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合気道の
合気道の動画などで、 相手に触れずに投げ飛ばしている光景は、 信用していいんでしょうか? 「合気道を神秘化したヤラセ」に見えてしまいす。 よろしくおねがいします。 ↓触れずに投げている動画 http://aikitube.blog.shinobi.jp/Entry/2/
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この動画の先生にはお会いしたことがありませんので、この場合の触れずに倒す技の原理は分かりません。が、自分で体験したことを少し述べたいと思います。 昔は合気道や呼吸法、中国拳法、新興武術などで触れずに倒すという人が何人もメディアで紹介されていました。偶然からその中の一人の先生に会い、実際に道場の練習を見学させてもらい話を伺ったことがあります。 結論から言えば、その道場で行われていた触れずに倒す技は弟子以外には掛からないものでした。触れずに倒す技で投げてくれませんか?と言っても投げてくれませんでした。もしくはそういった先生が通常、弟子以外の者、初心者に技を掛ける場合、気で投げると言いつつ必ず相手の体に触れて関節を決めていたり、また、互いに手を触れ合って単に筋力で突き飛ばしたり重心の作用で投げたりしていました。そういった先生に会ったら、触れずに投げてくださいと言ってみるといいと思いますよ。弟子以外の者、初心者、初対面の人を触れずに投げれる人はまずいないでしょう。 しかし、だからと言って、触れずに投げる技が完全なヤラセかというとそう断言できない部分もあります。たとえば、合気道には入り身投げという技がありますが、昔これを自分の先生から掛けられた時、先生が腕を上げてこちらに近づけた瞬間、触れてもいないのですが危ないと思ってこちらから倒れたくなりました。これは先生の技の勢いがすごかったため、こちらの防衛本能で自発的に逃げの受けを取りたくなったのです。ですがうちの先生はそれをやると非常に怒ったため、技をきっちり最後まで掛けられて投げられていましたが。(笑)こういうのが一種の触れずに投げる技だと思います。 実はこの種の触れずに投げる技法は合気道の源流である大東流にもあります。相手の攻撃を精妙に受け流し誘導し方向性を変え、相手の防御本能で自分から倒れるように持って行く技があるんです。相手の攻撃と防衛の心理を巧みに利用した技法です。ただただ驚きました。ですが、大東流の場合、「気」という言い方はしていません。そして技を掛ける際、相手との距離も非常に近いです。 ですがやっぱり(笑)合気系を名乗るところや新興武術の中には宗教がかったおかしなところもあるので気を付けた方がいいと思います。そういったところは、老齢な先生に恥をかかせてはいけない、みんなが倒れるから自分も倒れる、みんなが見ている、そういった信じがたい変な集団心理が働いているようです。また先生の方も、倒れ方が悪い弟子を「気の通り、気の巡りが悪い、気の力が弱く感応力がよくない」などと言うのですからおかしなものです。ですから一般的には基本技法をきっちりやっている道場以外はあまり信じない方がいいと思います。離れた距離の相手を派手に倒しているところはまず疑ってかかった方がいいでしょう。
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- Ganbatteruyo
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アメリカで使える伝統空手と護身術教えている者です。 先日のこのカテで「6人の十使いが25メートル離れたところから狙い撃ちしたときに一瞬にして弾丸をよけ、気がつかないうちに射撃者の一人の肩をたたいた」と言うサイトを紹介していましたが、同じようなことでしょう。 師匠を敬い露骨に疑わない、受身を身に付ける、協調の念を高める、などいいところはたくさんあります。 しかし、空手の型と同じように、この動きは「戦えるための動きである」と真剣に教えているのと同じように、間違った方法で合気道を紹介しているとしか私には思えません。 ご紹介のビデオでもレポーターの番になっても通り過ぎて次の弟子を使ってこの技を見せましたね。 また、弟子たちが「投げられるように見えるのは怪我を防ぐため」と言っていることは確かでしょう。 関節が壊れるでしょうね。 しかし、そうなのであればなぜデモでそう言わないのでしょう。 誤解を起こすことがわかっていながら何も説明無しに見せるから、観衆は「誤解」するのです。 合気道は触るだけで人間が吹っ飛ぶ、と。 そして、触れないで弟子が飛ぶ、つまり何かの力によって吹っ飛ぶ・投げられる、と言う説明をしようとしていますが、向かっていく人が100Kgのサンドバッグが飛んで来てそれにあたったためにその人が逆方法に飛ぶ、と言う動きは弟子からはまったく見えません。 私たちの訓練でこれをします。 ぶつかってその反応で後ろに跳ね返る、と言う動作はまったく違うものです。 まったくの外部からの力によって跳ね返るために「足で後ろに飛ぶ」と言う動きにはならないのです。 胸に当たれば腰から下はまだ前に動こうとします。 頭から後ろに落ちていきます。 バック転のように。 腰から下であれば前にのめります。 そして全体にあたれば足は床を蹴りません。 では、「気」によって、そのような動きをするように筋肉を影響させる、と言う事なのでしょうか。 あの決まりきった動きをして投げられると言うことは、ほんの一部の筋肉群が動いている、と言う事なのです。 「気」が集中的にその筋肉群をある一定の方向に向かって収縮させることは無理なのです。 「技を見せるために弟子たちは本気にかかってこない」と言うのもおかしいことなのです。 本当に殺そうとする攻撃をなぜしないでしょう。 これもデモだから、と言うのでしょうか。 そうであればなぜそう言わないのでしょうか。 何も知らない人に手首の関節技を仕掛けるのは容易ですね。 そしてそれをデモで素人を使ってやっていますね。 じゃ、なぜ、素人を使って投げないのでしょう。 危険だから? もしそうであれば、危険にならない程度に見せればいいことではないでしょうか。 力はコントロールできなくてはいけない実力の一部なのではないでしょうか。 触らなくても投げることができる、と言うのであれば、攻撃しなくてもいいはずですね。 素人に歩いてきてもらえばいいのです。 そして、その人が前に進めなくなったり、一瞬でももう一歩前に出られないと感じたらそれで十分合気道の実力として認められるのではないでしょうか。 なぜそれをしないのでしょう。 そして、最後に、レポーター自身が「触れないで投げつけられた」シーンがありましたね。 かなり練習した動きでしたね。 レポーターの動きを私は言っています。 体の全身を止め後ろに振り返り「受身をする」動きをしていますね。 これでは、テレビの前の素人を欺いている、としか思えないのではないでしょうか。 もとプロレスラーがプロレスとは何かと暴露しましたね。 いつか、高弟であろうと、暴露する人が出てくる宿命を持っているのが今の合気道なのではないかと私は感じます。 実力を披露するためのデモであればあそこまでする必要はないと私はおもいます。 合気道だけではありませんね。 空手でも同じ事をしているのです。 何枚も重ねた板を割るデモがありますが、本当に空手の実力を見せたいのであれば、なぜ、板と板の間にスペーサーを入れて隙間を作るのでしょう。 バットを蹴って折れるのであれば、なぜ、おもい部分を上にするのでしょう。 二人に両端を持たせてもいいのではないでしょうか。 ビール瓶を割るのであれば昔からのしとやかな女肩をしたビンを使わないのでしょうか。 板に釘を200本打ち付けてその上に寝転べるのは「気」の力だ、と言うのであれば、少なくともその場で150本ほどの釘を抜いてからではどうでしょう。 本当に痛みをこらえることが出来ると言うのであれば、目をつつくのはやはり危険ですから、睾丸を蹴っても大丈夫、と言うのであれば、仰向けに寝てもらい、その睾丸が床に乗っている状態にしてもらって、素人に軽く踏んづけてもらうのはいかがでしょうか。 そうでなければ睾丸の上に直に片足を乗せて立ってもらうのはどうでしょう。 太い針を頬に貫通させても大丈夫だと言うのであれば、腿なり腕なりの「筋肉」に貫通させるのはどうでしょう。 それをしないと言うことは、つまりは観衆への詐欺であると言うことではないのでしょうか。 観衆は何も知らないわけですから、超人的だ、と思い込んでしまいます。 訓練、トレーニング、練習はそれなりに必要ですね。 しかし、素人が見ているところに「すごい!!」と言わせる為に大げさにするとか誤解を起こさせるようなことは武道としての精神から外れているのです。 私の言っていることが間違っていると証明できる、実際にその能力があると言うのであれば、他にもいろいろと「実感できる」方法があるはずです。 奇麗事に執着してきた事で本当の有無を言わせぬ武道の力をつける事を忘れているとしか思えないのは私だけだとは思えません。 疑うのは失礼ですか? 疑われたくなければ疑われないように「デモ」するべきなのです。 私の弟子には私のすべてをまず疑って受けろと教えています。 疑い無しの理解と疑いが晴れた後の理解とはまったくレベルの違う信頼を弟子に植えつけることが出来る事を私は伝授されたのです。 打ちや蹴りは相手の痛めるもの、空手には一撃必殺と言う観念に基づいて技を磨きますね。 じゃなぜそれを教えるのか、私を疑わなくては、人の命とは尊いものだ、と武道の教えのひとつとして教えることが出来ると言うのでしょう。 受身をしなければ怪我する、と言う理由で弟子が「わざと投げられる」と言うであれば、受身を知らない攻撃者をどうやって怪我をさせないようにするのか、本当に教えているのでしょうか。 謎が謎を呼んでいるのではなく、疑惑が疑惑を強くしているだけのことなのです。 武道のために我を捨てても自尊心を捨てわけには行かないのです。 まったくの個人主張でした。 これでいかがでしょうか? 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
詳細きわまる回答ホントにありがとうございます。 私も空手のタネのあるデモはどうかと思っていましたが、 今回の質問のものも問題あるデモのようですね。 疑問に関してかなり確信がもてました。 ありがとうございます。
- ceaser
- ベストアンサー率25% (201/784)
合気道を始めてから20年以上のものです。途中で何年も中断したりとか、あまり真面目な修行者ではありませんが。 動画に出ている先生は、合気道関係では長老格の先生ですね。大阪の進学校の書道の先生もされたりして、大阪の多くの学校の合気道を指導されてきました。合気道の興隆に大きく貢献された方だと思います。 触れずに投げるというのは、他の先生でもやっているのをテレビで見たことがありますが、私の身の回りの人たちは「また、やっているな。」くらいの感想しか持ちませんでした。 私が通ったことのある道場で、この手の技をやっているところはありませんでした。少なくとも触れて動きを導く技しか体験したことはありません。一瞬の錯覚を利用して崩すことはありますが、あれほど長時間に触れずに受けをコントロールすのは、催眠術でも使わないと無理でしょう。 この先生の道場とは言いませんが、ある道場では受けが技に「わざと」かかっているところもあります。よその道場から来た人間が、技がかからないのでそのまま立っていると、「何故倒れない。」と文句を言うそうです。私の周辺では、「あそこの技はぜんぜん効かない。」ということで意見は一致しています。そこに通っている人は、触れずに技をかけることが可能なのでしょう。一種の集団催眠みたいな状態です。 私の周辺では、「ああいうことを続けていると、合気道がダメになる。」と考えています。見てくれは良いですが、中身が伴わなくなります。合気道は約束稽古ですが、お互いに技がなぜかかるか、かからないか、考えて稽古しないと上達はありえません。ダンスでも、パートナーのリード次第で動きが変わるのですから、真摯に相手の動きを感じながら稽古しないといけないでしょう。
お礼
内側からの情報ありがとうございます。 ちょっと合気道をはじめてみようか考えていたんですが、 近所の道場がそんなのだったらたまりません。怖いです。
- Jack-Daniel
- ベストアンサー率20% (27/130)
合気道門外漢ですが… 基本、力(ベクトル)は、物を媒介して伝わります。 なので、触れてないという事は、受け手が自発的にやる事です。 色々考えてみました。 相手のモーションに合わせて、受身に入る練習。 相手の投げに逆らわずに、投げられてしまうという練習。 こんなの馬鹿馬鹿しいという自我の気持ちを殺して、相手に合わせようとする気持ちを養う練習。 元々、武器を持って攻撃して来たのを避ける練習が形骸化した物。 合気道は、相手に合わせて、少しずつベクトルを変えていくものって、イメージがあるのですが、弟子が師匠に合わせて行動してる様にしか見えませんでした。 何も知らない人間が見て、誤解したものを放っておいてるだけのような… 一応、CGではないので、信用していいと思いますが、これが何を目的とした動作の練習かは、知りませんよ。 そんな事をやっているというだけで「触れずに投げる」という奥義を見せているのか、別の意味のある練習をしているのか、には触れて無いですから。 真相を知る近道は、入門する事でしょうね。
お礼
触れていてもやけに受身とるのが早かったりするのもありますよね。 ありがとうございます。
- heyhey111
- ベストアンサー率27% (49/176)
合気道を習っています。 10段の人を見たことがありませんのでわかりませんが、触れないで相手を倒す事が出来るかはわかりません。 皆、それを目指して日々稽古をしています。 しかし、合気道は触れた時点で相手を征することが出来ますから、全てが嘘ではありません。 知らない人に技を掛けるととんでもないことになるので、あまり素人には本気技を掛けませんし、段位の低い人にも滅多に掛けません。 合気は誰でも持っていますから、それを鍛錬すれば凄い力を出すことができます。 火事場の馬鹿力も合気かもしれませんね。 まぁ、合気道は追求しても理解できる回答は得られないと思いますから、そんなことができるんだ程度がよいと思います。 追求するなら道場に入門して下さい。答えは数十年後に出ると思います。
- udonko759
- ベストアンサー率64% (11/17)
合気道の場合、演舞といってお互い予め動作を決めて置いて、もしくは阿吽の呼吸で投げたり投げられたりするアクロバティック(?)なシーンを良く見ますね。 また手をひねられたりして大げさに倒れたりするシーンも良く見ますが、技を決められた場合または決められそうになった場合、お約束の動作としてその様に倒れたりしなければ、本当に技が決まって関節などを痛めてしまうといった理由もあるそうです。 手が触れずに・・というのはさすがに無理だと思いますが、上記の動作などが段々と大げさになって行った結果なのではないでしょうか。 合気道にもいろいろあると思いますが、あまり行き過ぎると変な新興宗教やいんちき臭い演技に見えてしまいますよね。
- sankansion
- ベストアンサー率18% (14/76)
本当に技が使えるなら、門外秘にするためにもテレビとかには出ない気もする。 そういう技術は存在するとは…思いますがね。
お礼
詳しい回答ありがとうございます。 大東流の技に非常に興味ありです。