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ルソー エミールについて

1.どのような歴史的、社会的背景から出てきたのか。 2.教育思想 3.受けた影響と与えた影響(日本も含む) 4.教育方法   についてなんですけど、図書館に行っても本がなかなか見つかりません。レポート提出期日が明後日なので間に合いません。今からチョット遠い図書館に行ってみますが助けてくださいm(_ _)m

みんなの回答

  • zara
  • ベストアンサー率28% (10/35)
回答No.2

すでに参考のHPなどが挙がっていますので、私はそれ以外のものを。 きっとレポートのいい香辛料となるでしょう。 名著の一つ『エミール』は現代にまで影響をおよぼす教育論を展開しますが、 その著者であるジャン・ジャック・ルソーその人の現実とは相反します。 彼はそのような名著を後世に残しつつ、 自らの子らを、ことごとく孤児院へ送り込んでいます。 しばしば思想や理論・方法を評価するさいに、 その背景の倫理的側面からそれ自体が否定される場合がありますが・・・ さて・・・。

megumi7
質問者

お礼

すばらしい香辛料、ありがとうございました。今日中に頑張って終わらせます。助かりました。本当にありがとうございました。

noname#1806
noname#1806
回答No.1

今や教育学の名著として名高いルソーの『エミール』も出版当時は危険思想として焚書となり、ルソー自身もお尋ね者となったそうですね。 1760年にリュクサンブール元帥のモンモランシー邸で完成された『エミール』の原稿は、すぐさま国内で刊行されませんでした。18世紀中葉当時のアンシャンレジューム期のフランスでは、書物の検閲が行われており、『百科全書』(1751-80)を編集したディドロ(D.Diderot, 1713-84)やダランベール(d'Alembert, 1717-83)ら百科全書派に代表される啓蒙主義者たちの言論は大きく制限されていました。彼らに理解のある司法官マルゼルブが検閲を監督しており、『エミール』の出版に好意的な反応を示していたとはいえ、出版に危惧を抱いたルソーは、フランス国外での出版を当初主張していました。その後の紆余曲折の結果、『エミール』はパリとオランダで同じ1762年に出版されることとなりましたが、ルソーの不安は残念ながら的中します。 出版後、パリの高等法院は、反宗教・反王権の罪により、『エミール』の焚書と著者ルソーの逮捕を命じます。やむなくルソーは、以後10年近くにおよぶ放浪生活を余儀なくされたのです。パリ版がこのような運命をたどる一方で、オランダ版は、ここでも出版禁止となる前に、各地に広がっていきました。しかし、出版された1762年のうちにも、すでに多くの偽版が出現しており、現在ではもはや本物の初版かどうかは慎重な確認作業が必要となっているようです。 教育思想・教育方法については http://ha3.seikyou.ne.jp/home/Kazuhiro.Yamaguchi/00mae/00maecurri/00maecurri7.html http://members.tripod.co.jp/rgotou/edu11.htm あたりが参考になるのでは。 影響に関しては、 http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/tsukubane/2402/yamauchi.html ちなみに老婆心ながらこれを見ることもお勧めします。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~hmminami/ronbun.htm

参考URL:
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/Kazuhiro.Yamaguchi/00mae/00maecurri/emile.html
megumi7
質問者

お礼

ここまで詳しく教えていただき、本当にありがとうございました。今日中には何とか終わらせます。本当の本当にありがとうございました。

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