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朝鮮総連はどのように成立したのか?
北朝鮮系で共産主義を掲げる朝鮮総連はどのような過程で成立したのでしょうか? 先日の質問で、在日の方の国籍は朝鮮籍と追加された韓国籍で、北朝鮮籍というのは存在しないと聞きました。 在日の方で、共産主義の方が総連を結成したと言う事なのでしょうか?国交が無かった北朝鮮からの働き掛けによるものであったのでしょうか?そんなことが可能であったのでしょうか?
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1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定後、金日成は、北朝鮮復旧の「人・金・技術」を緊急に必要としました。ソ連・中国への援助要請だけでは足りません。そこで、目をつけたのが、76万人の在日朝鮮人でした。金日成は、それまでの日本共産党系「民戦」と在日朝鮮人日本共産党員を、北朝鮮側に取り戻す路線を打ち出しました。この路線転換には、中国共産党の実質的な指令がありました。 その結果として、金日成路線が勝利し、(1)「民戦」解散、(2)在日朝鮮人日本共産党員全員の日本共産党離党、(3)翌日「朝鮮総連」結成、(4)在日朝鮮人の朝鮮労働党員グループ結成、非公然組織「学習組」結成へと進みました。 以上が宮地健一氏のHPからの引用です。 因みに、総連のHPでは、以下のように記載されています。 一見かなり歪曲してるようですが、朝鮮戦争後の北朝鮮復旧の為に、金日成が在日朝鮮人を利用しようとしたと言うことは、はっきり書かれていますね。 当時の韓徳銖前議長をはじめ愛国的活動家は、誤った道に進んでいる在日朝鮮人運動を正すため全力を傾けた。 難局からの活路を模索していた愛国的活動家たちは、1952年末に在日朝鮮人運動の実情を金日成主席に報告した。 在日朝鮮人運動の実態を知った主席は、心痛のあまり眠りにつくことができなかった。主席は在日朝鮮人運動の進路を正すための遠大な構想を練った。 こうして、朝鮮戦争が勝利した後、主体的な路線転換方針を示し、それを実現するためのたたかいを賢明に導いた。 金日成主席は、当時を回想してつぎのようにのべている。 「わが党は、朝鮮人はなによりもまず朝鮮革命を行うべきであり、在日同胞は民主主義的民族権利を守り、祖国の統一独立を実現するためにたたかうべきだという在日朝鮮人運動の路線転換方針を示しました。」 主席が提示した路線転換方針の内容は、第1に、在日同胞は日本に住んでいるが日本の革命のためにたたかうのではなく祖国のために貢献すべきであり、第2に、在日朝鮮人運動は同胞を祖国のまわりに集結させ祖国との緊密な連携のもとで進められるべきであり、第3に、在日同胞は自らが主人となって運動を展開すべきであるというものであった。 チュチェ思想と主体的海外同胞運動思想にもとづいて示された路線転換方針は、存亡の危機に直面していた在日朝鮮人運動を救い、新しい発展の道を開いた。 あと、ご質問の「北朝鮮籍」については、日本は、北朝鮮と言う国自体を認めていないので、当然そんな国の国籍も認めていません。 前述どおり、総連設立に関わった大半の在日朝鮮人は、当時の日本共産党に所属しており、当時日本共産党は、朝鮮労働党と友党関係にあったため、国交はなくとも、北朝鮮の指令は、日本共産党のルートを通して問題なく在日朝鮮人に届きました。
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- nobadymen
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聞くより調べた方が早いかと。 その手の情報がゴロゴロ出てくると思いますよ。
補足
共産党が協力していたんですか。良く分かりました。