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弘法も筆の誤り

はじめまして。 私はもう10年上精神科に通院しています。 もう何年も無職の状態です。 私から見ると、「仕事」「職業」というものは、 業種・職種の如何を問わず、プロのすることという意識があります。 ところが、実際に生活者として生きていると、 様々な場面で「これがプロのやることか?」という場面に出くわすことが少なくありません。 お店の店員でも、役所の職員でも、電話で問い合わせた時の先方の対応でも・・・ その仕事に就いているとうことは、その職業の専門家ということです。 確かにまだ入社して一月も経っていない人もいるでしょう。 しかし、それにしても彼ら彼女らは道で連れ込まれてそこにいるわけではなく、 自らその職種を選び、また人事に選別された人たちで、 「他の人では出来ないこと」をしているはずです。 「プロ意識」を持つ持たないに関わらず、 仕事していれば当然自分の意識と関係なく「プロ」だと思います。 だからそういう選ばれた人たちが客を不愉快にさせたり怒らせたりするということが理解できないのです。 現に私は過去20前後の仕事を転々としてきて、 どこでも「向いていない」ということで、 2年以上続いた仕事はありません。 わたしの仕事はどこでも「プロ」として求められている水準に達しなかったのです。 このように社会の目は公平で、 出来る奴、出来ない奴をキチンと見極めています。 私が生活していて不愉快な対応と感じるのは、感じる私の問題だと思いたいのですが、 ご意見を伺えれば幸いです。 要領を得ない質問になってしまいました。 もうしわけありません。

みんなの回答

  • funoe
  • ベストアンサー率46% (222/475)
回答No.4

ご自身に置き換えて考えてください。 あなたは20以上の職歴の中で多くの顧客と接してきたわけですが、その顧客からみて「プロ」だったのですか? ・もし「プロ」であったというなら、  >どこも2年以上いさせてはくれなかった  >能力が無いものに金を払うほど社会は甘くありません。  という話とツジツマがあいません。 ・「プロ」でなかったというなら、  >少なくともその職業に関しては他の人以上の能力があるはずです  >仕事をしている人たちは誰もが、「選ばれた優秀な人間である」 が、正しくない事例もある、ということで、 あなたの「プロ」というものの定義が間違っていることになります。 再度、聞きます。あなたは「プロ」だったのですか?

noname#37669
質問者

お礼

>再度、聞きます。あなたは「プロ」だったのですか? いえ!過去に私は一度も「プロ」であったことはありません。 それは私を雇い、失敗し、過ちに気付くや即クビにした企業が一番よく知っています。 けれども私の経験を一般化することは出来ないと思います。 確かに「私のような事例」もあるでしょう。 けれども一般論に例外はつき物です。 あくまで私の質問は一般に・・・という前提です。 「私」という特異な例を挙げても、 「そりゃ例外もありますわ!」としかお答えしようがありません。 わたしの言い方がご不快でしたらお詫びします。 ご回答ありがとうございました・・・

  • projectA
  • ベストアンサー率5% (12/222)
回答No.3

仰りたいことはとてもよく分かります。 正社員だろうとパートだろうと自分で職種を選びお給料をもらっている限り、プロの意識を持ってもらいたいです。 ただ一生懸命やっている場合は不愉快になることはありません。 とんちんかんな言葉の使い方などは、雇った者の責任だと思いますので。

noname#37669
質問者

お礼

>ただ一生懸命やっている場合は不愉快になることはありません。 確かにそうですね。 ご回答ありがとうございます。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.2

題名と質問文がいまいち意味がつながらないですが、それはさておき、あなたが定義するプロの仕事が「完璧に仕事をこなすこと」であれば、この世にプロの仕事をする人はひとりもいないことになるでしょう。あのイチローだってチャンスに凡退するときもあるんです。 他の方も回答されていますが、人間というのは完璧な存在ではありません。色々な意味で日々失敗することが多々あります。いつでも張り切ってベストの状態で仕事ができるわけではありません。昨日恋人とひどいケンカをすれば精神状態は不安定で、そんなときに妙なクレームの電話でも来ようものなら普段だったら絶対しないような対応をポロッとやってしまい余計相手を怒らせることもあるでしょう。 また、世の中はバランスによって成り立っています。最近は、様々な場面で応対している相手が正規雇用の社員とは限らないケースが増えてきました。問合せ先の電話オペレーターが時給1000円のアルバイトだったなんてよくあることです。その時給1000円のアルバイターに正社員なみの仕事の質を求めるのも酷だという話もあります。また例えば同じ接客業でも、ホテルの高級レストランとファミリーレストランでは同じサービスは受けられません。ファミリーレストランで高級ホテルなみのサービスを求めるのも間違いです。 ただ、確かに耐震強度を著しく不足したマンションを設計したり、人様のお金を預かっておきながら「名簿をなくしちゃったのでどうなっちゃったかさっぱりわかりませーん」なんて仕事をやっている連中は「それで給料もらっとんのか!」と怒りたくもなります。

noname#37669
質問者

お礼

>題名と質問文がいまいち意味がつながらないですが、 すみません。ちょっといいタイトルが思いつかなかったのと、 「弘法も筆の誤り」というのは、「どんな名人達人でもミスを犯す」 という諺で、 私が感じる「不快感」や「なんでそういう態度になるの?」というのも 「弘法大師がミスをした」くらい「稀なこと」であろうという意味でした。 つまり職業人はコンビニの高校生のアルバイトだろうと、高級官僚であろと、誰でもその分野では「弘法大師」であるはずという意味です・・・ ご回答ありがとうございました。

noname#37669
質問者

補足

>時給1000円のアルバイターに正社員なみの仕事の質を求めるのも酷だという話もあります。 非正規雇用の問題やワーキングプアの問題は政治の無為無策の問題で、 この仕事の質の問題とは別に思います。 彼らの生活の安定は政治が責任をもって保証すべきですが、 仕事は正規非正規の別は無いと思います。 現に私自身、過去に正社員だったことは1度だけです。 >また例えば同じ接客業でも、ホテルの高級レストランとファミリーレストランでは同じサービスは受けられません。ファミリーレストランで高級ホテルなみのサービスを求めるのも間違いです。 いえ、私が言いたいのは高級ホテルで、大衆食堂以下のサービスをされることです。 ファミレスはファミレスのレベルを保っていればいいと思います。

  • mayutti
  • ベストアンサー率22% (7/31)
回答No.1

「プロ意識」を持って働いている方もいれば、賃金を得るためだけに働いている方。慣れるまで時間がかかり、なかなか満足いく結果を出せない方。いろいろな人がいます。 どんな仕事も向き不向きがあり、天職と思える職業に就ける人は、ごく限られていると思います。 初めからセンスがよくて、てきぱきこなせる人もいるでしょうが、少しずつ経験を積んで「プロ」になる人の方が圧倒的に多いはずです。 自分だって完璧じゃないんです。間違うことだって、体調の悪いことだって、ついうっかりだって他の人にもあるはずで、仕方がないことだと私は思っています。 世の中にはいろんな人がいます。考え方もいろいろありますが、まじめに汗して働くことが「プロ」であってほしいと思います。 2年で、長年働いてる方に負けない仕事をするのは難しいことです。「プロ」として求められている水準に達しなくても仕方ないことです。周りの環境が厳しかったのかもですね。 もっと大らかなに、自分を評価してあげて下さい。 20前後の仕事に巡りあえるだけでもすばらしいことだと思います。

noname#37669
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >どんな仕事も向き不向きがあり、天職と思える職業に就ける人は、ごく限られていると思います。 確かにそうかもしれません。 けれども、彼ら彼女らは所謂その会社、その仕事に必要ということで、 またその能力を認められて人事に採用されているのですよね。 増してそのときに「選別」から漏れた人がいれば(つまり応募者全員採用でなければ)より「適性」を認められて現在そこにいるわけで、 無論人間誰しも完璧ではありませんが、 少なくともその職業に関しては他の人以上の能力があるはずです。 わたしの場合2年を待たずに止めたわけではなく、 どこも2年以上いさせてはくれなかった。 当然です。能力が無いものに金を払うほど社会は甘くありません。 甘くない社会で「仕事を得て賃金を得ている」ということは 私から見れば凄いことです。 完璧でないのは当然としても、 仕事をしている人たちは誰もが、「選ばれた優秀な人間である」 と言うことは正しいのでしょうね・・・ >20前後の仕事に巡りあえるだけでもすばらしいことだと思います。 皿洗い、清掃、仕分け、ゴミ収集、ウエイター、販売員・・・ 今でもそれほど就くのに困難な仕事ではないのではないでしょうか・・・

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