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【手垢のついた○○の意味】
手垢のついた表現だなどという言葉を聞くことがあるのですが、ネットで調べたのですがあまり意味が理解できません。今後の人生のために知っておきたいです。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。
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皆さんの仰るとおりですが、あることばが人々の中で使われると、往々にして、社会化するなならともかく、俗化し、汚れが付いてくることが多いですね。いろいろに使われて。ことばはそういう目に見えた現象のほかにも、同じ言葉でも、言霊信仰ではありませんが、一つのことばはその人とは切っても切れない存在性が感じられることがたびたびですね。流行の「元気をもらった」とか、「刺激的」とか、事あるごとに、その人なりの工夫もなく安易に使われすぎると、とてもにごった、陳腐な表現になって響きますね。言葉の出し方は自分の存在から出してもらいたいですね。その中で社会化し、共有になって、広がることは賛成ですが、手垢の付く使い方は困りますね。文学には疎いし、特に西欧人の文学はよくわからないが、55年まえでしょうか、中学の時にロマン・ロラン、ジャンクリストフかな、著者が、「そっとクリストフの寝顔を覗き込んでいた、著者はせいぜい十二人の友達の間を・・。でも今は遠いところから帰ってくると、私も、君がクリストフかね。と驚かされている。」と序文にありました。うまい表現ですね。昭和の初めかもっと前には、「ギョウテとは俺のことかと、ゲーテいい」という川柳もありましてね。自分の発する言葉は、自分の中から出して欲しいですね。手垢をつけて人のことばを、そのままつかうのは、たとえ同じことば、同じ意味でも、ことばになりませんね。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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Ishiwaraさん、自分がいて、相手をみて、話さないのは恥ずかしい。いつもどんな時も(同語反復で)、相手に話すのですね。46年の最終三十五年は脚本のある、卒入式典の進行でしたが、それでもどの人にも話しかけるつもりで、隠れの身での進行でした。不器用ですから、そうやってしか自分はできませんでした。時に寄せられる思いもしないお褒めは別に何の感興もおきませんでした。そうしかできなかった。会場が和やかに、笑いに包まれても、もうそれから四十数年になって思い出す。夢中で、自分の新鮮であろうとだけして、それで漸くというのが、初めて普通であれるのでしょうか。
- Ishiwara
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本多勝一さんの『文章読本』に「手垢のついた表現」の例として 「芋を洗うような混雑」 というのがありました。この章は、とても印象的でした。 つまり「文章は自分の頭で考えて書け、何度も他人が使い古した表現をそのまま使うな」ということです。 私は、この本を読んでから、多少自分の文章が良くなったと感じています。
- Parismadam
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はじめまして。 すでに回答は出ていますが、少しだけ補足を。 1.「手垢」は文字通り「垢=汚れ」のことですから、「使い古された」「何度も使用した」という意味で使われています。 2.「手垢のついた」という表現は、「垢」という語感から、どちらかというと悪い意味に使われることが多いですが、いい意味でも使用可能で、話し手の主観によって使い分けられます。 (1)いい意味での解釈: 「古風な」「年季の入った」「経験を感じさせる」「熟練された」という意味で使われることがあります。 (2)悪い意味での解釈: 「ぼろぼろになった」「古臭い」「時代遅れの」「平凡な」という意味で使われます。 3.ご質問文にある「手垢のついた表現」は「使い古された表現」という意味ですが、文脈、話し手の主観により、いい意味、悪い意味どちらにも解釈が可能です。 (1)いい意味での解釈:「知識の深さを感じさせる表現」「熟達を感じさせる表現」 (2)悪い意味での解釈:「平凡な表現」「陳腐な表現」 以上ご参考までに。
ん?そのままですよ。 手の垢がつくくらい、使い古された言い回しや、表現の事ですよ。 国語学者ではないので、知っていることだけ。
- rinring
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使い古されたという意味だと思います。
お礼
某知事の作った映画の批評で「手垢のついたセリフが多い」という表現でラジオで耳にしました。 皆さんの意見を聞いてなるほどと思いました。ありがとうございます。