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白黒テレビ世代の方へ
本やネット等で昔の暮らしを見ていましたが、テレビ放送が始まった頃は街頭でテレビを見たり、他人の家に上がりこんでテレビを見せてもらったりという生活をしていたそうですね。 もう少し後の時代になると、カラー放送が開始されましたが、初めてカラー放送を見たときには驚いた方も結構いらっしゃったようです。 とまあ、テレビが憧れだった時代に興味があるのですが、当方は80年代生まれで、「テレビ=カラーが当たり前」という世代ですので、白黒テレビ時代のことは何も分からない状況です。 そこで白黒テレビ世代の方にお聞きしたいのですが、その頃の体験記があればぜひ教えてください。
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もうじき50です。 街頭テレビでプロレスを父と見た記憶があります。 また、自宅にテレビが無い頃、借家の隣の家が大家さんで、毎週たしか金曜日の夜1時間、テレビを見せていただいた記憶が有ります。 当時の白黒テレビはすべて真空管式で、スイッチを入れてから画面が出るまで、30秒くらいかかる物で、画面にプラスチック製のレンズが付けて有りました。チャンネル切り替えは、UHFは無かったので、1~12迄あるダイヤル型の丸いつまみをガチャガチャ切り替えていました。(後期には有線リモコン付き有りましたが、ほとんど普及しませんでした。)結構故障も多かったんですよ。 当時14型で1台15万円くらいしましたので、(1インチ1万円と言われて居た)サラリーマンの給料の半年以上分になるため、簡単に買える物では有りませんでしたが、今のようにクレジットではなく、月賦で購入するのが当たり前でした。 昭和39年の東京オリンピックを境に、爆発的に普及して、色々な番組や、CMがヒットし、娯楽の王様でした。 また、「テレビに夢中になり、子供が勉強しなくなる」と社会問題になった時代もありました。 放送開始当時は、必要性からでしょうか、スポンサーが付かなかったからでしょうか?NHKも含め「テストパターン」と言って、画面に丸い縞模様と白黒の交差した模様を映し出し、音楽が流れて居る時間も結構有りました。 それでも、漫画やドラマなど、楽しく見た覚えが有りますが、きりがありませんので、また、書きます。 カラーテレビが出たての頃は、側が豪華だと高級とされており、木製あるいは木製を模したプラスチックの立派なケースに入って、床の間にデ~ンと置いてある物が多かった様です。 カラーテレビが出てしばらくしてから購入したのですが、一番驚いたのは、笑点を見たときに、大喜利の落語家さんの着物があんなに派手だとは思いませんでした。
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一家6人で、一台でした。 ごたいそうな、カバーがかかっていました。 トンボ型のアンテナ、チャンネルを描けば、すぐ、テレビだとわかりました。 よく、故障を起こし、はたかれていました。 私が一番、はたきかたが、上手いとされていました。 7時台に寝かされていたので、幼稚園の友達と話が合わず、困りました。 小学5年の時に、初めて、カラーテレビがやってきました。 今のカラーとは、画質も何も全く違いますが、感動しました。 それまでは、ラジオとか、ソノシートと仲良く付き合っていたのですが、一気にテレビに依存しだしました。 兄弟のいる家では、まず、チャンネルがやられます。 自分の見たいものを固定したい時は、チャンネルを持ち逃げするという荒業がありました。 でかい割りには、画面が小さかったです。
お礼
回答していただき、ありがとうございました。 やっぱり、初めてカラーテレビを見たときには、感動された方も多いようですね。 今ではモノクロ放送はモノクロ時代の番組の再放送程度ですが、モノクロに慣れた人にとってはカラーは感動ものですよね。 ソノシート…話題からはそれますが、これも古き時代の思い出ですね。
補足
10名を越す方々に回答していただき、本当にありがとうございました。 今の若者世代にとっては、白黒テレビも街頭テレビも想像もつかないです。 当方が生まれたときには、どこの家庭にもカラーテレビがあることと番組が全てカラーであることが当たり前となっていました。 もちろん、テレビが当時のサラリーマンの年収並みの価格だったことなんて、信じられないぐらいです。 ここでの回答にはありませんでしたが、音声多重アダプターやUHFアダプターもかつては存在したそうですね。 今テレビはデジタルへ移行していますが、この先テレビがどんな方向に進もうとも、テレビ創世記の思い出は語り継がれることでしょう… この場を借りて、お礼を申し上げます。皆様本当にありがとうございました。
小学3、4年まで白黒でした。 当時の新聞の番組欄にカラーは『カラー』とか『C』の表記があったような気がします。 アニメの鉄腕アトムは当初白黒でしたが別のシリーズからカラー化されました。 クラスの友達の家が『おれんちカラーテレビ買った』と言ったのでつい『うちもカラーなんだ』と嘘を言ったことがあります。
お礼
回答ありがとうございました。 カラーテレビは、モノクロテレビのほうが多かった時代には、一種のステイタスでしたね。 テレビ本体、放送が全てカラーの今からでは、考えもつきませんよね。
- tilt1816
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幼稚園の時に、我が家にテレビなるものがやって来ました。 近所の金持ちの家に行かなければ見られないテレビです。当然4本の脚が付いていました。 NHKの「時間よ止まれ」というSFドラマは実況だったので、時間を止めても出演者は微妙に動いていました。 我が家のテレビは違いましたが、金持ちの家のテレビには扉が付いていました。鍵がかかるのです。お父さんが許可しなければ見ることが敵わなかったのですね。しかし我が家は貧乏だったので、そんなテレビではなくいつでも自由に見られました(しかし放映時間が決まっているのでありました)。 金持ちのも貧乏人のも、子供は一緒に泥にまみれて遊んでいた昭和40年代前半の事でした。
お礼
回答ありがとうございました。 昔のテレビには観音扉があったそうですね。今のテレビは画面むき出しが当たり前ですので、これも昔ならではの思い出ですね。 あと、昔は放送時間が決まっていたのですね。深夜番組や早朝ニュースなんて考えもつかなかった時代ですね。
- trgovec
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白黒テレビには大抵画面の前に青いフィルターをつけていました。これがあるとなぜか色がついているように「感じる」のです。フィルターを外すと「こんなに白かったのか」と違和感がありました。 他の方も書いていますが「想像力」が働くのかもしれません。これは最近のことですが、テレビが壊れて2年近く画像が出なかったことがありました。「まあいいか」と放っておいたのですが、音だけしか知らないはずの番組の映像が夢に出てきました。 いまだに放送事故かどうか分からないのですが、白黒時代の番組で記憶に残っていることがあります。何の番組か覚えていないのですが画面に猿が映っていて字幕に「去」と出ていたんです。雰囲気からお笑い系の番組ではなかったようですがそれを見て「さるという漢字を覚えたよ」と得意げに親に書いて見せたらバカにされました。一体あれは何だったのか今でも謎です。
お礼
回答ありがとうございました。 「えせ色つきテレビ」ですか。カラーテレビが高額だった頃は、これでカラー放送を想像したユーザーも多数いたことでしょうね。 字幕に関しては、当方も謎ですね…
カラーテレビと白黒テレビ 見比べれば違いは歴然ですが アニメ(当時はテレビまんがでしたが)は白黒テレビでも 海は青く夕日は赤く見えていたような気がします それだけ夢中になって観ていたのでしょう、 大人向けのドラマなどは白黒に見えましたが(当たり前)、 今のように一人1台、一部屋1台テレビがあるなんてことはなく 1家に1台がやっと しかも超高級品 大人も子供も老人も みんな揃って同じ番組を見ていました NHKの他は民放が1~2局しかなかったけど まぁ1日中テレビばかり見ていたわけではないですが。
お礼
回答ありがとうございました。 >大人も子供も老人も みんな揃って同じ番組を見ていました 昔はそうでしたね。今は民法が大都市で5~6局、地方でも3~4局が当たり前になり、さらに多チャンネル放送も開始されましたので、見る番組がかなり分散しましたね。 http://home3.highway.ne.jp/hasu/tv2.htm ↑の下のほうにTV放送開始以来の視聴率ランキングが載っていましたが、98年のW杯を除くとほとんど60年代の番組ですね。
こんばんは。 小学二年生ころまで『白黒』でした。 そのころの番組内容は、もう憶えていません・・・。 真空管なので、スイッチを入れてから映るまで、三十秒くらいかかりました。 トンボの羽のようなアンテナが付いていました。 カラーテレビに替えたとき、近所の電器屋さんが、据付に来ていたので、作業をずっと見ていました。 白黒テレビは、脚が金属パイプ製でしたが、このカラーテレビは、脚の代わりに、現在のテレビと同じく、ビデオラックが付いていました。 まず、ラック(脚)から組み立て始めました(本体は、トラックの荷台の上)。そのラックを組み立てるところを見て、「これから、この『箱(ラック)』の中に、部品や、受像機を入れるのか...大変だなあ。」と、勘違いしたことを思い出します・・・。
お礼
ありがとうございました。 真空管…これも今は過去のものですね。 後にトランジスタに変わると映像がすぐ出るようになりましたが、映像が出るまでの数十秒の間にも、いろいろドラマがあったと思います。 パイプ脚…そういえば、昔のテレビはこういうものが多かったように思えます。
- KGS
- ベストアンサー率24% (1324/5321)
記憶が定かではありませんが、昭和36年頃だったと思います。 小さな白黒テレビが貧しかった我が家に来ました。 真空管だったのでスイッチを押して、画面が写るまでにかなり時間がかかりました。 そのころからアニメはあって、スーパージェッターとかジャングル少年ケンとか見ていました。 当時、隣に一人暮らしのおばあちゃんが住んでいて、名犬ラッシーの始まる時間になると見に来ていました。 今のように精密な機械でなくアナログそのものでしたので、すぐ写りが悪くなったり電源が落ちたりして、そういう場合は必ず「接触が悪い」とか言ってバンバン叩いていましたね。 当時の生活レベルからすれば高価な商品でしたが、そこは子供ですからイタズラしまくりまして、スイッチを押して画面が写る直前にスイッチを引っ張ったら、変な画像が出ては消えるので連続して押したり引っ張ったりしていたら、突然写らなくなったりチャンネルはダイヤル式でガチャガチャ回す方式でしたので一回にどこまで回るか思い切りガチャガチャガチャーと回していたら、チャンネルがスポッと抜けて、慌てて差し込んだりしました。 今でいう放送事故みたいなものが多くて、「しばらくお待ちください」が多かったり、台風がくると必ず停電があってテレビはおろか家中が真っ暗というのはよくありましたね。 でも夜中になって停電が治って家中がまた起き出してテレビの前に座ると、今度はエッチな番組が始まっていて親に「子供は早よ寝ろ」と言われて見せてもらえなかった記憶があります。 カラーはずっと後になってからで、カラー放送と白黒放送が混在していてカラー放送の場合は画面の右下に(カラー)と表示されていました。 今のようにインターネットもなく、架空詐欺もなく蒸気機関車が普通に走っている、のんびりした時代でした。
お礼
回答ありがとうございました。 1961年といえば、ようやく白黒テレビが普及してきたあたりですね。そして、今のような40~50インチなど、考えもつかなかった時代ですね。 その頃は今なら地デジ対応32型液晶テレビが3~4台ほど買えるぐらいのお値段だったようですが、本体にも結構思い出があるようですね。 放送事故みたいなものも多かったのですか。まあ技術が未発達でしたので、仕方ないことだったのかもしれませんね。 正直、あの頃は番組ものんびりした時代だったと思います。過激な視聴率争いもフライングスタートも終夜放送もなくて、良質な番組がたくさん提供されていたものだと思います。
- oyaji2006
- ベストアンサー率19% (26/136)
テレビ放送開始頃に生まれた人間です。 我が家にテレビが来たのは小学校1年のときでした。 田舎でしたので近所の人たちがたくさん見に来ました。 記憶が曖昧なので間違っていることがあるかもしませんが、はじめは放送時間帯も限られていたと思います。地域にもよると思いますが、私の地域ではチャンネル自体も三っつ位しか映らなかったのではないでしょうか。 テレビもブラウン管の前に観音開きの蓋(?)があったような気がします。 もちろんチャンネル権は世帯主(オヤジ)が握っていて子供が自分の見たい番組を見られるような雰囲気ではなかったです。 (今は子供が「これ見るでぇ」とか言いながら勝手にチャンネルを変えます。) その頃人気があった番組はプロレスだったと思います。 子供の番組といえば「少年探偵団」位だったのではないでしょうか。 その後「月光仮面」「ハリマオ」「少年ジェット」「七色仮面」「まぼろし探偵」やアニメではない「鉄腕アトム」等がありました。 アニメでは「ポパイ」「ベティ・フープ」「ヘッケルとジャッケル」「珍犬ハックル」「クマゴロー」「ウッドペッカー」等のアメリカのアニメがありました。 全く順序はめちゃくちゃで思い出すままに書いていますが、ほかにも「アニーよ銃を取れ」「ライフルマン」「OK牧場の決闘」「コンバット」「戦友」「ルート66」「じゃじゃ馬百万長者」等々子供の頃よく見ていた番組を思い出しました。 忘れかけてた過去を懐かしく思い出させていただきました。
お礼
ありがとうございました。 当方が小学校1年生の時といえば、ちょうど地元で民法多局化が始まった頃ですね。昔は地方では民法テレビ局が少ないのが当たり前でした。 今では民法テレビ局もある程度増え、さらに衛星放送をはじめとする多チャンネル放送も開始されましたので、チャンネル数が少なかった時代は今では味わえない思い出も多数あったものと思います。
- グイン リアード(@guin_riard)
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さすがに、街頭テレビは、知りませんが、カラーテレビは、小学低学年でした。 その当時は、もう、テレビがあるのが当たり前の時代でしたが、やはり、カラーで見たい番組がある時、近所から見に来る人もいました。 始まったすぐの時は、たいした番組が無く、NHKの自然か何かの番組を、おもしろくもないのに、見ていた記憶があります。 映画や、海外ドラマがカラーだった記憶があります。 カラー放送の場合、画面の片隅に、カラーのマークがずっと出ていたのも、印象に残ってます。 同じ年位の人と、その当時のアニメ(マンガ)や子供向け番組について話すと、よく、その番組がカラーだったか、白黒だったか議論になります。
お礼
回答ありがとうございました。 今では当たり前のカラーテレビも、当初は物珍しさに見に来る人も多かったようですね。 >その当時のアニメ(マンガ)や子供向け番組について話すと、よく、その番組がカラーだったか、白黒だったか議論になります。 懐かしい話題ですね。なお、途中からカラー化された番組もありましたよ。 http://www.toei-anim.co.jp/lineup/tv/sally/
- _pou_cat
- ベストアンサー率42% (275/641)
私が物心ついたときはちょうどカラー放送が始まった時期ですね。そのころはカラー放送だと画面の隅にカラーという表示が出てました。でも、うちのテレビは白黒でどんな風に色が付くのか不思議に感じてました。特に、黄金バットのナゾー(悪役です)の目の色が4色だったというのはだいぶ後に知ったような記憶があります。
お礼
回答ありがとうございました。 >画面の隅にカラーという表示が出てました これはカラー初期の演出ですね。今では決して見られない、請った演出だと聞きました。
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お礼
回答ありがとうございました。 >当時14型で1台15万円くらいしましたので、サラリーマンの給料の半年以上分になるため、簡単に買える物では有りませんでした テレビが高嶺の花だったのも懐かしい思い出ですね。今の物価に換算すると、大体200~250万円ぐらいですね。地デジ対応37V型液晶テレビが何台買えることやら…orz そんな時代は、テレビを見る事はかなりの楽しみだったようですね。