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読書方法について
私は最近、文学・評論作品を読むとき、表現・比喩がうまいなあと感嘆する箇所には「緑」、要約されていてまあまあ重要だなと思う箇所には「青」、誰が読んでもここが絶対重要だなと思う箇所には「赤」というふうに、必ず三色のペンを引きます。また、メモ用紙には作品のあらすじ(文学作品の場合)や、作品中で作者が読者にうったえかけようとする主張や考えを大ざっぱに要約してメモしたり、作品中でもう一度読み返したいなと思う箇所のページにはポストイットを貼ったりしてます。 普通に読むよりも、このやり方のほうが読み応えがあって、作品をより十分に理解できるため、それまで自分が線を引いたりメモをせずに読んだことが、無意味で無駄だったように感じるんです。 けれども、このやり方だと普通に読むよりも、読了までにかなりの時間がかかり、限られた時間内では本を多く読めなくなってしまいます。読書家には、月に本を平均30、40冊ぐらいたくさん読まれる方がたくさんいるという点では、私のように質を重視した味読よりも量を重視した読書のほうが、それだけより多くの作品中の作者の思考や知識が蓄積されるので、読書する上で意味があり大事なのでしょうか?
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三色ボールペンを活用なさっているんですね。素晴らしいじゃないですか。三色ボールペンを使った読書法は明治大学教授の齋藤孝教授も提案していますしね。 齋藤孝『三色ボールペン情報活用術』 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047041351/sr=8-1/qid=1156138759/ref=sr_1_1/503-3864829-2739902?ie=UTF8&s=gateway この読書法だとその時自分の感じたことを残しておけますからね。次に読んだときに、以前の自分と捉え方が違うなどの発見もあると思います。 質問者様は量か、質かということで迷っていらっしゃるようですが、たくさんの本を読まなければならないのでなければ質問者様の納得した読書法、つまり質を重視した読書法でよいのではないでしょうか? 私は本自体には書き込みはしませんが、読み終わった後にノートにマッピングをします。これは簡単なメモみたいなものですが、たとえば登場人物が善と悪に二分するならどこに位置するかとか、この人物とこの人物はこういうつながりがあるとか、主人公の気持ちの揺れ、印象に残った言葉、自分の思ったことなどを大雑把にまとめて書き込みます。詳しいことは↓の本に書いてありますので興味がおありでしたら参考になさってください。 齋藤孝『読書力』 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4004308011/sr=8-2/qid=1156139250/ref=sr_1_2/503-3864829-2739902?ie=UTF8&s=gateway この方法だとさほど時間をとりませんし、その時の自分の感じたことなどを残しておけるので便利です。あとは、読み終わった後に友人や家族などにその本の話をします。他人との会話の中でその本に対する新たな発見などがあるからです。 ですが、これらはあくまで情報を明確にする手助けと私は位置づけております。最終的に読書に関してウェイトを置いているのは本を読んで心を豊かにするということです。 話がそれましたが、質問者様の納得する方法が一番ではないでしょうか?それによって本を読むことに意欲が湧いてくるのであればどのような方法でもいいと思います。読書する上で何が大事なことかは質問者様ご自身が決めることではないでしょうか?いい本と巡り会えるといいですね。
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- n34156
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本好きの方であるが故の悩みでしょう。あなたの読み方を「精読」、月に30~40冊読む読み方を「多読」だとすれば、「精読」で読む書物(類)と、「多読」で読む書物(類)を分けて考えてはどうでしょうか?両方できて安心ですよ。
お礼
そのやり方もいいのかもしれませんね。貴重な参考として頂きます。 どうもご意見ありがとうございました。
- Trick--o--
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あなたがどうしたいのか。それが問題だ。 たくさんの本を読みたいのなら、線を引いたりメモを取ったりなんて無駄なことは辞めなさい。 一冊の本をより深く読み込みたいのなら、線を引いたりメモを取ったりするのも効果的だろう。 どちらが優れているか、などは一概には言えない。 量に価値を見る人は前者が、質に価値を見る人は後者が優れた読み方だと思うだろう。 どちらも間違いではない。そんな単純な話ではない。
お礼
そうですね。どちらもそれぞれ異なる価値や良さがあるため、比べようがないかもしれません。ならば自分自身が重視したいと思う読み方を選ぶのが一番良いことなのかもしれませんね。 どうもご回答ありがとうございました。
- himiko_1947
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限られた時間に沢山の本を読む事になんか意味があるんでしょうか? お仕事上で、1日に何十冊読む義務があるのであればべつですが?? 文学に魅入られた方と推察されます。 本を読むのに時間がかかる、かからないというのは何の意味のないことです。 また、私はこういう本の楽しみ方をしている。ほっとけ!と云うのが本来の読書人と私は決めています。 それともhousei19さんは、なにか読書に関して引け目を感じていますか? メモはある文学に接した時、その年の私の感性を書き残した意味ではすごくおもしろい。又後年その記述を読んだ時に自分の感性が今どの様に変わったかを感じる良い刺激になるはずです。 案外、感じ方は変わってないかもしれんし! 是非メモを残される様に! 良い心の財産になるはずです。 願わくば、残すという行為は素晴らしいので、貴方の価値観が本当の価値観につながるように。
お礼
たしかに、本を文学としてちゃんと読むならば、その時々に読み終えた本に対するいろいろな感性や思いや考えなどの「心の財産」をより多く残すことが一番大事なことかもしれませんね。 貴重なご意見どうもありがとうございました。
私は質問者さんのように、線をひいたりはしていないんですが、気になった箇所(表現が素晴らしいところ、名言だと思ったところなど)はメモしています。 読書は楽しみですから、読み方も人それぞれでいいと思います。 たくさんの本を読めば、それだけ得るものも多いかもしれませんが、量を重視した結果、内容は何も覚えていない、という状態になっては、あまり意味もないような気がします。 ペンを引くこと、メモをすること、付箋を貼ることに対して、質問者さんが苦痛を感じたり、面倒だと思っているならやめればいいかと思いますが、そうでないなら、そういう読書の仕方をしていてもいいんじゃないでしょうか。
お礼
趣味としてなら、自分にとって楽しみがあって、内容がつまっていて、満足できるものでなければ、まったく意味がないのかもしれませんね。確かに量重視だと、私の場合、読んだ後で内容をほとんど覚えていないという状態になりかねません。そうなると当然内容に対しての思い入れというものが薄弱になりますし、なんだか読んだ本に対して失礼な感じがします。また、自分にとってもぜんぜん楽しめないと思います。 どうもご回答ありがとうございました。
- Willyt
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読書は何のためにするのかを考えて見てください。たぶんお楽しみのためでしょう。それを自己啓発のためとか、仕事で役立てるためだとか、そういう功利的な目的のための読書は義務感の枷があるために苦痛が伴い、長続きしないものです。 だったら楽しむために読むことに徹するのがいいということになりますよね。楽しむために読むのに色を変えて傍線を引くなんて七面倒くさいことをやっていたら楽しめなくなってしまうのではありませんか? 私はそんなことは止めてしまうことをお奨めしますよ。読書は自分のペースで読み進むことが一番楽しいのではないかと思いますよ。だから月に何冊読まなければなんてことも考える必要は全くないのでは。結果として月30冊になっても0冊でもいいではありませんか。 30冊を流し読み、拾い読みをして数をこなしたって意味ありませんよね? まあ、それで自己満足に浸れるならそれもいいでしょうが、それを他人に誇示するとなるとこれは賞められたことではないと思いますがね。
お礼
どうもご意見ありがとうございます。 私は読書を一番好きな趣味としてとらえています。 なので、周りに対して読書がいちばんの趣味だと言えるには、それなりに読書への向き合い方や心構えというものがちゃんと持っていないといけないなと思い、こういった読書方法をしはじめています。もちろん趣味としてなので、この方法は苦痛ではなく納得し楽しみながら読んでいます。やはりじっくりと自分のペースで読むことが重要なのかもしれませんね。
お礼
私は齋藤孝氏の本を読んで、この読書方法をはじめました。 齋藤氏が言うとおり、この方法だと自然に本を積極的に読むことができ、作者の思考を真剣に読み解こうとする姿勢になれるし、得られるものがたくさんあって心が豊かになれるような気もします。なによりも貴重な大切な気持ちを持って、本に接する事ができるので満足しています。量なんて気にせずに、自分にとって大事だと思う読み方をすべきですね。齋藤氏の『読書力』は未読なので、これからのより良い読書方法の参考のために、読んでみようかなと思います。 貴重なご意見ありがとうございました。