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「日出処の天子」はどこまで真実?
膳臣菩岐美郎女はほんとにあんなふうだったのですか? 蘇我入鹿はフツヒメとの子? 『大王との子か?』と言う噂もホントにあった? 山背王子はまさか... 歴史界ではてんで相手にされてない「日出処の天子」だけど、それほど歴史的にはデタラメなんでしょうか?
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その昔の出来事というのは、都合のいいことだけを歴史として残し 都合の悪いことは元々なかったこととして隠し通してしまうものなのです。 だから、当時の政権にとって都合の悪いことは後の世には残らなかったのです。 ただし、正史と呼ばれるものにも、どこか変なところがあり、 そのキーワードをたどれば、実は暗殺だったり謀反だったり、 それを読み解くのが歴史の楽しみでもあります。 つまり、きちんと記録として残されず、神話のように語り継がれている時代というのは いくらでも想像の世界を広げることができるんです。 山岸先生は数少ないキーワードを元にああいう世界を作り上げられた、 それが本当かどうかは、今のところ確かめようはありません。 もちろんでたらめと言い切ってしまうような証拠もありません。 きちんと筋は通っていると思いますよ。 高校時代、歴史の年表に「来目王子、朝鮮半島(百済だったかな)で戦死」という記述を見つけ 私は優しかった王子の死を思って泣きました。 それでいいんじゃないですか?
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- popesyu
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えっとあれってマンガの話ですよ? しかも聖徳太子の文献と言えば日本書紀ぐらいですから。どのような説だって唱えるのは自由で、言ったもんがちというか、何でもありでしょう。歴史的にみてどこまで正当性があるのか研究するような対象ではないでしょう。 この手のものは、設定を生かしての架空のおとぎ話として楽しむようなモノだと思いますが、他に面白い説と言えば、聖徳太子架空人物説とか、聖徳太子=蘇我馬子=推古天皇説とか(笑 ←これは結構面白いです。
お礼
ありがとうございました。
お礼
たしかに聖徳太子に関しては様々な説を唱える人がいますよね。(かなり荒唐無稽な物まで) もうちょっと詳しく知りたいのでまた別のカテゴリーで質問します。