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シンプルすぎる質問ですけど、人にやさしく生きるためにはどうしたらいいのでしょか?
人間だもの・・・ 生きてたらねたみそねみいじめ罵声などなど嫌な思いします。 不平や不満ばかりだと心がしんどくなってしまいます。 私は心が穏やかに生きるには人のために人の喜ぶために生きるべきだと思います、奇麗事ではないです、自分勝手に生きてては心がしんどいってことに気が付いております。人の心は金で買える発言で有名な方は大金持ちですが、あまり幸せそうには見えません。やはり人の幸せをねがうようになれれば生きやすくなるのでは?って思います。 しかし、世の中生きてたらいや~なことに遭遇します。 そのまっただなかにいるときにはそんな穏やかな気分ではいられません、愚痴を言うし、不満もたらたら言います。そいでもって心はしんどくなる。人にいじめられてうらみをもつ。そういう感情は抑えられません。でも、心がおだやかでいるためには人にやさしくして生きていくべきなのです。私は偽善者ではないです。心はどっちかといえば悪人で自分勝手なほうですから、こうであったらいいなあって思うのです。実際、人につめたくしたらしんどいのは私自身ですから。まあ心がやすらかに生きたいから、親切にするってところも自分中心ですけど。 状況がしんどいときって不満言ってしまうし、思うことだと思います。 ですが、「感謝の気持ちをもつ」ことで救われそうな気がします。 状況的にあまり感謝できる力がないときに、どのようにして上記のようにプラスへの転換、感謝の気持ちをもつことできますか? できれば人にやさしく生きて生きたい。そうでないと心しんどい。けど、それは状況次第では実行が難しいです。結局、状況的にしんどいと、自分中心で、うらみねたみそねみの世界に入ってしまうのです。嫌な人がいれば、その人に嫌なことを言われて、言い返す。これも悪な部分。しかし、人にやさしくいたいって思ってるのに、いじめてくる人にはむかうってことはその人に悪人への道へひきずりこまれてるってことですね。文章支離滅裂ですが、自分勝手に生きてきた私が、人に優しく生きて生きたいです。どうしたらいいですか?今こんなこと思ってますが、また状況次第では悪な部分を持ちそうです。氷川きよしさんや、谷原なんとかさん、江原ひろゆきさん、森久美さん、石塚さん、つるべぃさん、国分太一さんみたいなやさしい感じでいられたらいいなって思うのです・・・
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これだけ多くの雑多な人間が集うサイトで、良識的な人は多いし、いじめを憎む人は多いし、他人の不幸には心が痛み、他人の幸せを望む優しい人々が知恵を出し合っているというのに、世の中には大人の世界にも子供の世界にもいじめは無くならないし、自殺も暴力も孤独死も精神を病む人も無くならないのはどうしてなんでしょう。 人に優しく生きるのは理想だし誰しも口にするけれど、動物の本能として、優しさよりも強さ、快活さ、聡明さ、前向きさ、適応力などを自分が生きる上で、あるいは他人を量るうえで重きを置いているのが本当だろうと思います。 自分が心やすらかに生きたいから他人に優しくしたいという気持ちはとても良くわかりますが、強くて優しい人は慕われますが、弱さの裏返しの優しさは、悲しいけど破綻します。 弱いから、弱い人を助けることも出来ないし、悪意に出会えば、簡単に餌食になるし、自分が悪になるかもしれない。 結局、やさしい感じではなくて、ほんとうに優しく生きていきたいなら、生まれながらの善人ではない限り、優しさを貫ける強さを持つことが必要なんではないかと思います。 そのためには、自分を磨いたりとか、たぶん私のような怠け者には一番つらい「努力」が必要になってくるではないでしょうか。
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- dadachamame
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「優しさ」と言っても、受け取り手の状態で余計なお世話になること、反対に冷たいととられてしまうこともあります。 逆に、相手が望む「優しさ」が自分を苦しめる場合だって有ります。 例えば、質問者の周囲の自己中な人は、自分の都合のいい風に動いてくれる人を「優しい」、思うとおりにしてくれない人・都合の悪い事を指摘する人は「冷たい人」と言いませんか? 子育ての場合では、親が何でもアレコレ過保護に世話してあげるだけでなく厳しくする事も長い目での「優しさ」になります。 「優しそう」と「優しい」は必ずしもイコールではありません。 「優しい」って、とても難しいことですね。 (見た目だけなら、感情がおだやかで普段誰にでもニコニコしてれば優しそうに見えます。) 私は「自分がされて嫌なことはしない」が始まりだと思います。
- himawari00
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質問者さまが優しい人かどうかはご自身が決めることではなく、周りの人が決めることです。 貴方の常識で良かれと思った優しさは万能ではありません。 優しくしても時として人をダメにしたり、傷つけたりすることもあります。 優しさは万能ではないのです。 また「優しく在りたい」と言うのも一つの欲望でしかありません。 自分自身以外の者にはなり得ません。 貴方を救うのは「優しい人」になることでも出来ない「感謝」をすることでもありません。 そういう自分をただ見つめることだと考えます。
- izanai
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私はなぜか、通りすがりの人に何かを尋ねられます。 道であったり、何かのやり方であったり。 外出している時間が長い日は、日に何度もの時もあります。 思い起こすと若い時からそうだったような気がしますが、子供と外出するようになった頃、その回数の多さに気付きました。 知らない人に何かを尋ねる場合、どの人にしようか選んでいると思います。 パッと見、優しそうに見えてのことなら、私がそういう立場にある運命を持っていることでもあるので、対応するしかないのです。 (何しろ旅行先でも道を聞かれる程なのです) 中には、何かを聞くついでに、人と会話をしたいと思う人もいます。 途中までご一緒させて頂いたりすることもありました。 (私が望まなくても) そして、そのような時、長い間茶道を習っていたので、「一期一会」の気持ちで接していたのですが、こうして通りすがりの人のちょっとした役に立つことが、いつか巡り廻って私や私の周りの人達が助けてもらうことになるのかも…と思うようにもなりました。 そう思うと、急いでいる時に道を聞かれても、知っている範囲で教えてあげれば良いんだ…とか、最終目的地の途中までを教えて続きはまた聞き直してもらえば良いんだ…とか、臨機応変で対応すれば良いと気付きました。 現在、母が入院していますが、命拾いさせてもらった分、また廻さなきゃ!!と思います。 >状況がしんどいときって不満言ってしまうし、思うことだと思います。 ですが、「感謝の気持ちをもつ」ことで救われそうな気がします。 自分がキツイ時は無理しないで良いと思います。 そういう時は、巡り廻って「優しさ」があなたに帰ってくる時だと思います。 また余裕がある時にその気持ちを誰かに廻して下さい。
- hamontukai
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こんにちは。とても重要なヒントは既に体得されていますよね。 自分に余裕があること。それが本当の優しさの前提だと思います。 自分に余裕がないのに、優しくする事は偽善です。 優しくすることで見返りを求めているか 優しくすることでその人間に依存しているか 優しい人物像こそ素晴らしいと、自己肯定したい気持ちか 余裕があると、自然と力が他者にむかいます。 ちなみに感謝される優しさはその人間の為になることをすること です。相手の立場に立つとニーズを把握できます。その上で ニーズを直に満たしてやるか、それともあえて忠告等をするのか? 厳しい事を書いたかもしれないが、本当の優しさについて考える 良い機会になってくらたら、と思う。
- chocola118
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こんばんわ。 またお会いしましたね。 周りの人は自分を映す鏡だ、というような事を聞いたこと ありませんか? 自分がイライラとした気分の時、なぜかもっとイライラするような 状況に遭遇してまったり、逆に心穏やかな気分の時には うれしいと思える状況がやってきたり。そんな経験ないですか? 人に優しくしたいけど、状況次第で実行が難しい・・・というのは 実行できない状況を自分で創ってしまっているかもしれません。 いやな人がいて、いやな事を言われるのは、まずあなたが その人に対していやな感情を抱いてしまっているからです。 そして言われた事に対して、言い返していれば、また同じような いやな言葉が返ってきてしまうでしょう。 ですから、いやな状況に会った時には、まず自分の心を見直して みるといいのではないでしょうか? 人はどんな状況でも感謝の気持ちを持つ事は可能だと思います。 「朝、気持ちよく起きれたなぁ、ありがたいな」 「今日は天気がいいなぁ、ありがたいな」 「食後のコーヒーおいしいなぁ、ありがたいな」 普段当たり前だと思っていることでも、改めて考えてみると 感謝できることなんだと気が付く事が出来ると思います。 と言うよりも、こんなにありがたいことを当たり前だと思っていた 自分の傲慢さに気が付きます。 slimdank23さんがこんな人みたいに・・・と言っておられる方たちは みな傲慢さがない人たちのような気がします。 もし良かったら、たくさんのことにありがとうと言いながら 生きてみませんか?
- ptyfsu
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>状況的にあまり感謝できる力がないときに、どのようにして上記のようにプラスへの転換、感謝の気持ちをもつことできますか? 「今自分が置かれている状況に、あなた(やさしくする対象の人)が置かれていなくてよかった」と思う等はいかがでしょうか? 自分がしんどい時、人にそのしんどさをぶちまけたり、ひどい時はそのしんどさに巻き込もうとしたりしがちですが、 そこをあえて「あなたが今、私のように苦しんでなくてよかった」と思えれば、その感謝の気持ちで救われたりしないでしょうか? あと、人に優しくしたいのなら、自分が「しんどい」のと天秤にかけてはいけないと思います。 自分がしんどいのが嫌だから人に優しくするというのは「人に優しく」しているのではなく、結局「自分に優しく」していることにならないでしょうか。 私は、自分がしんどくない時の優しさは偽善に近いものだと思います。余裕があれば人助けは簡単です。 例えば、後ちょっとで電車を降りる時は満員電車で立ってる老人に席を譲ることに迷いはないけど、あと1時間以上も降りない時は席を譲るのにためらいます。 自分がしんどい時でも人に優しくできる人になりたいですね。
こんにちは。 しんどい時やいやな思いをした時でも、心おだやかに、人にやさしくすることって難しいですよね。どんなときでも、というのは難しいですが、人にやさしくいられるためには、自分の心の中を「好き」で満たしてあげることかな、と思います。 自分がしんどくても人にやさしくいられたときってどういう時かな?と考えてみたのですが、結局、好きな存在(人でも動物でも趣味でも)が身近にあって、それが支えになってるときには、いろんな人にやさしくいられたな、という気がします。そして、好きな存在が増えれば増えるほど、どんどんやさしくなれたように思います。 たしかに、状況によってそれがすごく難しいことは承知しております。でも、「いやなこと」が心の中を占めているときに、人にやさしくなるのは至難の業ではないでしょうか。好きな音楽を聴く、好きな友達に会いに行く、好きなものを食べる、などなど。そういった「好き」を身の回りに増やしていかれることをまず考えてみると良いのでは、と思います。自分にやさしくできない人は、人にもやさしくできないと思うので。 ご質問者様が例に挙げられた有名人の方。心底やさしい人かどうかはおいといて、やっぱり「人間が好き」なんじゃないでしょうか?人が好きだから、人からも好かれて、そういういい循環の中に自分を置くことができるのかな、と思いますよ。 あくまで個人的な意見ですので、ご質問者様のお考えと会うかどうかは分かりませんが。。。ご参考になれば幸いです。
- unun000
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いつも穏かな気持ちでいられたらと願いますよね。 でも、それこそ人間ですもの、負の感情だって大いに認めて良いと私は思います。あっ、別にそれに流されて良いってことじゃないですよ。どろりとしたイヤ~な感情を持ちつつも葛藤して悪戦苦闘を続けることが出来れば、という話です。そんな人間臭い姿って、とても尊いと思えるから。 ちょっと感じたのは、自分の感情を殺してまで質問者さんは「優しく」いたいのかなあって。誤解でしたらごめんなさい。ただ、ちょっと我慢しすぎじゃないかなぁって。 思うに、嫌なことを堪えて堪えてお面だけ穏かを装ったところで、幸せの連鎖はないと思うのです。それは優しさや真の平穏とは違いますよね。いじめっ子には言い返せばいいし、不当だと思ったら声を上げればいい。それは「優しくない」ってことではないでしょ?人とぶつかるのって、本当はとても有意義なことだと思います。面倒がゆえに、大切なのだと思います。でも乗り越えていく毎に、人を受け入れ、許し許されながら、しんどさが優しさに転化されるのではないでしょうか。そうやって獲得できた優しさは強いと思います。 余談ですが。ブラウン管に映るタレントさんは虚構の人たちです。そういうキャラを演じて私たちを楽しませてくれているに過ぎません。彼らだって四六時中あの調子ではないはずです。なのでタレントさんと比べたり目標としたりする必要なんてないですよ。 血の気が多い私が言えることではないのですが、ちょっと無理をされすぎてるんじゃないかなぁと感じたので。
- akira-45
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困っている人を見かけたら手助けをしてあげることでしょうか。 私は助けを求められる方が多いのですけどね。 スポーツのサークルに参加していますが、身勝手なプレーをする人には注意します。嫌われようが好かれようがどうでもいい世捨て人のような気持ちでいます。その方が肩の荷を下ろせて楽なので。
人に優しく生きるというのは全てを受け止めて笑顔ですごす事ではないと思います。 時にぶつかり合い、自己嫌悪に陥り、人を傷つけ傷つけられる。当たり前です。お互い生きているんですから。 やさしく見える人が傷ついていないなどという事はありません。自分の態度と相手の言葉にやわらかく対応しているのであって決して特別な人たちではありません。 人と接する際にやさしく接するとやさしくされると感じませんか?そのやさしさが通じない人も少なくないでしょうが私は、トータルでは通じる人が多いと思うのですが。 無理にやさしくするのではなく、やさしくできる選択肢があるならそちらを選ぶ。これでいいと思います。ただ感情を殺し、八方美人になるのは結局は自分を殺し、自分の中の相手を殺す事になってしまうと思います。 人間が出来ているとか丸いといわれる人はぶつかり合った結果に達した境地です。最初から出来ている人はいません。
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