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(日清)日露戦争について
以前日露戦争について議論したことがあるのですが 私は角田順氏の本や黒羽茂氏の本などを読んでいたので、私は 「日露戦争は本土防衛のための戦争であり、日本は安全保障上の理由から開戦にふみきった」と主張しました。 すると相手の方に「それは右翼的で歴史修正主義に通じるものだ」と言われました。 そこで大江志乃夫氏や稲葉千晴氏などの著作を薦められ、大体は読みつくしました。 確かにこの学者様の論調は冷静で「なるほど。確かにそうだ」と納得のできるものでした。 しかしながら自分の有する考えを否定することもできず、前者の立場を肯定するような本も読んでいます。 色々読んでいるのですが読めば読むほど分けが分からなくなってしまうのです。最近では両派の主張は全くベクトルの違うことを論じあっているのではないか?とも思うようになりました。 いったいどちらが正しいのでしょうか? (私個人には帝政ロシアは信用できない等の先入観はあると思います) もうひとつお聞きしたいのですが、自国の立場から歴史を考えるというのは間違っているのでしょうか? やはり歴史は多様性を持たせるべきなのでしょうか? そして前者が自由主義史観(自慰史観)につながり、後者が進歩史観(自虐史観)に通ずるのでしょうか? 日清日露戦争はセットで考えるべきだと思います(両方とも朝鮮半島問題が起因している)ので()付けにしました。 分かりにくい文章ですみません・・・ ご回答いただけたらと思います。
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質問者さんは歴史に対する知識も認識も、すばらしいものを持っていると思います。だから私の意見はアドバイスとしてちょっと耳を傾けてくれるだけで結構です。 歴史というのも立派な科学だと思います(歴史学)。そして科学の目的は何かと言えば、究極的には「人の役に立つ」ことだと思います。だからこそ国がお金を払ってそれを発展・維持させているわけです。その目的に合致しないものは「非科学的」と認識されて、学問にはなり得ないですよね。哲学が軽視される傾向にあるのも、そういう意識があるためなんだと思います(即効性がないだけで、思想的に大いに役立っているが)。ですから、 >自国の立場から歴史を考えるというのは間違っているのでしょうか? この質問は、自国の利益を追求する人にとっては「OK」だと思います。それは政治家や公務員などですね。また一般国民だって、自国の利益を追求する状況や、意識をもっていれば、当然「OK」なんだと思います。 しかしこの場合、科学(歴史)の目的を、国のためという狭い範囲に限定しているために、その汎用性が少ない、つまり他国では通用しないわけです。 より客観的な歴史認識(例えば利害関係のまったくない第3国が認めるような)を求めるためには、国益という限定を外して、「日露両国が2度と戦争を起こさない」という目的に広げなければならないと思います。たとえば、 >地政学的に考えて朝鮮半島は日本にとって地政学上非常に重要な土地であるので明治日本にとっては朝鮮半島の安定確保(敵対する可能性のある第三国の勢力の進入を許さない)が必要であったのではないでしょうか? その通りだと思います。日本は朝鮮半島南部が不安定、もしくは第三国の勢力の手に落ちると、国防意識が一気に高まり、西日本を要塞化してきた歴史があります(白村江の戦い後、元寇)。清国に甲申事変でやられて軍備を増強したり、朝鮮戦争で警察予備隊(自衛隊)が発足したり。だからこういう事は、日本の国益上は当然の措置なわけですよね。しかし相手国の国益にとっては当然ではない。だから「2度と戦争を起こさない」という目的に歴史学を用いることはすごく難しいんだと思います。両方が妥協しなければいけないのですから。 私は、質問者さんの言う、「自由主義史観(自慰史観)」が相手国の妥協を重視する立場、「進歩史観(自虐史観」)が自国の妥協を重視する立場、という風に認識しています。どちらも歴史から学んでいる点では共通していると思います。どちらが正しいのかは未来を見なければわかりません。ちなみに南京虐殺で30万人殺されたとか、従軍慰安婦問題での「奴隷狩りのような強制連行」などは、歴史学の厳正な手続きを通過できていなため却下せざるを得ないでしょう。これは歴史を学ぶことの大前提にあることだと思います。 >しかしながら自分の有する考えを否定することもできず この意見には激しく共感しますね。これは日本人である以上、自然な感情なんだと思いますよ。
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- a-koshino
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日露戦争の原因として、日清戦争で独立「させてやった」大韓帝国政府が、日本の支配を嫌ってロシアの勢力下に入りたがった、という経緯がありますが、これをふまえれば、朝鮮半島を支配するための戦いを「本土防衛のため」とするのは間違いと考えます。 ただ、外国なのに「本土防衛」とするような定義矛盾でもなかったら、「どちらが正しい」と決めることは不可能だろうとも、考えるのです。 自分の立場は、「正しい戦争も必要な戦争も、実際には存在しない」というものなので、この手の議論をしても噛み合わないことが多いです。 「自国の立場」とは政治の領域の意識なので、歴史を政治的に利用する目的でなら、「自国の立場から歴史を考える」のは正しいです。 歴史上の史実を追求するのに、「A国の国民だから~」という差別は、あってはならないと考えます。
お礼
地政学的に考えて朝鮮半島は日本にとって地政学上非常に重要な土地であるので明治日本にとっては朝鮮半島の安定確保(敵対する可能性のある第三国の勢力の進入を許さない)が必要であったのではないでしょうか? この考え方をベースにすると本土防衛という考え方に近づいていくような気がします。 ベースにあるものが近代日本の地政学的立場に理解をしめすものであるからでしょうか・・・ >「自国の立場」とは政治の領域の意識なので、歴史を政治的に利用す >る目的でなら、「自国の立場から歴史を考える」のは正しいです。 >歴史上の史実を追求するのに、「A国の国民だから~」という差別 >は、あってはならないと考えます。 そうですね。 史実の追求と現実的な問題を考えるのは別ということでしょうか。 ただ疑問なのは自国の立場から考えるのはごく一般的なものなのではないか?ということです。 韓国や中国や米英などもまずは自国の立場から物事を考えているように思えます。 これはもはや史実の追求ではないということでしょうか? ご回答有難うございました。
- jamiru
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うーん…戦争ってやってる本人よりもやらせている方が楽なんですよね。 日露戦争で日本に大量の軍需物資を供給したのはアメリカですからね。 外国製の銃器火器の取扱説明書が読めない兵士が続出して大変だったとか。 こういった海外の支援がなければ到底出来なかった戦争です。 しかし、海外に頼って戦争をしていたことを知っていた人間がどれほどいたんでしょうかね。 すぐ後にロシア革命が来ていたので微妙ではあります。 帝政ロシアは既に国家としての臨界を迎えていましたからね。 そこをわざわざつつくと言うのも微妙です。 日本が戦争をしていたのか、戦争をさせられていたのか。 考え方次第で微妙なところです。 謀略の基本は己の敵同士を相討たせる事が基本ですし。 おそらく、他者による謀略によって踊らされていたと言う事を認めるよりも、自分たちの意志で突き進んだんだ!と言い聞かせた方が楽なのかもしれませんね。 あまりにも信念を育てすぎた結果かもしれません。 ところで、太平洋戦争で日本の抵抗力をアメリカは硫黄島のように身をもって知ったわけです。 そして、戦後あわてて日本を解体しました。 しかし、ソ連は日露戦争とシベリア出兵ですでに日本の戦闘力を知ったわけです。 当代の奸雄であるレーニン、スターリンが日本を危険視しないはずがありません。 こんな人間に目を付けられてはいくら日本でも大変です。 すでに日本の奸雄は明治の元勲くらいでもう居ないのです。 日露戦争が後に何をもたらしたのかを考えると、簡単に本土防衛とか言ってられないと思います。 日露戦争単体で考えるならば構いませんが、歴史の流れを考えると 大きな負債を抱えてしまったわけですね。
お礼
そうですね。 長いスパンで見れば日露戦争が近代日本に与えた影響は大きいものがありますね。 金銭面では解決されましたが、精神的な驕りや米国との感情的対立などは大きな負債となりました。 ただ戦争をさせられていたというのは違うのではないかと思います。 少なくとも明治日本には明確な国家戦略があったのではないかと思います。その結果として日清日露戦争があったのではないかと。 ご回答ありがとうございました。
- komes
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日清、日露戦争は大きく見れば帝国主義に乗り遅れまいとした戦争であり、見方によれば自衛戦争ともとれる見解のわかれるものでそれぞれの主張を読めば混乱するのは当たり前です。 各人の自覚で結論をだすしかありません。 その際歴史は勝者によって記述されるという金言をお忘れなく。 自国の立場から歴史を考える事はあながち間違っているとは思いませんが、現在はグローバリゼーションの時代でもあり世界的規模からの考察も必要と思います。 客観的な見方が歴史については必要と思います。
お礼
そうですね。ふたつの見解を自分の中で消化できないのは私の努力不足だとは思いますが・・・ 客観的な見方というのは難しいですね。 むしろ客観的な見方をしようと努めるほど小国日本が大国ロシアに対して安全保障上の理由から鞘を抜くという構図が浮かび上がってくるのですが・・・ これはいけませんかね;^^ ただ相手の国の方は日本側の事情も膾炙してくれるかというと疑問に思わざるを得ないですね・・・ 関わりの無い第三国の人の意見が一番参考になるということでしょうか。 ご回答有難うございました。
やはりその人の考え方ですよね。 質問者さんは、歴史に詳しいようで、思想もそれに伴っていると思います。 日露戦争は、日清戦争で得たリャオトン半島をめぐる争いだったと思います。それにロシアが文句を言ってきて、開戦しました。 それは確かに自国を守るために、安全の確保のために戦ったと考えれます。しかし、もともと清を侵略した日本です。 この考えだと日本はいつも正義であり、それは自慰史観的思想です。 右翼的な歴史修正主義 = 自虐史観 確かに戦争を要因させたのは日本の侵略行為です。 それにロシアが怒って、戦争を始めた。 つまり日本が悪い。 そういうことですよね? だから通じていると考えられると思います。 そして歴史の多様性か自国の立場かですが。 僕は多様性を求める考えです。 現在反日運動が、盛んですがやはり日本の南京大虐殺の歴史的事実はとても酷いものです。それを自国の立場から、戦争では必要だったと論じれば、批判されるでしょう。 僕も最後は何を言っているかわかりません;^^ 自分なりに回答しましたが、意味不明な部分が多いと思います。
お礼
うーんそうですね。 確かに私は保守系の学者や思想家の本を好みますからね。 歴史の見方もそういった方々の意見に妥当性を感じるようになっているのかもしれません。 軍事問題に精通しているような人は前者の考え方の人が多いような気がします。確か防衛大の元教官の方も防衛戦争という見方をしていたような気がします。 歴史を考える人と今現実に起こる問題に対処していく人では考え方が違うのでしょうか・・・ ちなみに私は南京では5~6万の不法殺害があったと思っていますよ。 むしろ数の問題ではなく日本軍に不法に捕虜を処刑するような体質が存在したことが問題だと思っています。 日本軍の中国大陸での一連の軍事行動はいかに権益保護のためとは言え、やりすぎだったと思います。 しかしだからと言って現実に進行している中国側の問題点を無視するのも可笑しいとも思いますが。 ご回答有難うございました。
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お礼
なるほど。 国家間の正しい歴史認識というものが有り得ないのはどちらかが妥協する必要があるからなんですね。 自分が損したくないのは当たり前ですよね(時には損をすることが長期的利益につながることもあるようですが・・・) そもそも互いの国益のぶつかり合いである戦争で認識を共有しようということは間違いだということでしょうか。 国益というものが絡んでくると相手側や自分に犠牲を強いることが多々ありますからね・・・ 大変参考になりました。 ご回答有難うございました。 >この意見には激しく共感しますね。これは日本人である以上、自然な感情なんだと思いますよ。 やはり日本人の視点で歴史を俯瞰するような姿勢が自然と出来上がるのしょうかね。