伊達家の家紋
奥州の戦国大名、伊達氏の家紋といえば、「仙台笹」が最も有名ですが、これは14代伊達稙宗の息子、実元が上杉定実の娘婿として養子入りの際、引き出物として上杉家から贈られたものです。しかし、これが原因で伊達家では天文の乱がおこり、この縁談も破談となって結局は実元も伊達家に残りました。
ということは、伊達家では破談になった縁組の引き出物をもらい、しかも定紋として代々使用したということですよね?
天文の乱では伊達家は骨肉の争いとなり、一方では縁組の破談で越後守護の上杉氏は断絶(守護代の長尾景虎がその名跡を譲られることになるわけですが)という、あまり縁起の良いものでもないような気がするのですが、その辺りはどうなのでしょうか?
上杉家は関東管領の名門で、周辺の大名はその紋にも憧れをもっていたという事もあるみたいですから、伊達家としても「上杉の紋がもらえてラッキー」見たいな感じで使っていたのでしょうか?