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善と悪について
例えば、アンパンマンを善、ばいきんまんを悪とした場合、この仮定は 本当に成り立つと思いますか?ばいきんまんは、自分の利益のために人に悪いことをしますが、アンパンマンは人を守って、ばいきんまんを退治してくれます。しかし、これには落とし穴があると思うのです。アンパンマンは、アンパンチすなわちパンチをすることでばいきんまんを吹き飛ばして退治してしまうのです。つまり、ばいきんまんはアンパンマンに暴力を振るわれるのです。この場合の暴力は善として見ていいのですか?また、少し前にイラク戦争がありましたが、この場合、戦争をしかけたブッシュが善、戦争されたフセインが悪としていいでしょうか? 大量破壊兵器は見つかりませんでしたが。アンパンマンでもブッシュさんでもいいので、悪と善の関係について教えていただければ幸いです。
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ここでは意識と道徳性の関係の幾ばくかを取り上げてみるだけにしよう。既に1871年にダーウィンは『人類の起源』の中で、道徳的生物は自らの行動について省察し、評価することができねばならないと述べている。彼の意見では、空腹や情欲などの短期的な欲望は、長期的な価値観によって抑えねばならない。ダーウィンは予期計画者が直面するジレンマを認識していた。将来の様々な必要を見越せる人間の能力は、二種類の複雑な状況に至る。まず、将来の様々な可能性を考えねばならないので選択肢の数がずっと増えてしまう。第二に、自らの選択について省察することができるので異なった種類の評価を互いに比較検討するということである。これら二つの複雑さは選択者に大きな不確かさをもたらす──甚だしい場合は存在上の不安を。この不安を緩和するために、人間には選ぶ際の手引きとなる原理が必要になる。 興味深いことに、ダーウィンは道徳性、すなわち自らの行動を省察し判断する能力を、進化の結果だと考えている。この考えは、殆どの人が道徳的な導きを得るのに宗教的な教理に頼っていた時代にあっては革命的であった。道徳は神によって与えられたものと見られていたからである。 道徳の原理は分離型の価値観であるといってもよい。動物も様々な目標──必要や欲求──を持ちうるし、それを満たそうとする意志も持ちうる。しかし、目標の分離型の表象を持てないので、その目的を達成したいのかどうかについてはハッキリした態度をとることができない。集団で暮らす動物は、ある種の社会的な規則、とりわけ集団内の序列に関する規則に従っている。しかしながら、それらの規則は個体にとって分離型の表象としては存在していない。動物は規則に気付かずに従っているからである。 ピアジェの主張によると、子供の道徳的価値観は、親や権威者に従うことからくるのではなく、他者に感情移入できる能力、すなわち他者の状況に自らをおくことができる能力からくるのだという。そのような役割の交換は、子供が他者の感情という概念をもっていることを前提としている。しかし、これだけでは道徳が生まれるには十分ではない。私が貴方に対して単に感情移入するだけでなく道徳的であろうとするなら、私は意識的な選択をしなくてはならない──つまり私の目標の分離型の表象をもち、それを他の可能な目標と比較できなくてはならない。従って、道徳的であるためには、自己意識と自由意志とをもっている必要がある。マーク?トウェインは、「人間は唯一顔を赤らめる動物、そうする必要がある動物である」と言っている。 道徳的な選択は個人的なものでありうる。しかし、我々が、他の誰かが同じ状況をいかに経験するかを省察することで、成すべきことを決断したのなら、他者が同じことをすると期待するのは自然なことである。従って、我々は言語を用いて、他者がすべきだと思うことをさせる。予期計画力に関する私の議論では、人間のジレンマに焦点をおいた。これは「自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからだ」という使徒パウロの言葉がその一例である。道徳的な規則は、長期的で全体的な目標を、今現在の自己中心的な欲求との格闘の中で支えていくために必要である。社会はそのような規則を、法律や宗教的教令としてハッキリ打ち出すことで成り立っているのである。 長期的な目標のために協力するか、今したい気分のことをするのかの選択は、しばしばゲーム理論では「囚人のジレンマ」と呼ばれる葛藤につながる。囚人のジレンマは、全員が協力すると全員が利益をうるが、自分以外の全てが協力する状況では、一人だけ利己的になって協力しないとより利益をうる。しかし、誰も協力しないと、結果は全員にとって最悪なものとなる。 経済学者ロバート?フランクは、恥や愛などの感情と信頼や誠実さなどの社会的価値は、囚人のジレンマにおける短期的な利益をうることを避けるために、進化の過程を経て生まれてきたと論じている。例えば、税金を払わないなどの、他人に対してズルをすることで得をしようとするなら、その結果としての恥のために得がさほどのものに感じられなくなり、次からはそのような詐欺的行為は避けるようになるであろう、ということだ。感情が我々に、短期であれ協調することに利があるということを経験させるのである。 社会生物学者は、遺伝子はそもそも利己的で、できるだけ多く再生産しようとする、と言っている。とすると、自分の子供や親戚に対しては時には利他的であるべきだ、ということになる。自分の遺伝子の再生産を促進するわけだからである。 多くの形態の利他的行為は、長期にわたる主体な関わりを必要とする。利己的でない者の戦略は、信用を築き上げるために、短期的な自分本位の選択をしないでおく、というものだ。信用は、将来の様々な協力関係に発展するだろうし、それは一時の儲けよりも価値のあるものとなるからだ。そのような戦略は、通常は意識的な選択ではない。言い換えると、人は自分の評価を気にするために利己的ではなくなる、というこだ。良い評価が得られれば、将来に利益があるかもしれない。つまり短期的に利己的でないのは、長期的に利己的なのである。 こうした、信用が通貨である、というような投資モデルをもとに考えると、日常の良識的振る舞いの合理的な説明が得られる。しかし、注意すべきことは、この議論は二つの前提に基づいている。一つは、予期計画力で既に今、将来の選択の状況のために計画しているのである。利己的な短期の選択の価値と、将来の協調から得られるかもしれない利益とを比べることができなければならない。動物は今に生きていて、良識的振る舞いの戦略に必要とされる予期をうまく扱うことができない。同様に、小さな子供は先のことを考えるのが難しく、可愛い盛りに大いなる利己主義なのである。
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- kigurumi
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人は絶対を認識できない。 というのも人間の特徴です。 何故イラク戦争をアメリカが始めたのかは、絶対を認識できないし、決定もできないとても限りのある私から見える風景ですが、、、、 アメリカの衰退を免れるには資源が必要です。 アメリカは石油が取れますが、十分国力を維持するには全然足らない。 サウジの王室と親密になり石油を輸入していたわけですが、サウジの方もどんどん値段を吊り上げてきた。 高い石油を買い続けることは、それだけアメリカの経済を圧迫していき、経済が停滞するばかりか麻痺しだす。 なによりアメリカ国民が政府に対して「なんとかしろ」と生活苦を訴えだし、自分達を支持しなくなってしまう危険がある。 国民の支持を得るためには国民と一致団結してあることをする必要があった。 第二の埋蔵量を持つイラクを国民と一致団結して乗っ取る というもの。 だけど、「のっとりましょう」と国民に行っても「そんな悪事できません」と協力してもらえない。 ではどうすればいいか。 パパブッシュの時代にイラクに核兵器の製造情報を流しておく。 そして計画にのっとってその数年後、子ブッシュがそれをネタにイラクを襲撃する。 「もっているはずだ」と強く言い張れた理由は、なによりパパがやっていたことをパパから教えてもらっていたから。 その通り。 パパブッシュから情報をもらっており、イラクは核兵器を作っていた。 だが、湾岸戦争で「石油問題でクエートに制裁を与えようと思いますが、ここでクエートに侵攻したとしたら アメリカはどのように動きますか?」と打診したところ、アメリカは「同種族同士の争いには不介入です」と答えた。 それで、イラクはクエートに制裁を加えた。 だが、なんと「不介入です」と言ったイラクが「正義の鉄建だ」と叫び、イラク兵をたちまち鎮圧してしまい、油田を破壊し海に流し、今回のこととは関係の全く無いイギリスで起きたタンカーの映像をもってきて、「イラクはこんなことまでしました。 100年は海は綺麗になりません。」など自分達がやった工作をイラクのせいにした。 イラクはここでアメリカが二枚舌を使うということを知ったわけです。 これじゃ 今後 アメリカはイラクに対してどういうことをするかわからない。 核兵器の製造方法を教えた理由も何かある と気づき核兵器を捨てた。 イラクが気づいたことを知らないアメリカは「イラクは核兵器を持っている」と言い張る。 やっぱり・・・・・・・。 10年以上前から計画されていた乗っ取りが開始された。 「イラク国民による当たらし政府を作ります」と言うが、そのイラク国民代表者はアメリカの息がかかった人たちばかり。 実質 アメリカ政府によるイラク政府です。 アンパンマンよりばいきんマンの方が子供達に人気がある。 ばいきんマン 名前はよくないが、菌が悪かというとそうじゃない。 善玉菌 悪玉菌。 悪玉菌も無いと人間の健康は維持できない。 両者がバランスよく存在してこそ、人間は生命を維持できているわけです。 子供に清潔状態をキープさせると、子供は抗体を作れず、人がかかっても殺せる菌も殺せず感染して発病してしまう。 弱い子供、生命力が小さい子供に育ってしまうわけです。 ということでバランスを欠くと人は病気になる。 アメリカはあんぱんマンなのか ばい菌マンなのか。 私から見ると悪者はアメリカ。 ところがアメリカは世界の中枢 つまり心臓部分の役割をもつまでになっている。 だから アメリカ経済が衰退すると 他の器官も弱ってしまう。 それじゃ 困るということで、各国もイラクに泣いてもらうしかないと アメリカを応援した。 日本もそう。 日本も悪者。 あくまで絶対を認識できない私の目から見たものですが。
- papipu01
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種々の行動は個別に善と悪の判断をされるので、トータルで見て善と言われたり、悪といわれたりしますね。 その判断として絶対的な善と絶対的な悪という定義や、世間的な善と悪なども存在します。 絶対的な悪というと、人に迷惑をかけることなどですので、ばいきんまんは悪ですね。人助けなどは絶対的な善なのですが、その方法が世間的に悪とされる暴力なので、これが説得で改心させるなどの方法であれば、完全にあんぱんまんも善になるのでしょう・・・。 アメリカが戦争を仕掛けた理由は基本的には他国に悪さをするイラクを懲らしめるというものですが、方法は戦争でした。 一般的に戦争は暴力ですので、非難もされます。 つまり一つの行動の理由と手段が相反する2つの評価を受けます。 ※リアルな背景は無視して書いてますので、悪しからず。 つまり全ての意思を持った行動には複数の側面があり、それは個々に善悪を判断される可能性もあります。 ですので、彼は善で、彼は悪です、のように一概に表現するのは厳密にはオカシイのですが、 なんらかの意思を持って実行された事が多く共感を得られた(多くの人が善だと思う)場合に、それは善と言われ、そうではない場合が悪だと言われるのだと思います。
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