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続・カラーと地デジの違いについて
- カラーテレビは高価で買えない問題があったが、他の国ではどのように対処していたのか?
- もし日本より先にカラー放送が実施されていた場合、日本のカラー方式はどうなっていたのか?
- 従来の白黒テレビが使えない方式でカラー放送が開始された場合、経済的に困難だったのか?
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No.3です。少し補足します。 >地デジではコピーガードうんぬんで、独自放送にしましたが… 日本がアナログの白黒テレビの放送の標準となる方式を決めたのは1952年、カラーテレビの放送の方式を正式に決めたのは1960年です。当時は放送技術でも電子機器関係の産業でもアメリカが先進国で、日本は何とか追いつこうと努めていた時代です。1953年2月にNHKテレビの本放送が開始されたとき、国産のテレビ受像機は量産体制にはなっていませんでした。放送開始当日の東京都内の受信契約数はわずかに644件で、このうち482件はアマチュアの自作した受像機でした。アメリカ製を含めて高価なメーカー製のテレビを買えたのはお金持ちだけだったからです。 このような段階では、無理に独自の方式を開発して採用するより、放送先進国であったアメリカで実績のある方式を採用した方が合理的だと考えたのは当然だと思います。 その後、日本の家電産業は急速に成長し、テレビ受像機はアメリカに輸出されるようになりました。60年代後半にはベトナム戦争の影響もあって、アメリカの家庭用カラーテレビ生産のための設備投資が減少してアメリカメーカーの生産が追い付かなくなり、日本に注文が殺到し、日本のカラーテレビ生産台数は急増しました。 一方地上波デジタル放送の方式を検討していったのは1990年代後半です。この頃までには日本の放送技術は世界のトップクラスとなり、外国の規格を採用するメリットがなくなりました。むしろ日本の放送事情に合致した方式にする方が適切だと考えられ、携帯機器向けのワンセグ・サービスを一つのチャンネル内で共存して提供できるなどの特長があるISDB-Tと呼ばれる方式が決定されました。その後この日本方式は南米など外国でも採用され、世界のデジタルテレビ放送の方式の一つとなっています。
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- staratras
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前のご質問にも回答したものです。 (イ) NTSC、PAL、SECAMの3方式は、程度の差はあるものの(PAL方式では白黒テレビでカラー放送を見るとノイズが出やすい)、いずれもカラーと白黒の間に互換性がありますので、そのような問題が起きた事例は知りません。PAL、SECAMはどちらも、NTSC方式に比べれば後発のカラー信号に関する規格ですので、NTSCがカラーと白黒の互換性を持たせた規格としてとして作られた経緯に学んでいると考えられます。白黒のテレビ放送を行っていた国で、この3方式と異なる、カラーと白黒でまったく互換性のないカラーテレビ放送の方式をわざわざ採用した国は、アメリカの初期のカラーテレビ放送以外はないのではないでしょうか。 前のご質問の回答に挙げましたように、アメリカがCBS方式でカラー放送を開始した際には白黒テレビと互換性がない方式で、まさにカラーと白黒のテレビ2台必要でした。カラー放送の普及を妨げるこの問題のもっとも有効な対策は互換性のあるNTSC方式に変えたことです。 (ロ) NTSC方式で変わらないでしょう。もともと日本で(白黒)テレビ放送を開始するときに、電波の帯域幅について「六メガ・七メガ論争」という議論がありました。当時アメリカは6メガヘルツで、日本もこれを採用しましたが、これを7メガヘルツにすれば帯域幅が広いので画質がよく将来カラー化した時に有利である(もちろん独自規格にしておけばTV受像機の輸入を防止して国産品の保護ができるという思いもありました。)という意見もあって激論となったのです。結局アメリカの方式と同じにしておけば、アメリカの放送設備や受像機を輸入してそのまま使えるしまたチャンネル数も多く取れるという意見の方が勝利しました。この前例を踏まえて考えればアメリカがNTSC方式である以上、アメリカと異なる方式を採用することはないでしょう。 (ハ) 地デジ化の際には、アナログ放送を終了して全面的にデジタル放送だけにしたため、公的な支援が行われました。カラー化の際にはこれと異なり、白黒放送と長期間にわたり並行して放送され、次第に少しずつカラー放送の割合が増えていきました。初期のカラーテレビは高額であり、贅沢品でした。 この様な事情はどこの国でも変わらないので、百歩譲ってまったく互換性のないカラー方式を採用した国があったとしても、白黒放送を直ぐに廃止することは不可能です。白黒の放送が続いている、カラー放送開始や初期の段階では贅沢品について公的な支援を行う理由はないでしょう。最終的に白黒放送を廃止する際には何らかの支援を行う可能性はあるでしょうけれど。
お礼
回答ありがとうございました。 でも地デジではコピーガードうんぬんで、独自放送にしましたが…
- vaidurya
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Lカセットとの互換性が無くても VHSは普及し、βも駆逐したんですよ。 白黒テレビも世帯普及率で3割程度だったということなので ようするに、金持ちは金でそのへんは解決すれば済む話でした。 政府側が補助を出す必要の無い、いわばぜいたく品だったわけです。 (SECAM方式の場合の詳しい事情や、現地での対策がどうなったのかは知りません) VHSが天下をとる過程で、LカセットやβとVHSを並べて使った世帯がありました。 3割といえば、Windows95からMeにかけての時代のパソコン普及率と同等です。 そのあとに来たXPは、95~Meとの互換性はあったものの 実際にはほとんどの世帯がパソコン買い替えでXPへと移行したと思います。 当時のパソコンは、今より2,3割くらい高価だったんですけどね。 そこでも、新旧のパソコンを併用するのはよくあることです。 まぁ白黒テレビ時代の裕福な世帯なら、今以上に 狭い家に住んでいることは少なかったでしょうし テレビくらい二台並べておけばよかったとも思いますよ。 今も二人暮らしで、テレビが3台あるような家はたまに見かけますし (チューナー設定していないから)映らないからと 前回の引越から二年間、テレビ1台を死蔵していた世帯も見たことがあります。 (同地域の引越先で設置して、TVが映らないと困惑する作業員の滑稽なこと…orz) ともかく、実際には、日本では互換性を確保することで 無理して白黒テレビを買った世帯は救われたということになりますね。 これは業界が必要だとしたものですから、技術開発の激しい時代のこと 仮に互換性を無視したカラー放送技術が海外にあっても 日本は日本独自の互換性の高い技術を開発していたんじゃないかと思います。 地デジ移行は、互換性を気にするどころか 互換性を断ち切り、複製等の制限を設けることが主目的なので 必然的に、二つの互換性の無い技術を、複数の回路(装置)で解決するしかありませんでした。 海外諸国の地デジ導入は日本と違い、放送品質向上などにありますし 日本より先に地デジ導入した国があり、技術も先行したものがありましたが 日本は複製制限ができることを優先して、独自技術を選びました。 (電波利用の効率化についてもISDBは優れているということらしいですが) その上で、TV普及率の高さから、視聴できなくなることを問題と掲げて 簡易地デジチューナーによる解決方法が提案されました。 「テレビ受像機なんかにかけるお金は無い」という世帯では 実は、未だに簡易地デジチューナーがそれなりに使われていたりはします。 必然的に、低所得層や年金生活者や生活保護を受けている世帯がほとんどですけどね。 技術的には、簡易地デジチューナーのような追加器具で モノクロ放送からカラー放送に移行するという手法も 不可能では無かったと思います。 それでも、当時の技術では、その装置がそれほど安くは作れなかったでしょう。 可能だとしても、当時の富裕層を中心とした3割の国民のために、それを国が補助するのはおかしな話です。 簡易地デジチューナーは最終的に5000円程度で実現していますし 米国のクーポンも40ドルのものでした。 カラー放送登場の当時であれば、そのための補助装置にも、2,3万かかっていたんじゃないかと思います。 これは用いられる技術の問題というよりも、実現するための技術 つまり、実装技術とか部品点数を減らせる技術革新が訪れる前だったという問題です。 手作業で、数十個の部品をハンダ付けしてて、安く作れるわけが無いんです。 (今は部品点数も少なく、機械でのハンダ付けが行われ、手作業は行程の一部だけです) また地デジ移行は国をあげての計画であったのに対して カラー放送への移行は、放送業界の計画だったように認識しています。 (当時の詳しいことは知りませんが)
お礼
回答ありがとうございました。 今の2~3万ならそこまで高くは感じないですが…それとも今でいえば10万以上(当時の2~3万)はするものだったのですか? あと、Lカセットは音楽用ですね。
んっ!? 人間は 知能が高いのですよ・・ 使用出来ないのなら 使用しなきゃ良いだけ・・・って事・・ 発明があったから人間が居るのでは無く 人間が発明するのです・・・ そして 発明と思ってるだけで 実際は 既に そういった物の設計図はあって 時代に合わせた物の設計図的な物をインスピレーションで受け取ってる・・・の・・・かもね・・・
お礼
回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございました。 カラーでアメリカ方式を選んだのも、ある意味「日本の放送事情に合致した方式にする方が適切」という考えですね。