- 締切済み
神の存在を証明した人はいますか?
神の存在証明・又は不存在証明に成功した人類が1人でもいたら教えて下さい。 又、そういった議論の歴史等を端折って教えて下さると幸いです。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
証明した人はいないと思います。 一人でも証明(根拠を持って明らかにし、万人に認められること)に成功したら、教科書か何かに載っていても不自然ではないですからね。 もしかしたら昔は証明されたかもしれませんが、証明が覆るのも稀にある話。現代科学で神の存在を学ばないところを見ると、現時点では証明は為されていないと考えるのが適当でしょう。 さてさて#2様のとのやり取りで思ったのですが… >不完全な人間は、不完全なものしか認知できませんよ。 >つまり、完全なものを人間が認知する事はできません。 果たしてこれは本当に検証する必要がない事実でしょうか? これは単に、あなたの主張に過ぎないのではないですか? 『完全』と『認知』の定義に大いに議論の余地がありそうです。 (そもそも哲学などは分からないが、(自然)科学で完全を扱うことは(ほぼ?)ない。完全が証明できないから。) この定義の相違についてすら決着が付いていませんから、証明の段階までは進めません。 (仮に証明できたとしても、定義が間違っていたら意味がない。) >数学的に真偽を確かめてなくてはいけません 数学の証明は他学問と比べて強力です。 しかしそれは出発点が「公理」であるからです。 神を証明しようとなると、出発点は「物質(存在・現象)」や「精神」関係が適当でしょう。 数学の公理には神に関することは書かれていません。数学的証明の利用は学問違いです。 >「神の不存在」を数学的に証明できていますから、 >こんな話に全く関心はありません。 大変興味深いです。数学を用いたのもさることながら、「不在」つまり「ない」を証明するのは限りなく困難なことだからです。(悪魔の証明) もし本当でしたら、ぜひ発表をお勧めします。 >単に人間の不完全さから来ている可能性を排除できません >「神」と本人が思い込んでいても、第三者からすれば大嘘、という事もあることを知っていますから。 この点については私も同意見です。 ただ、あなたにも「証明できた」という思い込みがあるかもしれません。検算は完璧ですか? 勘違いも含めて、算術を用いたことが正しいのかを再考する必要もありますね。(証明法のツールとして算術が利用できるのか?) もし神の不在が証明されたら世界はパニックでしょうね。 ただ宗教と科学は常に一線を画すもの。 宗教界に激震は走るかもしれませんが、信者の数などに大した影響はないものと思います。科学の「信じさせる」神はいなくとも、宗教の「信じる」神はいるでしょうから。 私個人の無根拠な見解では、神はいないのではと思います。
- kapox
- ベストアンサー率21% (17/79)
神とか、なんとか、言う前に、自分以外の存在は、証明も、不証明も出来ないから、そういうことを考えるのは、無意味だという事。 もっと、言うと、全ての物事も、ある仮説を誰かが立てて、それを、万人が、認めた場合に、証明されたことになるので、 実際が、どうであれ、万人が認めたものは、証明されたことになる。
- fronteye
- ベストアンサー率43% (118/271)
フランスの哲学者ルネ・デカルトが「方法序説」という著書の中で、神の存在を証明しています。 その証明が「成功」かどうかはわかりませんが、要旨は次のようなものです。 1.まず、神とは完全な存在であると定義します。 2.次に、人間は不完全な存在であると認識します。 3.一般的に不完全なものから完全なものが生じることはない、という規則を立てます。 4.以上から次のように帰結されます。 『不完全である人間が完全な存在である神を認知できるということは、神が人間の思惟を超えて存在しているからである。』
補足
不完全な人間は、不完全なものしか認知できませんよ。 つまり、完全なものを人間が認知する事はできません。 又、不完全な人間が、「不完全な何かを完全なものとして認知する」事は、単に人間の不完全さから来ている可能性を排除できません。 カンタンに言えば、 「うそっぱちを信じている」=脳内合成の結果 ということです。 これについては、 いくら創価学会の人が 「池田大作は素晴らしい」と言っても、 彼を「素晴らしい人間ではない」と言っている事から導かれます。 つまり、 池田大作を信じている人と信じていない人のどちらかもしくは両方が不完全です。 つまり、 1の「まず、神が不完全な存在である」という定義について 数学的に真偽を確かめてなくてはいけません。 その上で、 2についてですが、 「人間が完全な知性を仮に手に入れたとしたら」 それによって神の不存在が挙証される論理的可能性があります。 又は、不完全な知性を知ること(=知の限界を知る事)が 「完全な知性だ」という事を自覚し、 それによって「神の不完全さ」を理解する事も入っていません。 ですから、 1、神は完全な存在である という事の数学的証明がない 2~4、 人間が仮に不完全であるとしたら不完全な人間に理解される神は、完全ではありえない。つまり、不完全な人間の知性では、完全な神を認知できない。(その人間が理解しているものは、「神」ではなく「不完全な存在」もしくは「虚像」である可能性を否定できていない。挙証になっていない。) 又、 「完全」という事が無矛盾ということなのか無知の知なのかが証明されていない ということになります。 話は戻って、 私は既に 「神の不存在」を数学的に証明できていますから、 こんな話に全く関心はありません。 何故なら、 人間は、 「神」と本人が思い込んでいても、 第三者からすれば大嘘、という事もあることを知っていますから。 (このへんは、ゴルゴ13の単行本のどこかに載っていた割り込み連載マンガの、「神のポーズ」という4コママンガを見てください。) だから、別に「只の思い込み」という事もあるので、たいした事ではありません。 (そこで、「なぜ人間は、思い込みをするのか?」という事については、哲学的にも科学的にも神学的にも色々ありそうですが省略します。) 私が聞きたかったのは、 「神の存在に関する証明」をした人類はいるのか、という事です。 こういう聞き方をしたのは、 普通にこの事を聞くと、 「コイツ、神の不存在を人類で初めてしたのは俺だ。」とか思って屋がるな、と誤解されて総攻撃を喰らうからです。 それでは質問を変えますが、 数学的に 「神の不存在」を証明した人類はいないとのことですが、 もし「初めてその証明をした人間」がいたら、 その人間は世界でどういう評価をされますか? 教えて下さい。
- kapox
- ベストアンサー率21% (17/79)
ありません。 ていうか、五感に感じるもの、すべてが、存在してない可能性もあります。 カントに言わせれば、自身の存在しか、証明できないそうです。 よって、神の存在は、証明できない。 有名な話では、孔子に弟子が、鬼神の事について、聞きましたが、 今、生きている世界についてすら、分からないのに、 そんなもののことは、分からないというようなことを言ったそうです。 そういう意味の無い事を考えるのは、無意味だと思います。
お礼
それは、「自我」自意識の問題でしょう。
補足
補足
神がいないのなら、 宗教は大義を失うのではないですか? 神を信奉しない宗教(宗教というのかな?)なら大丈夫かもしれませんが。