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現代の若者の現状と教育・・・

自分は今大学に通っています。最近よく思うのですが、最近の若者はよく他者を馬鹿にします。例えば、「○○大?馬鹿大じゃん。」とかいうフレーズはたびたび耳にします。しかしながら、自分にとってそのような発言をする人ほど人間味に欠け、魅力を感じないのも確かです。自分は人として大切なものは偏差値だとか出身大学だとかではなく、その人の人間性などの到底口では説明できぬものだと信じています。戦後、焼け野原となった日本を再建することができたのは、我々の祖父母が優れた人間性をもっていたからだと思います(それは貧困が作り上げたものかもしれませんが…)。このままでは、自分たちの世代が日本を壊してしまう気がして怖いです。今、若者を、そして日本を変えるために、我々は何をすべきでしょうか?教育とはどうあるべきでしょうか?数多くの意見を聞かせて頂けると有難いです。

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回答No.5

別に何もする必要は無いと思います。 質問者さんが仰るように、そのような罵詈雑言を発する人に人間的な魅力を感じない、というのは同感です。けれども、そういう人は、昔から沢山います。 既に出ていますが、その昔であれば旧帝大以外は大学と認めない、なんていう人も多くいましたし(それこそ、先日、逝去された宮沢喜一元総理なんて、そういう逸話には事欠きませんよ)。 そもそも、「今の若者はダメだ…」なんていう言葉、そのものが、大昔から(それこそ、古代エジプト時代から)延々と言われているようなもので、あまり意味のある言説とはいえません。 全ての時代において、人間は、自分より若いものの人間性をダメと言ってきた生物なのです。 日本の今後を憂いておられるようですが、心配は要らないと思います。 そもそもの、日本の若者ほど、犯罪を嫌う人はいません(50代の方が20代よりも殺人率が高い、なんて国は日本だけです)。学力低下、などといわれていますが、これについてもムードばかりが先行していて、「学力とは何か?」「いつの時代と比較して低下したのか?」などというような議論が全くなされないままに、「こうすべきである!」という耳障りの良い言説が飛び交っているのが現状です。 私は、別にかえる必要など一切無い、という風に思っているのですが、その上ですべきだと思うのは、まず、現状を客観的に知る、ということをすべきじゃないかと思います。

jesus777
質問者

お礼

非常に説得力のあるご意見有難うございました。 自分は少し悲観的になっていたのかもしれませんね。非常に為になる意見でした。

その他の回答 (5)

  • a-saitoh
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回答No.6

むかしは大学の数も入学定員も少なく、大学進学率が20%を越えたのは昭和40年代の半ばです。 つまり、大学に行っていると言うだけで18才人口の成績のトップ20%に入っているとおおむね考えられるわけで、「バカ大学」という悪口が存在しにくい時代でした。 で、大学名をダシにするのは別として、いろいろな理由で他人をバカにするのは昔からありましたよ。というか、昔の方が貧乏人とか小作人とか母子家庭とか家庭に精神障害者とか前科者が居るとか、酷い理由でバカにされていました。今ではそんなことをしたら差別発言として大きな問題になるでしょうけど。

jesus777
質問者

お礼

自分は昔を知りません。だから非常に参考になるご意見でした。すこし気が楽になりました。貴重なご意見有難うございました。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.4

大学に限らずに蔑むのは、 馬鹿でもそんな思考が出来るから。これだけです。 だから誰でも思いつくような発言をすると人間味も魅力も感じない。 昔から居ます。 戦後の焼け野原から日本を復興されたのは、彼らの血と汗と涙の結晶ですよ。 時代は死屍累々で築かれているもの。古代から変わりません。 単にそれを感じれないだけでしょう。 今の若者だけではなく、生き抜いた人間も感覚が麻痺して同類です。 教育は感性を鍛えるもの。 感性を鍛えてより多くの星の数の解を見つけること。

jesus777
質問者

お礼

>教育は感性を鍛えるもの。 感性を鍛えてより多くの星の数の解を見つけること。 自分は高校時代、素晴らしい先生方にたくさん出会いました。そのような先生方の教育する姿を思い出すと、たしかに素晴らしい先生方は我々の感性を豊かにしてくださいました。 これから、模索し続けることによって、自分の人生の中で数多くの答えを見出したいと思います。貴重なご意見、有難うございました。

回答No.3

戦後復興に貢献された方々と質問者さん達の年代のほぼ中間である40代の者です。 個人的な感想では、最近の若者(という言葉を使うところに自分の年齢を感じます)は、知識を知恵に変換することが苦手と感じます。 知識においては私達の20代に比べていろいろな情報網の発達等により確実に増えていると思います。が、知恵という面では私達の20代に比べると幼稚と考えます。 また、論理的な思考と論理的な主張というものに劣っているとも思います。 教育において言えば、知識を詰め込む教育だけではなく、それを知恵として引き出す手法を考える必要があると感じてます。

jesus777
質問者

お礼

>教育において言えば、知識を詰め込む教育だけではなく、それを知恵として引き出す手法を考える必要があると感じてます。 受験勉強を通じて、自分は、本当に自分で道を切り開こうとしている者にとって受験とは足かせにしかならないな…と思いました。 学問の本質である'追求'が身につかないからです。受験では知恵を詰め込むことができるという長所がありますが、それはあまり魅力のないことだと思います。 しかし、少子化の影響で望むものをほとんど与えられてきた私たちの世代は、自分に甘える傾向が強く、知識を詰め込む努力さえ試みません。 だから、受験は必要なシステムなのです。 しかし、自己を求める自分は、大学に合格したことに満足してはなりません。数多くの学問をすることで、自分の人生というものを少し高いところから見下ろしてみる。 それが貴方のおっしゃるような、知恵なのだと思います。 貴方に、再び学問とは何かを考える機会を与えていただきました。 本当に有難うございました。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.2

こんにちは。 私も前の方と同じように感じます。 昔は6大学以外は大学じゃない!なんて親もたくさんいましたよ。 さて、質問文の、>そのような発言をする人ほど人間味に欠け・・・も同意見です。 本当に能力のある人は、どの大学だろうと道を切り開いて自分で勉強します。 大学の名前を鼻にかけるような人は昔からろくな人がいないと思います。 そういう点では、日本の大学のあり方がおかしいと思います。 日本は大学は入試が一番大変で、入学してしまえば遊んでいられますが、外国は大学に入るのは簡単で卒業が一番難しいのです。 つまり日本の大学は入り口を閉ざして条件のある物しか入れないので、最初から人材を喪失する構造になってます。 私は歳をとった今ではいくつかの専門を経験した事もあり、ちょっとした大学教授並みの議論ができる分野もいくつかありますが、教授自体が品質が落ちてるのではないか?という感覚を持っています。 何か分野を目指して学ばれているのでしたら、その分野の現場も一緒に見て学んでください。 たとえば、東海村で臨界事故がおきましたが、あの従業員は「青い光」が何を意味してるか、「臨界」ってどういう事なのか、全く知らずに作業していたみたいです。 日本の経営者は労働力を値切る事に夢中で、こういう低品質の労働者を安く買い叩いてコストを下げています。 それがやがてどういう事になるのか、そういうところまで目が届くレベルに成長して学校を卒業して頂ければ、きっと六大学をしのぐ人材になれるでしょう。

jesus777
質問者

お礼

>本当に能力のある人は、どの大学だろうと道を切り開いて自分で勉強します。 大学の名前を鼻にかけるような人は昔からろくな人がいないと思います。 言われてみれば当然のことかもしませんが、感動しました。やはり、人の意見を聞くというのは勉強になることが多いものですね。お忙しい中、親切なご回答有難うございました。

noname#35892
noname#35892
回答No.1

そうでしょうか?昔のほうが無名大学を蔑む風潮は強かったですし、学生もプライドが高かったでしょう。今はインターネット等で発言できる機会が多いので増えていると感じているだけだと思います。

jesus777
質問者

お礼

なるほど…昔を知らない自分にとっては非常に参考になる意見でした。ありがとうございました。

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