- ベストアンサー
キャパの大きい人間になりたい
既婚、二児の母です。 人にも指摘されたことがありますが、私自身も自分ってキャパが小さいなと思います。キャパが大きければいろいろな人を受け入れて自分も楽しく生活できると頭ではわかっているのですが、なかなか実践できずちょっとしたことでも軽く嫌悪感を抱いてしまいます。だから好きな人、気の合う人が少なくなってしまうのです。 こちらが嫌悪感を持てば相手にも通じてしまう、ということもわかります。さすがに自分の若い頃と比べれば少しはキャパが大きくなったとは思いますが、それでもまだまだ小さい人間です。 キャパの大きい人間になるには具体的にどのようにすればよいでしょうか?もっとたくさんの人のことを好きになりたいので、ヒントをください。お願いします。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
#2のhappyrunです。 >私が悩んでしまうのは、例えば出産祝いのお返しをしない人、お稽古事の月謝を1年も払わずに通ったうえにお稽古事の回数を増やしてくださいと平気で言う人、あなたの子供も○○ちゃんとは遊ばせないでと命令してくる人、等々の人々とのお付き合いです。 自分の問題と、相手の問題をわければいいのではないかと思います。 ○出産祝いのお返しをしない人 あなたが出産して祝い返ししない→問題あり、改める。 友達にお祝いしたのに返してくれない→自分は礼儀果たした問題なし→ ただ、相手は「失礼な人」である→今後のつきあい方を考える(表面的な社交辞令にとどめる、次できてもしない、など) ○お稽古事の月謝を1年も払わずに通ったうえにお稽古事の回数を増やしてくださいと平気で言う人 これはあなたに被害があったわけではない→問題なし、気にしない あなたに被害があった場合→問題あり、その方に事情説明して払ってもらわないと増やないことを説明、それで払ってくれないなら退会してもらう ○あなたの子供も○○ちゃんとは遊ばせないでと命令してくる人 聞き流してすみそうなら聞き流す。 聞き流せない、今後のつきあいに支障ある→問題あり、その方と相手の問題であって自分に求められると困ると説明してみる→それでもいうくらいなら、距離を置いたつきあいにする 相手の悩みか自分の悩み(問題)かを分けて考えて、自分が直接関与しないことには、問題なし、他人のことでいらいらするのはもったいないと割り切る。直接被害ある等々の場合は、正当な理由をお願い調(下手に出た感じ)で説明して、わかってもらえないなら距離を置くようにすればいいのではないのかな?と思いました。キャパの問題ではなく、対応や方法を考えていけば、好き嫌いで判断することもないと思います。
その他の回答 (9)
まず思い出した方が良いと思うのです。 というより、忘れない方が良い。 質問者さんも卑怯なずるをしたり、見栄をはったり、嘘をついたり、人を選り好みしたり、自分勝手に考えたりしたことが絶対あるはずなのです。 積極的にとは言いません。 でも、必ずあるはずなのです。 「自分と違う人を認める」のは結構体力がいります。 けど、「自分もこの人もそうそう大して違わない」と考えれば多少は相手に対して寛容になれませんか。 人間材料はおなじですからね(笑) 質問者さんが「器大きい」と思ってる人だって、きっと質問者さんと大して違いませんよ。
お礼
回答ありがとうございました。 参考にさせていただきます。
補足
>質問者さんも卑怯なずるをしたり、見栄をはったり、嘘をついたり、人を選り好みしたり、自分勝手に考えたりしたことが絶対あるはず それはあると思います。自分が完璧だとは思っていません。 >人間材料はおなじですからね(笑) 質問者さんが「器大きい」と思ってる人だって、きっと質問者さんと大して違いませんよ。 そうでしょうか・・・私はいろいろな人に出会っています。そのうえで、やはり人にはいろいろあるな~と感じています。例えば、研究者の集団と元ヤンキーの集団はかなり風味が違います。バリバリ働いている専門職の女性の集団と一日の大半を井戸端会議に費やしている集団もかなり風味が異なります。同じような集団の中で一生過ごすのであれば、「自分もこの人もそうそう大して違わない」と考えるのはたやすいのですが・・・ そのうえで、やはり自分と「器の大きい人」は違うなと思っています。
No.6 mimosukeです。お礼と補足をありがとうございました。 うまく意味を伝えることができなかったので、再び回答をさせて下さい。 まず、私の伝えたかった事は、いい所さがしをしましょう、という意味ではなくて、 まあ、人には長所短所もあるから、いやな所ばかり気にしないように、という意味です。 気にしていたら、相手の他の部分が見えなくなるし、 一方的に敵意を持ってしまうので、何かされたら必要以上に 自分が悩んでしまいますので・・・。 それに、相手のいい所は、いやだなぁと思いながら接していると、 ふと、偶然見つかるものだったりするので・・・。 No.2&8さんの書かれてあるように、 「相手の悩みか、自分の悩み(問題)か分けて考え」て、 自分に直接関わりないことは問題ではないと割り切ること、 そのような考え方が重要だと思います。 相手の嫌な所に振り回されないためにも。 補足に書かれてあった給食費のような、 「逃げ得」「他の人もやっているから別に良いのでは」という類の理解しがたい人が最近多いですが、 頭から拒絶、顔も見たくない会話したくないではなく、 そんな事をする人と話をする機会があるなら、やわらかめに、 「本来、親が弁当を持たせる所を、 お金を払って学校に作ってもらって食べさせてもらっているのだから、 子供にとっては、親が用意したのと変わりないから、 その食事を『いただきます』ということでは?」と (個人的にそう思うだけですが)、 自分なりに意見を持って発言することも必要だと思います。 ある意味、そんな事をする人が、素朴な疑問をなげかけてきたと思えば、 何となく払ってきたけど、どういう意味だろう? と考えることができるし、 答えが見つかれば、その人に言える訳です。 それで分かってもらえないとか、ママさんいじめにあったとしても、 そんな事をする人の方がどう見てもおかしいので、自分自身は毅然とできるはずです。 どうしても合わない人っていますが、 心に距離を置きつつ、私にとっては今はあの人の嫌な所しか見えてないんだ、と心に留めて、 無理に仲良くしようとせず、話しかけられたら普通に受け答えるという接し方をすればいいのではと思います。 嫌な人に遭遇すればするほど、「あ、世の中こんな人がいるのねぇ」と、 いろんなパターンの人間を知ることができて、 それがキャパシティーの広さにもつながるのではないかなぁと思います。 まとまりない文章ですが、私の思うキャパの広げ方はこんな感じです。
お礼
再び回答してくださってありがとうございます。 >私にとっては今はあの人の嫌な所しか見えてないんだ、と心に留めて というのは大事ですね。私が見ているのはその人のごく一部だし、今という限られた瞬間だけですものね。 >自分なりに意見を持って発言することも必要 やんわりとしたものの言い方ができるようになりたいと思います。自分の常識を人に押し付けるのはよくないですが、やはり良識は持っていたと思います。自分に厳しく、人に優しくというのを心がけるといいのかなと感じました。 皆さんの回答を読ませていただいて力をいただいたように思います。自分が気をつけなくてはいけない点が多々わかりました。どの方の回答も実になりました。質問をする前と今とではそれほど時間が経っていないのですが、それでも私の気持ちの持ちようが変化しました。お時間を割いて一緒に考えてくださってありがとうございました。そろそろ締め切ろうと思います。
- momosama01
- ベストアンサー率27% (91/331)
たびたび失礼します。No.5です。 補足、読ませていただきました。 >嫁の立場だとかなり・・・ そうですね。「嫁」としての人間関係なら嫌でも関わらないわけにはいきませんよね。 それならいっそう「嫁」という立場を「業務」「仕事」と割り切ってみてはいかがでしょうか? 「嫁」として関わらないといけない非常識な人たち、「人としてどうよ?」と思う人たちも 「職場」によくいる「非常識で嫌なお局様」と捉えては? もし、職場に「権力を持った性格の悪い非常識なお局様」がいたらどうしますか? 私ならまず、極力関わらないようにします。 そして仕事で絡みがあれば、極力余計なことに触れないように必要なことだけを失礼のないように細心の注意を払って?接触します(笑)。 ようは、とばっちりがこないようにそれだけを考えます。 それではキャパを増やすことにならないからだめですかね?(^^ゞ でも、人間なんだから誰にでも好き嫌いはあって当然だと思います。 誰にでも、どんな非常識な人でもその人の中に美点を見つけて受け入れる、 というのは難しいですよ。そんなことできたら御釈迦様になってますって。 ある程度「この人はこういう人なんだ」って一線引いて付き合うことがあってもいいんじゃないかな、と思います。
お礼
>ある程度「この人はこういう人なんだ」って一線引いて付き合うことがあってもいいんじゃないかな、と思います。 一線を引くというのはいいですね。それも仕方のないことですね。ただ、私も「苦手だな~」がわりと正直に顔に出るようなので、ここはきっちりと気をつけます。いいオトナなので。 momosama01さんがアドバイスしてくださったように、嫁という立場も業務と割り切ってみます。そうすればもっと冷静に振舞えるかもと思いました。 2回もご回答いただき、ありがとうございました。せっかくアドバイスをいただいたので、ちゃんと実行できるようにがんばります。本当にありがとうございました。
補足
>私ならまず、極力関わらないようにします。そして仕事で絡みがあれば、極力余計なことに触れないように必要なことだけを失礼のないように細心の注意を払って?接触します(笑)。ようは、とばっちりがこないようにそれだけを考えます。 私もmomosama01さんの考え方に賛同です。が、しかし・・・お姑さんによってはものすごくなついていかないと「可愛くない嫁ね!!プン、プン!!」となったりして。 他人との付き合いと親族との付き合いは、付き合い方を分けて考えた方がよいのかもしれないな~と思いました。私の質問があいまいでしたね。
とりあえず、周囲の人を「一旦、受け入れる」ことだと思います。 例えば、初対面の人で、いやだなとか、感じが悪いとか思ったとします。 それでも、それはこちらの思いに過ぎないので、 そういう時は「あぁ、世の中にはこんな人もいるんだね」くらいに考えます。 そうしたら、相手に対する嫌悪感が、少しは和らぎますし、 その分、相手の、いやな部分だけを見つめるのではなく、 他の部分を見る余裕ができると思います。 自分にとっては、受け入れがたい考えや意見を言ってくる人がいたとします。 それでも、それは、自分の価値観(ものさし)で測っただけのことで、 必ずしも正しいとは限らないので、 「そういう考え方もあるのか」あるいは 「そういう考え方をしてみたら、物事はどうなるのだろう」という、 別の見方(余裕)ができると思います。 私も色々と「合わない」人と出会いましたが、 広い地球の中、いろんな人間が居て、 その分考え方も価値観も違って当たり前だから、 自分に合わない人が居ても、それは当たり前だと 受け止めるしかないと思うようにしています。 そして、人間としての器が広い人でも、 内心、気に入らないなとか、気が合わないと感じていることはあると思います。 周りの人間をすべて「好意的に」受け入れることはできても、 周りの人がすべて自分のことを好意的に見てくれるとは限らないので・・・。 それでも、「器が広い人」が、周りの人と人間関係をうまく培ってきているなら、 それは、人との付き合い方のバランスが上手だからだと思います。 身近に、懐深いなぁと思う人がいるのですが、 そういう人でも、表面的には極めて他の人と変わりない接し方をしていても、 話をしてみると、結構本音が色々と出てくるので、 意外に思うことがあります。 (と、書いている私は、あまり器が広くないかも・・・) なので、器が大きい人間になるには、まずは、冒頭に書いたように、 「受け入れる」ことではないかなと思います。 参考になれば幸いです。
お礼
>相手の、いやな部分だけを見つめるのではなく、他の部分を見る余裕ができると思います。 確かに私はいやな部分に焦点を当ててしまうのかもしれません。それではだめですね。明らかに距離を置いたほうがよい(と思われる)人にも悟られないように相応の距離を保ちつつ、その人のいいところも見つける努力をする・・・いいところ探しっていいですね。そのように努力してみます。 ご回答、本当にありがとうございました。
補足
>「器が広い人」が、周りの人と人間関係をうまく培ってきているなら、それは、人との付き合い方のバランスが上手だからだと思います。 そうなんです。私はそのバランスのとり方がいまひとつわかっていないんだと思います。 世の中、本当にいろいろな人がいますよね。例えば、「親が給食費を払っているのになぜ給食を食べる前に『いただきます』と言わせるんだ!」と小学校に文句をつけた親がいるのです。このような人たちとのお付き合いのバランス・・・私には難しいのです。
- momosama01
- ベストアンサー率27% (91/331)
こんにちは。30代(女)です。 私の経験からですと、 ※心にゆとりを持つ→日常のささいなことに喜びを見出す。 ※他人のせいにしない。 でしょうか。 特に「他人のせいにしない」は大切なことだと思います。 よく何かあった時、「あの人がああだから・・・。」とか考えて自分の非をまるっきり省みない人がいますが、そうやって周りに原因を見ている限りは人間的な成長はないと思っています。 だって、自分は悪いことはないから変える必要がないわけでしょう?悪いのは周りなんだから。 ←コレじゃあ状況は一向に変わりません。 まずは他人に腹を立てたとき、不快な思いをしたとき、一呼吸おいて自分を省みるといいです。 「自分でも他に対応の仕方があったんじゃないか?」と。 あとは私の考えですが、「気が乗らないことは必要でなければしない。」です。 例えば電車で座っているとき、お年寄りが目の前に立ったらどうします? 「本当は座っていたいけどモラルだから譲る。」 で、譲ったら「ありがとう」の一言もなく当然のような態度でいられたらどう思いますか? 普通ならムカつきますよね。 だから私は座っていたいときは座っています。 でも後で後味の悪い思いをしたくないのでたいていは席を立ちます。この場合、自分が後で後悔したくないから、自分のために席を立ったので別に御礼を言われなくともなんとも思いません。 「~だから仕方なくした」だと「私がコレだけしたのだからアナタもコレだけして当然でしょ」となって相手に常に見返りを求めてしまいます。 結果的に自分が期待したとおりの見返りがなければ当然腹もたってきます。 でも「自分がそうしたいからした」だと別に相手の反応に期待はしません。 自己満足ですむので。 これだけでも随分、他人との付き合いで感じ方は違ってきますよ。 急にはできなくても、序々に変えていけばいいと思います。大切なのは「こうありたい」と意識することだと思います。 人間的に成長すれば、それがキャパを増やすことになると思います。
お礼
たしかに心に余裕を持つのは大事ですね。楽しいことをたくさん見つけようと思います。 そして、他人のせいにしないというのもたしかに必要ですね。 そういえば先日、小泉元総理が「鈍感力のすすめ」というようなことをおっしゃっていましたが、鈍感になることも大事なのかなと今感じています。 ご回答ありがとうございました。
補足
>あとは私の考えですが、「気が乗らないことは必要でなければしない。」です。 >「自分がそうしたいからした」だと別に相手の反応に期待はしません。 そうなんです・・・でも、たとえば嫁の立場だとそれでは済まない局面、しかもとても重大な局面が多々ありまして・・・極力気が乗らないことは必要でなければしないようにはしているのですが、嫁の立場だとかなり無理してやらないと角が立つことが多くて。悩みます。
- micao
- ベストアンサー率33% (8/24)
40代既婚オトコです。 どうすればキャパの大きい人間になれるのか...自分とかかわった人の幸せを考えてあげることです。見返りは一切考えず素直に相手さんがいい方向にいくことだけを考えてあげるといいですよ。ポイントはその考えを相手さんにお話しないことです。考えるだけで質問者様の相手さんに対する言動、態度が相手さんには好意的に受け取られるものです。 この結果、私にかかわった人は私から離れていかない。こちらから特に近づこうとしなくても...こちらが相手を好きになるよりは好かれる存在なりたいものです。
お礼
>こちらが相手を好きになるよりは好かれる存在なりたいものです。 そうですね。気の合わない相手を好きになろうとするとものすごくストレスを感じてしまいますが、好かれる方がお互いに気持ちいいですね。 見返りを一切考えない・・・難しいことですが、他の方もおっしゃっているように結局すべては自分に返ってくるわけですものね。 ここまで書いてふと思ったのですが、私にはロールモデルが必要なのかもしれません。「こんな時、あの人ならどうするだろう?」と考えるとうまく実行できそうな気がしてきました。 アドバイスありがとうございました。少しずつでもmicaoさんのようになれるように気をつけていきます。
- FullOfHarmony
- ベストアンサー率26% (25/93)
こんにちは。 私は28歳の男性ですが 最近本当にそういうことを考えています。 怒り等の負の感情をさらけだしたあと、 すごく、後悔の念を抱きます。 わかっているのにどうして広い心でいれないのだろうと 考えていますが、 仏教的な生き方の本を読んでいるうちに 少し納得したような気がしました。 うらみも怒りも憎しみも悪口も、 確実に自分に帰ってくるものだと書かれていました。 (お釈迦様の言葉では、もう少し難しく書かれているのかも) 長くなりましたが、自分のために 人に優しくする ということの意味がわかった気がします。 人に厳しくしているようで、実は自分を虐待しているだけと いうことに、早いうちに本当の意味で気づきたいと思っています。 私の話ばかりで申し訳ありません、 ひとつの参考として…。失礼します。(^O^)
お礼
同じように感じておられるようで、ほっとしました。 私もFullOfHarmonyさんのように聖書を読んでみたりしたのですが、最初に魂の根源から変革することの難しさを感じています。わかっているけど、なかなか・・・という感じです。だから宗教は何千年も廃れないのでしょう。 魂の根源からの変革は難しいので、確実に実行できそうな具体的な方法をさぐって、そこから徐々に心の奥底を変えられないだろうか?ということを今は考えています。 とはいえ、FullOfHarmonyさんのように何千年も廃れない考え方に触れて軌道修正することの大事さを再認識しました。 ご回答、ほんとうにありがとうございました。
いろんな人に出会うってことかなと思います。人の価値観なんて100人いたら100通りあると思います。自分の思っていた価値観のちがう人をたくさん知ると、そんなことで悩んでたことば、ちっぽけに思えたり、自分があたりまえ、常識って思ってたことがちがっていたり。 常識って思っていることは、自分の頭の中でできたルールで世間にいけば、全く違うルールを持っている人もいます。その時に、相手を拒否するのではなく、相手を自分の「違い」を認めることができるようになると思います。 参考までに、自分の価値観を変えるために読んでみては?と思う本があります。「こころがホッとするセラピーブック 」たかたまさひろさんが書いた本ですが、読んでみてはどうでしょう?
お礼
私の質問が漠然としていたかもしれませんので、補足をしてみました。ご紹介くださった本を読んでみようと思います。 ご回答ありがとうございました。
補足
私はいろんな人に出会ってはいると思うのです。 私が悩んでしまうのは、例えば出産祝いのお返しをしない人、お稽古事の月謝を1年も払わずに通ったうえにお稽古事の回数を増やしてくださいと平気で言う人、あなたの子供も○○ちゃんとは遊ばせないでと命令してくる人、等々の人々とのお付き合いです。そのような価値観を共有することが必要だとは私には思えないのです。 これが難しいところです。 私の常識を当てはめてはいけないのでしょうが、やはりこのような人々には近づき難いと思ってしまうのです。
- fly_moon
- ベストアンサー率20% (213/1046)
体調や生活を整えておくこと、体力をつけることから始めてみて下さい。体力に余裕がない人はどれだけ頑張っても、人を受け入れられる心境になれません。例をあげれば、片手しかない人が荷物を持っていたら、人の荷物を持つほどの余裕がないということです。人の荷物を持とうとする気遣いをしたいなら、それだけの腕力をつけるなり、もう1本手を持つことが必要です。 その上で今の気持ちを忘れないで、「そういう人もいるな」と受け入れられるようにしてみてはどうでしょう?自分と同じでないと理解できないと思うのはやめて、「自分とは違う人間だから自分と違う答えで当たり前」と理解しましょう。違って当たり前だと思っていたら、一緒の部分がとても気が合うように感じます。逆だと、違う部分が強調されて、「なんで?!」って気持ちが大きくなります。
お礼
そうですか、体力!!納得しました。私は疲れやすい体質なので、人を受け入れられるだけの余裕がないんですね。生活を見直して疲れをすっきり取ってみます。 これからは人と自分の共通点を見つけるようにします。 具体的に教えてくださってありがとうございました。少しずつでもキャパが大きくなるよう、好きな人がいっぱいになるよう、実践していきます。
お礼
具体的に説明していただき、ありがとうございます!!気持ちもすっきりです。とてもわかりやすくて、しかも実行しやすいと思いました。 >直接被害ある等々の場合は、正当な理由をお願い調(下手に出た感じ)で説明して、わかってもらえないなら距離を置くようにすればいいのではないのかな? お願い調で説明するのですね。怒った調子だと角が立ちますものね。お時間をさいて2回もご回答いただき、本当にありがとうございました。