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25歳これから進む道について
大学院まで進学して学んできた気象についての道を極める為、気象予報士を取り、次の仕事に付く為のステップとするか、 今更ながら、医学部に進学しドクターとしての道を歩むかで悩んでいます。 何かに迷った時、みなさんはどうやって自分の答えを出しますか? 結局は自分しか答えは出せないのは分かっているのですが、何かヒントをもらえれば心強いです。
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- akipiyo
- ベストアンサー率56% (101/180)
#1、6です。お返事拝見しました。 >そういう気持ちの変化から長年、挑戦もせずに諦めてた医者への >道を挑戦しようと強く思うようになったのです >私の父親も病気が発覚しました >離れて暮らしていることもあり、とてもショックでした なるほど、やはりそういう背景があったのですね。私の夫も実家は九州・大学は東京と、すぐには帰れない環境で仕事をしていました。 そんな中、父は二度ガンの手術をしました。(おかげさまで父も今はそこそこ元気でぼちぼち働いております。) そういう点は少しkmacaronさんと似ているかもしれません。 夫もやはり相当ショックを受けていましたし、父の看病をしつつ(看病は夫自身はほとんどしていないのですが、「病気の肉親を持つ」という状態は、非常にストレスがかかりますよね)、突然ぽっといった先での診療は、精神的にも肉体的にもだいぶきつかったようです。 だから、kmacaronさんの >そんな思いもあり、自分の体もぼろぼろな状態まできていました という状態はとても理解・共感できます。 ここから先はまた私見ですが、「今更ながらドクターとしての道を歩む」か悩みだしたのは、やはり病気で苦しむお父様の姿を見て、 「自分が医者になっていたら、こんなとき自分で何とかできていたかもしれないのに・・・」 といった後悔や自責の念がわいてきたのではないかと拝察します。 かなりの大病ですから、精神的にもかなりのストレスがかかったでしょうし、看病の間常に「自分にしてあげられることは何か」とお考えになっていたのではないでしょうか。 そういった背景もあり、今また医師を目指そうか、という思いが表出してきたのかもしれませんね。断定はできませんけど、なんとなくそんな印象を受けました。 でも、 >2月の手術は成功し、今は父親は普通に働くまで元気になりました との由、本当に何よりですね。ほっとしました。 で、そうなると、kmacaronさんとしては、せっかく今までやってきた気象関係のお仕事の方が気になるようになりました。これは当然のことです。お父様の病気を理由に会社を辞め、志半ばで宙ぶらりんの状態になったわけですから。そういった状況になった方が、元の生活に(完全には戻れなくても)戻ろうとするのは当然の気持ちです。 でも、ここに、お父様を看病していたときに浮かんだ「医師になっていたら自分が父を診てあげられたかもしれない、もしかしたら、ここまでひどくならないうちに途中で気づいてあげられたかもしれない」といったような思いが絡まってきて、今のような悩める状態になられたのではないかと私は考えます。 しかし、今は >大学院まで進学して学んできた気象についての道を極める というそもそもなさろうとしてきた明確な目標が目の前にあります。その準備も進めておられるようです。努力してきたことに対して、何らかの形で結果を出したいとお考えになることも、これまた至極当然のことです。 #6のお礼で「まずは目の前の目標に8月の気象予報士合格を掲げ、頑張ります」とお書きになっていらっしゃいますから、だいぶ踏ん切りがついたといいますか、ご自身のお気持ちが整理されてきたのでしょう。 kmacaronさんの気象予報士合格を心よりお祈りいたしております。
- akipiyo
- ベストアンサー率56% (101/180)
#1です。補足要求しておきながら、回答が遅くなってしまってすみません。 でも、私が申し上げたいことは、ほぼ他の方がお書きになっておいでのようですので、あまり書くことがありません。 しかしながら、 >それは、家庭環境というものが大きく影響していると思います。 >父の姿を見て育ってきて、一番身近にある職業でした。 この点に関しては、少しは参考になることをお話できるかと思い、PCに向かっています。と言うのは、実は私の夫は「父親の姿を見て育って結局医師の道を選んだ」からです。 やっぱりなかなかまっすぐ順調には進みませんでした。 しかし、夫の場合はどうしても跡を継がなければならない立場で(それはやはり夫の父がそれを強く希望しているのみならず、それが当然と思っていたからです)、10代の頃は嫌だという思いがどこかにあったのと、どうせなら少しでもレベルの高いところへという望みから、結局二浪しました。 学力的に無理のある学校ではなかったようなのですが、医師になるというプレッシャーから途中体調を崩して2留、そして国家試験で二浪しました(どうもこのころ、医師になるのが果たしてよいのかどうか悩み・迷って、勉強がはかどらなかったそうです)。 ずいぶん回り道しましたがなんとか医師になって、それでも父への反抗心は消えず、一生勤務医でやって行こうと心に決めていたそうです。そして、「実家には絶対に戻らない(継がない)」と。 回り道したことで年齢は他の人よりも上、何がきつかったって、とにかく体力的なことです。 でも、仕事をするうちに、やはり自分の父がしていた「人の命と向き合う仕事」に魅力があることを実感したようです。 昔は本当に父親嫌いで、「あんなふうに夜も昼もなく働く仕事なんて、自分は絶対にやらない!」と子供のとき散々言っていたらしいんですよ。でも結局は、その父親以上に人間らしさのまるでない日常生活を送ってきました(妻の私としては、何度離婚しようと思ったことか)。なんだかんだ言って、やっぱり父親の背中を見て育ったんだなと思いました。 結局、一番勤務医として充実していた頃になって、父親の体調が悪くなり、何度か帰省して実家の医院を手伝うようになりました。 でも、本当は勤務先を離れるのは嫌だったようです。その後何度も「家業を継いでくれ」という電話がありましたが、絶対に首を縦には振りませんでした。 でも、最終的には妻である私のほうが「やっぱりもう実家に帰ってあげた方がいいんじゃない?」と言って、泣く泣く勤務先を後にしたのです。 しかし、泣く泣くだったのはつかの間でした。 跡を継ぐのはとても大変だったけれど、患者さんを前にしたらやはり「自分の仕事はこれだ」と思ったようです。 色々あって、二人で元の環境に戻ろうと私が言ったときも、夫は「いや、自分の患者さんを放り出して自分の好きな方に行くわけにはいかない。大学病院なら自分の代わりはいくらでもいるけど、ここでは僕の代わりは僕しかいないんだから」と言って、戻ることを頑なに拒みました。 仕事も大事ですが、夫の場合、やっぱり「息子さん、帰ってきたんだね」という患者さんの声が心を動かしたようです。あとは、実際に医師になってみて、“父の仕事は嫌な仕事だ”と思っていたけれど、そうではなかったことがわかったようです。 途中の回り道期間に、何度も母親に言われたそうです。 「何も無理して医者になんかならなくったっていいのよ。あなたがやりたいことをやればいいんだから」と。 夫も何度かこの言葉に従いたくなりました。他にやりたいことがないわけではなかったからです。 でも、やっぱり、今のkmacaronさんのように何度となく自問自答して、その結果最終的に今の道を選んだようです。 選んだ現在、夫に後悔はないみたいですよ。いや、後悔しても、もう後には戻れないような背水の陣をあえて敷くようなところが夫にあるからかもしれません。 長くなってしまって申し訳ありません。 でも、もし今心の中にお父様の姿が浮かんでくるのであれば、もう一度目指してみるのもひとつの手ではないかと思います。 年齢的には、いつか否応なくタイムリミットがきます。(これは実際に仕事をしてみてわかることですが、年をとってからの研修医期間はとてもきついです。体力的に無理がきます。) 時間もお金ももったいないと周りの人が言ったとしても、もしあなたご自身が「今のままでは後悔しそうだ」と思っていらっしゃるならば、力試しの意味も含めて、社会人入試を受けるだけでも受けてみてはいかがでしょうか。 実際に受験の場に臨んでみると、医学や医師という仕事に対する他の人との考え方の違いに驚かされるようなこともあるかもしれません。そういった経験をしてみると、自分が本当にこの道を選んでいいのかが本当に見えてくるような気がします。 「受かってしまったら必ず医師にならなくてはいけない」という環境では今はないのですよね?だったら、受けるだけでも受けてみるというのはいかがかと思います。入学するかしないかは、そのときに考えることができるのですから。 このお話が何かの参考にでもなれば幸いです。
- musumukamu
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他の方の補足を読ませてもらったのでもう一度回答させて頂きます。 これまでもちゃんと自分の意志を確認しながら進んできたんだなと思います。 >何度とドクターの道を断念した思いが消えなくて、仕事をしながら社会人入試を受けてました。 人間の行動などを研究しているギロビッチ博士という人の言葉らしいのですが(すいません。詳しくはわかりませんが。) 「人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る」 だそうです。その通りだと思います。 kmacaron様ほど自分自身の事をよく考えている方なら後で後悔しないでしょうか?あの時限界までやっておけばよかったかな・・・。と。 詳細な状況がわからないのでなんとも言えませんが、経済的に続く限り挑戦してみてはどうでしょう。受かる、受からないよりきちんと納得した行動をとれた、杭はない、と後で誇れるようにです。 参考になれば幸いです。
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
なるほど、再チャレンジなんですね。就職もされていると言う事で失礼しました。 とすると、チェックすべきは「今回は以前と何が違うのか?」ですね。 >しかし、現実的な学力の問題や、姉が医学部を目指し浪人している姿を見て、私には無理だと思いました。 単に、想いが捨てきれないからと同じ状況ではじめたら、また、挫折する可能性が高いです。それでは多くの時間を無駄にするだけです。再度チャレンジするなら、以前の経験を活かして、勝てる可能性のある戦略を見出し、実行できるか? という点をクリアにする必要があります。 勝つための行動計画が明確になっているのであれば、再チャレンジする価値はあると考えます。(投資家の目線ですね) 気象予報士を平行して取る事が出来ないなら、客観的に考えて限度を決め、先延ばしにして医学部に挑戦されてはいかがでしょうか。 ただし、やる以上は今回が最後のチャレンジと心に決め、うまくいかなくても過去を振り返るのはやめましょう。時間を逆戻りする事は出来ないのですから、自分の過去の上に未来を構築するしかないのです。
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
チェックは「勉強する事にユートピアを見ていないか?」ですね。 現実的な計画を立て、例えば10年後にどういう生活になっているのかをそれぞれ想像して見る事ですかね。どんな職業だって、暗い面があるし、それなりの苦労があるし、日常は地味なものです。 それと、学校の費用+生活費は工面出来るのでしょうか? なぜ気象予報士になりたかったのか、なぜ最初から医者を目指さなかったのか、今なぜ医者になりたいのかがわからないのでなんとも言えませんが、普通に考えると社会人になることから逃げているのではないかという疑いを持ちますね。 あなたの人生の目標において、今のまま社会の出たのでは何が問題になると思っているのでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 なぜ?と思われる部分が多々あったと思います。 私は、高校の頃から医学部に進学し、ドクターになる道を志してました。 しかし、現実的な学力の問題や、姉が医学部を目指し浪人している姿を見て、私には無理だと思いました。 そして、次にやりたい事は何だろうと思った時に、自然のことについて学びたいと思い、気象を勉強できる学校を選択しました。去年、就職先も見つかり、気象関係の仕事につくことができました。 でも、これまでの期間に、何度とドクターの道を断念した思いが消えなくて、仕事をしながら社会人入試を受けてました。 体調を崩したこともあり、会社を辞め、少し休憩をしているのが今の状況です。 長々しくなってしまったのですが、とりあえず今から10年後のことを想像してみます。参考になりました。
- musumukamu
- ベストアンサー率39% (27/68)
医学部、気象に関しては何もわからないのでそこに関しては回答できませんがどうやって自分の答えを出すかについて回答させていただきます。 私は何が自分にとって大切なのか、どうすれば後悔しないだろうかを中心に考えて思いつくままの感情、状況を紙にかきだしました。その後に一つ一つを整理して行くのです。人間の頭は同時に色々な事を考えるとこんがらがってくると思うのできちんと状況と自分の気持ちをかきだした方がいいと思います。 あと、「どうすればいいのか」という問題意識をもっているだけで色々なものがヒントになってくると思います。テレビでも無意識の内に今までの視点と違う視点で見れるようになりハッと気づくことも多々あります。その状態で読書や好きな映画などを見るのもいいと思います。 自分が本当はどうしたいのかが見つかるといいですね。 何か参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。 書き出すことって大事ですよね。わかっていながら、最近は頭で考えてばかりで…。 これまで、悩んだ時は、いろんな人に話して相談にのってもらってました。でも、自分のことだから今回は一人でとことん悩まなきゃと思ってましたが、考え方のベクトルが違う方向にいってしまってた気がします。 昨日は、何人もの友人に電話をしました。答えは出すのは結局自分なんですが、人に話すこともやっぱり大事だなっと思ったし、人の話を聞く大切さも改めてわかりました。 自分にとって何が大切なのか?それがわかれば強い意思が持てると思います。 とっても参考になりましたよ☆ありがとうございます。
- akipiyo
- ベストアンサー率56% (101/180)
なぜ「今更ながら、医学部に進学しドクターとしての道を歩むか」という選択肢が出てきたのでしょうか? その点をもう少し詳しくご説明いただきたいと思います。 せっかく今まで大学院まで学んだことと、あまりに違いすぎるのが気になったものですから・・・。
お礼
それは、家庭環境というものが大きく影響していると思います。 父の姿を見て育ってきて、一番身近にある職業でした。 自分も高校まではドクターの道を進むとばかり思っていましたが、現実的に受かるような成績ではありませんでした。それで次に私は何がしたいのかと思った時に、自然と関わることが好きだったので、そこから 気象予報士という道を決めました。 しかし、挑戦せずに断念した思いというものは消えず、働きながら社会人入試を受けたりもしてました。 体調を崩したのもあり、会社を辞め、今回、ひとまず休憩しようというのが今の状況です。
お礼
akipiyoさんにはそういう背景があったんですね。私が今まで居た会社は、労働体制が厳しいと聞いていました。しかし、私を選んでくれた唯一の会、学んできた事が少なからずとも活かせる気象会社、これらの思いから入社することを決めました。しかし、思った以上に現実は厳しいものでした。台風なんてくると、9時に出社して翌朝の9時に帰ることもありました。でも天気という自然を相手にしている仕事なのでしょうがない部分もありますね。医者に関しては人が相手なのでますます大変ですよね。そんな中で仕事をしながら6月に社会人入試を受けました。心に決めて入社したのにも関わらず、なんで自分の気持ちがぶれたのかと言うと、長く付き合っていた恋人と別れ、なんの為に東京で働いているのかわからなくなってしまったのです。そして、長い人生、自分で生きて行く力をつけなきゃいけないという思いがふつふつとこみ上げてきました。そういう気持ちの変化から長年、挑戦もせずに諦めてた医者への道を挑戦しようと強く思うようになったのです。そんな最中に、私の父親も病気が発覚しました。自分で腹部に痼りがあるのを発見し、検査をしたら腹部大動脈種でした。離れて暮らしていることもあり、とてもショックでした。その間は、父の診療所は代診の先生に来てもらって開けていました。だから、母親もつねに父の側に居る事は不可能でした。私が2週間程休みをもらい、看病を続けました。しかし一山超えたものの、お腹だけじゃなく、胸部にも大動脈種があることがわかり、ゆくゆくは手術をしなきゃいけないという状態でした。会社に対しては、頑張らなきゃという思いはありました。しかし、ゆくゆくは再度手術をしなきゃいけない…そんな思いもあり、自分の体もぼろぼろな状態まできていました。こんなそんなで、今年の2月に手術が決まり、私は会社を辞め父親の側に居る方を選びました。2月の手術は成功し、今は父親は普通に働くまで元気になりました。 この何日か情報を集めたり、今出来る事をやってきました。一歩一歩前に進んでいるから、感じる不安もあるかなとも思います。まずは目の前の目標に8月の気象予報士合格を掲げ、頑張ります。ありがとうございました。