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命の大切さを教えるには?
最近、少年犯罪が多発する傾向にあるからか、学校で「命の大切さを教える授業をする」という課題が出ました。 自分が教師になって小学校6年生を対象とした難易度で説明することが条件なのですが、どうもいい考えが思いつきません。 どうか、皆様の明晰な頭脳を貸して下さい。お願いします。
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一点、疑問が提示されたようなので、またしつこく登場致します。 じつは、憲法に書いてある「人間らしく生きる為の最低限度の生活」の所は、「最低限度の生活」だけを切り放して考えてはいけないというのが、憲法を研究する人たちの共通認識のようです。「人間らしく生きる」ための「最低限度」であって、単純に「最低限度」ではないということです。 そして、この「人間らしく生きるための最低限度」というのは、実は確定していないという状況のようです。これをめぐっては、幾多の裁判が争われ、有名なものでは「人間裁判」といわれた、生活保護受給をめぐる、朝日訴訟といわれる裁判がありましたが、最高裁判決前に被告が死去したので、最高裁は判断をしませんでした。(これについては、「朝日訴訟」で検索すれば資料が得られるでしょう) 現状では、そういう、いわば社会の最底辺の人たちの生活の向上を求める各種の沢山の団体の運動と、現在の行政の「財政難」による支出削減との間の綱引き状態になっており、運動の強い地域では少しはましな条件が得られ、運動の弱い地域では過酷な条件におかれているという現状です。その憲法のいっている「最低限」とは、何か、おそらくはこれからの日本を担うみなさんがご自分の頭で考える問題だろうと思います。残念ながら私たちの世代は、それらの仕事をサボってきたのかもしれません。もし、欲しい資料などがあれば、手の届く範囲で提供致します。
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- myeyesonly
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これは失礼しました。てっきり小学校の先生が・・・と早合点してしまいました。m(_)m それでしたら・・・二つほどテーマを差し上げましょう。お気に召したものがあればお使いください。 命の大切さというのは、すなわち、命を粗雑に扱ってきた歴史の裏返しだと思います。その最たるものは戦争でしょう。また、経済かもしれません。戦争の方はわかりやすいでしょうが、経済はわかりにくいと思いますのでちょっと補足すると、今、発展途上国では貧困に苦しみ、毎日沢山の子供たちが飢えや病気で死んでいます。日本円で10円にも満たない薬と数百ccの水で(具体的にはポカリスエットなどの中身と同じです)子供一人の命が助かるのです。しかし先進国にはこんな状態はないですよね。これを南北問題といい、国連が何をしても解決できない大問題なのです。そしてこの経済格差による貧困問題と戦争は実は密接にかかわりあっています。ある意味で南北問題は経済大国同士の戦争の結果なのです。このテーマはこのくらいヒントをあげればもう自分で調べるのに苦労しないと思います。 もうひとつのテーマは、「生きるってどうすることなのか」というものです。 日本の憲法にもありますよね?「日本国民は人間らしく生きるための最低限度の生活を保障する」生きるってだけなら、死んでなければ生きてます。 多分、たぶんですよ、この答えは私自身も持ってないですから。生きるためには目的が必要なのではないでしょうか?何のために生きているのか。生まれてくるのにはそんなものはないです。親の性行為の結果、私たちは生まれます。 しかし、この世に生まれ、自分が人間であると認識したとき、生きる目的が必要になるのだと思います。そして、その目的をはっきり持った人(一生の目的でなくても、当面の目的でも)は、輝いて生活できるし、人生に喜びを感じると思います。でも、その目的を無くした、あるいは見失ったとき、人はどうするでしょう・・・こんなテーマはいかがでしょう。 お気に召して、情報がほしい時は補足要求いただければと思います。
お礼
ご解答有難うございます。 テーマ2の「生きるってどうすることなのか」に興味をそそられました。 やっぱり「命」の問題は、論理的なものより、ある程度、感覚的に話したほうが解り易いのではという考えが出てきました。 あんまり関係ないかもしれませんが、憲法の「最低限度の生活を・・・」ってやつを以前勉強しましたが「最低限度」って微妙な表現だと思いません?誰を基準とした「最低限度」なのか、ちょっと疑問です。 早速、明日にでも同じ班に人に「生きる目的」について議論してみようと思います。
- asinohutaba
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あっ、高校生さんですか。 でも面白い授業ですね。 できればgiggs11さんがどんなときに「命の大切さ」を感じたのかお聞かせ願いたかったのですが、他の方へのお返事をみてもあまりハッキリしてなかったので、わたしなりの考えを述べることにします(補足要求しておきながら書き逃げするのもなんですし) 他の方のご意見を見るとやはり「人の命」を題材にお話なさっている方が多いですね。 当然と言えば当然ですが、わたしはちょっと違う方向から話をします。 ちょうど小学生くらいのときって、虫とかカエルとかを殺したりいたぶったりしますよね? でもこれって悪意があってやるんじゃなくて、小さいものの命とかに無関心なのと、そういうものへの純粋な興味からですよね でも、だんだんに普通の子はそういうことしなくなっていきます。 これには「命は大切なんだから生き物を殺しちゃダメですよ」って親、学校に教わることによって自制するかたちでやめるのと、自分で「生き物を殺すことは残酷な行為だ」ってわかってやめるのと両方だとおもいます。 カエルを殺せば嫌な臭いがして、お腹から卵のもとになるような組織が出てくるし、ザリガニを殺せば黄色い体液がでて、体を二つに千切ってもしばらくは意味もなく動いてる。釣った瞬間は背中が鮮やかなエメラルドグリーンに輝いているブリでも、すぐに青く色あせて体がしぼんで硬くなる。どんな生き物でも死ねばそのうち腐臭がしてくるし、殺した手にはヤな臭いがこびりつきます。 そんな体験をすれば、だれから教わるでなく、生き物から命が失われていく過程は、疑いなく残酷だといいきれるようになるし、なにより生き物の死は後味が悪いって自然に気づきますよ。 このくらいの歳の子って、人の生き死にで命のこと考えるよりは、身近な生物の命(上に書いたような遊びで殺しちゃった生き物とか、飼ってて死んだペットとか)を見て「命がなくなっていくのって残酷だ」って感じるんじゃないですか。 その延長で「人の命・命の大切さ」があるとおもうし、自分の体験として「命の失われる残酷さ」を感じていれば、そういうところに道徳とか倫理とか宗教とかっていう論理ではなく、感覚で敏感になれれるし、「なんで人を殺してはいけないか」なんて疑問をもつモンスターも出てこないと個人的には信じます。 なんか繰り返しになってしましましたが、授業の進め方としては、皆に身近で命が失われた体験を話し合ってもらって(自分で殺したのも、ペットの死も含めて)、そのとき個人個人で感じた「残酷さ」を、集団(クラス)での認識にしていく。ってのがベターかとおもいます。
お礼
ご解答有難うございます。 論理ではなく、感覚。解りやすさを追求するなら言葉を複雑に組み立てていくより、「見て嫌だ」と本能的に感じさせる、ということを説明すべきかな、という感じで少し骨組を固めていこうと思います。
- rosepink
- ベストアンサー率14% (33/233)
すごく難しいですね。自信なしです。 例えば、自分がどうやって生まれて、今までどのように育ってきたのかというところから説明する方法もあるでしょう。 母親がどんなに苦労して自分を生んだか、自分達を養うために、父親がどれほど仕事を頑張ってきたか、具合が悪くなった時は病院に連れて行き、寝ずに看病してくれたのは誰だったか・・・など 人は一人で勝手に育ってきたのではなく、何人もの人々に世話になり、大事にされて成長するのだということが判れば、少なくとも自ら命を絶つようなことはしないと思います。 ちょっと荒療治でも構わないのであれば テレビなどで殺人事件が報道されない日はありませんが、そのニュースを例に挙げて、「例えばこれが自分だったらどうだろう?突然自分の大切な人が誰かに殺されてしまった。犯人に対してどんな感情を持つだろう?」というところから始めるという方法もあります。 但し、「犯人を殺してやりたい」などという生徒が絶対出てくると思いますし、一歩間違えると周囲から「問題だ」とも言われかねませんので、周りの人と相談のうえ、慎重に対応して下さい。 意外と簡単なことで命は奪われてしまうものですが、突然命を奪われた者の無念さや、その家族・知人の苦しみ、悲しみは一生癒えることはないのだということを理解させて欲しいと思います。 そして、そのように誰かを悲しませたり、辛い思いをさせる権利など誰にもないのだということを上手く説明できると良いかも知れません。
お礼
ご返答有難うございます。 確かに小6の難易度ならば、身近な人間を引き合いに出せば解り易いかもしれませんね。 それに「殺された者の無念さ、周りの人の悲しみと、そんな思いをさせる権利は無い」というのは良い考えだと思います。 あと、ご親切に忠告して下さって恐縮ですが「問題だ!」って言われないと思いますよ。前回の課題は「どうして人を殺すのか」という難問を14歳編・17歳編・大人編と3度に渡って事細かく意見を出し合う授業を行いましたし、「少6が対象」と言いましたが、聞いているのは高3のクラスメイトです。その辺は説明不足で申し訳ありませんでした。 それにしても、命の授業って難しいですね。
- hira3
- ベストアンサー率40% (6/15)
非常にさめた考えですが、なぜ命が大切かといえば、自分が死にたくないからです。人や動物を自由に殺してもいいという社会では、自分の身が危ないから、みんなで「そういう事はやめましょうよ」という決まりをつくっているのです。戦争はイカンというのは、自分が戦争で死にたくないからなのです。今の社会では、人間は生きるために豚や牛の肉を食べることを許されていますが、殺人を犯すことは禁じられています。これが、将来他の動物が絶滅し、人間だけになったとき、生きるために他人を殺すことを咎める人がいるでしょうか?人間の動物としての「気に入らないものを排除する、生きるために他を殺す」という本能に対して、「それはいけない事だよ」と教えるのは非常に難しいことです。この「動物としての本能」と、「平穏な社会を造る」ということをよく理解したうえで、子供たちに教育してください。回答になっていませんでしたが、ここに参考となる本を紹介します。 「なぜ人を殺してはいけないのか」小浜逸郎著 洋泉社発行 680円 難しい本ですが、読んでみてください。
お礼
お返答有難うございます。 確かに、死にたくないと思うのは当然ですよね。 「自分が死にたくないから、他を殺す」。矛盾と言うか人間本位と言うか・・・ でも、やっぱり命の指導って難しいですね。
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
命の大切さということですが、この世の全ては突き詰めて言えば命に行き当たることでしょう。ですから、例え経済の話や工場で物を作る技術の話や、数学の難しい理論だって、その目指すところは、人間の生活を豊かにする事、そしてそれはとりもなおさず、生命としての人間はどうあるべきかというところに行き着きます。(ちょっと乱暴な展開ではありますけど) また、特にこのテーマでは、確固たる自信を持って主張し、理論だけでなく経験などの裏付けもないと、特に好奇心旺盛な子供に対して説得力をもちません。 ですから、ご自身で体験された事で印象深く残っていることを深く追求し、今、週末医療で言われているQOL(生命の質とか生活の質と訳されます)みたいな話に展開してはいかがでしょう。 私がやるならいくらかの素材はありますが、giggs11 さんがその素材に対して十分な経験と知識をもっているかどうかは不明なのでもう少し具体的に、こんなテーマが・・・というのがあれば、また書き込みたいと思います。
補足
説明不足で申し訳ありません。 医療と言われましても、たんなる高校3年生なので・・・ もう1つ重大な事を知らせ忘れました。 「小6を対象」と書きましたが、クラス内での授業の一環に過ぎませんので聞いているのはクラスメイトの高3の人たちです。 「具体的に」の答えが想像もつきません。ごめんなさい。
- asinohutaba
- ベストアンサー率48% (16/33)
回答にはなってませんが・・。 どういう所からこの課題をだされたのかわかりませんが、giggs11さんを教員養成過程の講義をとってらっしゃる大学生ではないかと推測し話をします。 「命の大切さを教える」とのことですが、この課題をこなす上でも、もし実際にこのような講義をおこなうとしても、既に意識されているとはおもいますが、giggs11さんが今までどのようなことによって「命の大切さ」を学んだかが重要になってくるはずです。 gigg21さんが自分が経験していない視点からでの、この課題の解決を意識していらっしゃるのでしたら見当違いな補足要求ですが、もう少しそこらへんを詳しく掲示してみてはどうでしょうか。
お礼
ご返答を有難うございます。 申し遅れましたが、僕は高校3年です。 聞く人もクラスメイトです。ただ内容的に小6の子供に解る範囲ってことです。 「商業法規」という民法を中心とした授業ですが、冠婚葬祭のマナーなど範囲の広い授業です。 ですから、かいつまんで教えてくだされば光栄です。
- tabio
- ベストアンサー率29% (5/17)
的外れの内容になるかもしれませんが……。 広島に原爆が落とされた日、広島で公の式典が開かれますよね。 正式名称は忘れてしまいましたが、何年前だったでしょうか、 その式典で、中学生の女の子が素晴しいことを言っていたのを 覚えています。 「原爆が落とされた日、私たちのおじいちゃん、おばあちゃんが 亡くなりました。そして、私たちの同級生も一緒になくなりました」 うろ覚えで、私なりに記憶操作をしているのかもしれませんが、 原爆投下の日、あまりに多くの人が亡くなりましたよね。 身籠もっていた人もいれば、結婚を控えていた人も、多く亡くなったはずです。 たとえばもし、原爆が投下されていなかったら、身籠もっていた人は子を産み 母となり、その子もやがて子を産み母となり、生まれたその子は私たちの同級 生になっていたかもしれません。ひょっとしたら、仲良しの友達になっていた かもしれません。 つまり、原爆が落とされたことによって、瞬間に多くの人が亡くなっただけで なく、つながりつないでいく生が強制的に断ち切られ、消えたことによって、 本来いたはずの同級生や先輩、後輩たちまでもいなくなってしまったわけです。 女子中学生の話を、こちらが勝手に拡大解釈、または違訳しているのかもしれ ませんが、これは戦争に限らないはずです。 命、それを単体として、あるいはひとつのものとして、その大切さを考えるの ではなく、それは過去からの長きわたってつながってきたもので、未来へとつ ないでいかなければならないもの、というふうに考えてみてはどうでしょうか。 今、ひとつの命を断つということは、すなわち、未来において存在するはずの 多くの命をも断ってしまうことになる、というふうに。 でも、あまりに難しいですよね。 命の大切さを教えるということは、なぜ命は大切なのか、ということから始め なければならないのでしょうからね。 もし、純粋な気持ちから「なぜ、命は大切なの?」と、子供が問うてきたら、 それに解を与えることができる人なんて、この世に存在するのでしょうか。 仏陀さんでも相当悩まれると思います。 しかし、それほどまで重要なことを、学校で教えなければならないとは……。 本来、これは親がなすべきことなのではないでしょうか。 そうであっても教えなければならないとすれば、giggs11さんは、解を与える ための例題を他に求めるのではなく、自身が経験なさったこと、気付かれたこ とによってしか、子供たちに説明してはならないのかもしれません。 あるいは、気付きの助けを他に求めることはよいでしょうが、これは人間の根 幹をなす、あまりに大きな問題ですから、ご自身を振り返りながら、あなたな りに「そうだ。だから命は大切なんだ」という答えを出し、それを信じてから でしか、子供たちに説明しなければならないのだと思います。 モデル的解答を求め、それを安直に子供に話したところで、子供は見抜きます。 「先生はこうだと信じているんだ!」的なものでしか、子供は理解しないでし ょうから。いや、理解させるのではないんですね。理解に至るまでの手助けに はならないのでしょうから。
お礼
長文のご意見ありがとうございました。 確かに、戦争は人の命の尊さを知るために大事ですよね。
お礼
何度もご返答をして頂き本当にありがとうございました。 命を授業の質問から法律の認識まで、幅広く勉強させていた頂きました。 明日の発表に大いに参考にすることが出来ました。 またいつの日か、質問者として現れるかも知れませんが、その時はまたよろしくお願いしますね。