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海軍省の建物。

市ヶ谷の陸軍省の建物が戦後も陸自の施設として使用されごく最近まで残っていたにもかかわらず、あの赤レンガとして有名な海軍省の建物がなぜ海自で使用されずに失われたのでしょうか? あの建物は一体いつ頃解体され、失われたのですか?  ご存知の方、お願いします。

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  • chaff
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回答No.1

そりゃあ、陸海軍と自衛隊ではステータスがぜんぜん違いますからね。 海自が霞ヶ関に居残れなかったのは、ただ単に旧海軍省の立地条件が良すぎただけだからではなかったかと思います。 市ヶ谷の陸軍省は元々陸軍士官学校だったところだそうです。 だいたい市ヶ谷なんて学校が建つ位がせいぜいで、お役所が建っているような土地ではありません。 それが却って他のお役所にとって替わられなかった理由だと思います。 一方、海軍省のあった霞ヶ関は江戸の昔からのお役所街ですね。 戦後、跡地をお役所に再利用するにもホコリくさい市ヶ谷よりも霞ヶ関の方が人気があったのは当然で、海軍の跡地や建物にはどんどん別のお役所が入ってきました。 おそらく当時は赤レンガだからといって顧みられる事も無く、手狭なくせに土地を無駄使いする戦前の建物なんてジャマなだけだったと思われたのでしょう。旧海軍省の建物は少しずつ分割され、農林水産省や合同庁舎5号館に建て替えられていきました。 (旧司法省 等霞ヶ関赤レンガ庁舎の保存運動が起こったのは最近のことです) 因みに最後の旧館は1985年まで残っていたといいます。 結局、防衛庁は六本木に腰を落ち着けることになりますが(よりによって六本木ってのも なんだかなぁ ですが)、今度引っ越すと思ったらあの市ヶ谷ですか?がんばれ防衛庁。