・両国などもあって、選択肢が多すぎるので、開成のように一箇所に集約出来ないと思いますね。 巣鴨は進学実績が急落しているので、数年後に日比谷が抜かす可能性は極めて高いでしょう。もっとも、進学実績を残すのには男子校が圧倒的に有利であることを踏まえると、共学の日比谷が巣鴨に並ぶということは、実質は日比谷の方が上ということですが。 >所詮、公立の教育には限界がありますよ。日比谷は超頑張っても東大入学者数50人ぐらいまでしか増やせないと私は思います。 50人までいけば誰もが十分と思うのでは?市立堀川のように、急速な改革が続けば生徒はある程度戻ってきます。 現に私立難関校を蹴って都立トップ校に進学する例がここ数年で急増していますからね。 「公教育の限界」が原因はなく、中学受験でトップ層が抜けるので、昔のようにはならないのは誰もがわかっていることです。
お礼
ありがとうございました。 「開成を抜くことは不可能」には誰しもが同意でしょうね。
- gwkaakun
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元家庭教師派遣会社勤務です。 ぶっちゃけ都立がいくら増えたといっても、東大自体が定員を増やしていますので、いくら数を増やしても開成は今年度189名の東大合格者数を誇っていますが、それを脅かすことなど最早不可能だと私は思っています。 都立は頑張っても私立巣鴨を脅かす(でも越せない)が限界だと思いますね。現在では都立御三家(都立日比谷・西・国立)やそれに準ずる戸山・小石川・両国などもあって、選択肢が多すぎるので、開成のように一箇所に集約出来ないと思いますね。 所詮、公立の教育には限界がありますよ。日比谷は超頑張っても東大入学者数50人ぐらいまでしか増やせないと私は思います。
お礼
ありがとうございました。 教育産業も昔とは比較にならないほど激化していますからおっしゃる通りかもしれませんね。
- susuyaman2
- ベストアンサー率33% (4/12)
ここ数年で急激に復活していますよ。近い将来、日比谷がベスト10に復活する可能性も十分出てきました。それぐらい進学実績がどんどん良くなってきています。
お礼
ありがとうございました。
- mat983
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昔は番町小-麹町中ー日比谷高-東大というエリート路線が昔はありました。 その後、学校群制度により学校を選択できなくなり、日比谷、西など都立高校は凋落しました。 しかし、今年は日比谷が復活しました。合格者が28名で全国20位まで上昇しています。 その復活の鍵は進学指導重点校制度です。日比谷、西など4校が選ばれ、東大合格数を上げています。 下記サイトを参照下さい。 http://allabout.co.jp/children/hsexam/closeup/CU20070404A/index2.htm 都立の伝統校「日比谷高校」が昨年の12名から今年は28名(16名増)と合格者数を増やし20位にランクインしたこと。 日比谷高校は、かつては東大合格ランキングでトップだった高校。長らく低迷を続けた伝統校も、2001年から学校独自に作成した問題で入試を行ったり、進路指導に実績のある教員を公募するなど、学力向上に向けたさまざまな取り組みが行われています。 この進学指導重点校は、2001年9月に日比谷、戸山、西、八王子東の4校が、2003年の11月には、青山、立川、国立の3校が指定されました。 進学指導重点校の東大、東工大、一橋大などの難関国公立大学への合格者数は、指定前(02年~04年)の平均合格者数60.6名から95名(06年)へと約1.5倍に増えています。 「進学指導重点校」に指定されたことが転機になったようです。
お礼
ありがとうございました。 「進学指導重点校」に指定されたということは 昔の威光はまだ消えてはいなかったということですね。 少し安心しました。
お礼
大変詳しくお答えいただきありがとうございました。 80年代の「荒れ」は日比谷などの所謂一流校にも少なからず影響を及ぼし、長年に渡って引きずっていたのですね。 昔よりも教育レベル全体が底上げされて、一流校といわれる高校の数も増え、分散化が進んだことも大きな原因なのですね。