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テレビのもたらす悪影響

テレビばかり見るのは思考力や判断力、想像力などが欠如するので好ましくないと言われてますが、かたや読書は知識の吸収ということで何でも読むことが美徳と言われています。 読書が知識ならテレビも知識ではないのか?一方的に受身にまわるのは両方とも一緒で自分の頭で何かしら考え笑ったり怒ったり悲しくなったり、感動していると思います。どこに何の意味があり分別されているのでしょうか?ラジオは??勿論番組内容によるとは思いますが、、、 最近テレビを見てるとその先入観で時間を無駄にしているのではないのかと不安になりテレビを押入れにしまおうか迷っています、知識を貪欲に吸収するうえでこの選択は正しいでしょうか?意見お待ちしています

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noname#49694
noname#49694
回答No.6

 テレビのもたらす悪影響は一言でいえばあらゆる意味で勉強しなくなることです(笑) すべての事柄がテレビで済むというふうに考え、そちらに依存度が高くなります。最近はここにネットがプラスされます。  テレビも読書も結局、質qualityの問題です。テレビに害があるのは、あまりにqualityが低いからです。日本のテレビニュースは大手メディアの独占的状態にあって、言論の自由などありません。実質的にはネタの取りこぼしが怖くて、さしつかえのないような報道しかできません。ようするに多様性がないのです。  他方で大手メディアを中心とした記者クラブ制度がこれに拍車をかけていて、誰かが小さなメディアを立ち上げようと思っても、ここから排除されるので、実質的に主要な情報を入手することができません。  今はテレビ局は互いに馴れ合いで、互いに似た番組をつくり、似たドラマを作り、斬新さがありません。視聴者はこのような同質的なテレビを見ていて、社会的に成熟するはずもありません。せいぜいNHKのクローズアップ現代など一部の番組だけが価値あるものといえますが、他の大手メディアが視聴率主義で馬鹿なコメディばかりで10代から30代をターゲットにしている状況ではとても賢くはなりません。  脳科学的にいえば、テレビは受動的な知識吸収ですから、雑学の域を出ることが難しく、客観的な判断ができません。たとえばあるある大辞典を見て、相当な批判が出ました。真に知があれば、まず落ち着いて考えて分かる範囲で少しでも調べたことでしょう。たとえば「納豆食べて痩せるって本当か」が本当に正しいのかどうか。つまり、逆にいえば見たものを「そのまま」受け入れてしまいがちで、それが真実であると勝手に決めてしまうケースが多いということです。あらゆる社会ニュースでも同様です。  したがってテレビだけでは、思考力、判断力、想像力は不十分になりがちです。  これは今日のあまりに強い「メディア信仰」に基づいています。ある意味で良いのですが、ある意味では危険です。「テレビで見たよ」といえば、今日誰もが信じる社会です。  読書は言論の自由が十分に活用されているといえます。あらゆる立場や見方から政治について、社会について、自然について、科学について、作法について、など「多様性」に触れる機会と可能性があります。  ただ読書も結局は読み方が問題になります。偏った読み方や、あまり人間的な成長が期待できない本ばかりを読むなど・・・人によっては必ずしも良いとはいえません。しかし、読書にこだわりすぎてしまうのもまた、頭でっかちになるケースもあり、リアルな接触や鑑賞から離れる危険があります。これは人の見方・考え方に歪みを持たせます。  結論的にいえば、テレビも良し、読書も良しです。しかし、今日情報が溢れるなかでほとんどの人はそのせっかくの「多様さ」を生かしきれていません。むしろ混乱するので分かりやすいところに飛びつくのです。  これはもったいないことです。  逆に言えば、これは私たちがメディアリテラシー(情報能力)を必要とするようになったということです。今や情報を選ぶ時代であり、私たちは選択能力を必要とします。インターネットの膨大な知識量から、いかに有用で価値ある情報を選びとるのか、これはいくらか訓練が必要です。  したがって、カナダなどではメディア・リテラシー教育というのがあります。情報をどのように扱い、正しいか間違っているかを客観的に把握する能力を身につけさせます。日本でもこれが必要となるでしょう。

その他の回答 (5)

  • questman
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回答No.5

ひとつテレビに無くて読書に有るのは「想像力」です。 例えば小説の中に「花」という単語があったとします。読む人によってバラの花を想像する人もいるでしょうし、ヒマワリを想像する人もいるでしょうし、はたまたスミレのような花を想像する人もいるでしょう。 ところがテレビでは映像で見せるため、ヒマワリならヒマワリで視聴者の印象する余地を奪い、「限定」してしまいます。 これだけだと些細な事と思われがちですが、イマジネーションの画一化は想像力の欠如と思考回路の画一化に繋がりかねません。 反面、テレビは視覚と聴覚で情報提供をするため、文字を追いかけるだけの読書よりもはるかに大量の情報を短時間且つ正確に発信できます。視聴者のイマジネーションを制限するかわりに、誤解を防いでくれてもいるわけです。 知識にどん欲でおられるなら、ツールとしてのテレビは棄てない方がいいです。要は扱い方次第です。テレビが「情報」なら読書は「思考・想像」のメディアであると認識頂き、使い分けて頂ければ良いと思います。

  • aho0xff
  • ベストアンサー率12% (218/1771)
回答No.4

テレビ、小説、本、新聞、携帯、ゲーム コレ全部「道具」です。道具は「使う為にある物」だと思っています。 「悪影響」つまり「影響」される時点で「使われてしまっている」ような・・・・ 使い方を覚えましょう。それだけの話のような気がします。

回答No.3

テレビは情報のみではなく、感性も豊かにすると思います。要するに何を見るかの方が重要であって、テレビ自体が非難?されるものだとは思いません。 本だって内容によっては、問題があると考えられる。どちらの方が悪いとも、どちらが特別に良いとも言えません。使い手次第。 ただ、本、ラジオにはあって、テレビには無いのが、想像力を使うという事だと思います。これはこれで重要な事と考えられる。 どのメディアでも同じですが、言っている事を鵜呑みにさえしなければ、どれでも良い物だと思います。もし、鵜呑みにすれば、ダイエット効果があるというガセネタに振り回されて納豆を買った人と同じになってしまいます。必要な情報を検証すれば問題は無いですが。 また、テレビをしまってしまうと、世間での出来事が入りにくくなってしまう事が十分に考えられるので、あまり良いとは言いません。まぁ、ある程度は新聞で補えるとは思いますが。

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.2

TVの方が情報量が圧倒的に多いです。 文章で「少女が泣いている」で表現するしかないものをTVならもっと圧倒的に悲劇的な情景で簡単に現すことができます。 そのため視聴者にはより思考停止に陥りやすいという側面があります。悪影響というのはこちらの点です。例えばある悲劇的な事件の被害者という情報でも、TVだと容易にで大多数の人が何てかわいそうなんだと思わせることが可能です。文章でそれだけ思考誘導しようと思うと中々大変なことで、まぁ写真なども使って文章力のある人が原稿用紙何枚分ものデータを使えば可能ではあるでしょうが。でもやはり少し冷静な人なら、そこで思考停止に陥らずに、その事件の背景を少し引いた目で確認することもまた容易だと思います。冷静に考えた上で、やっぱりテレビで得たものと同じ結論に達することはあるかもしれませんが、そのプロセスが大事なのです。 単純に知識を得るためだけのもの、例えば教育テレビでやっているような数学講座とかその辺のものなら、教科書で学ぶのとほぼ同等のものしか伝わりませんが(少しは動的なグラフなどで補完できることはあったとしても)、情緒的なものだったりは明らかにテレビの方が効果は上です。でその効果がマイナスの方向に出るようならそれは悪影響ということだけでしょう。文章である感動的な風景を描写してもやはり伝わらないものは伝わりません。

  • kura-udo
  • ベストアンサー率8% (71/794)
回答No.1

小説での知識は1枚の画像に劣る場合がありますよね タイムリーな話題はテレビから来ると想います いろんな情報がテレビから発信されたとしても 受けて(見る側が)どう感じるかとかどう判断するかで 決まると想います 他人がつまらないおかしいと思っても あなたが面白いそのとうりと判断する場合もあるでしょう? 良いか悪いかは自分で決めるって事でしょうね みのさんや古館さんのいう事が全て正しいなんて思ってたら危ないですね

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