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鉄道の色

昔、横浜線か京浜東北線か忘れましたけど緑色の車体と青色の車体を連結し合って走っていた記憶があるんです。 ごちゃ混ぜになっていたんです。 これは私の記憶違いでしょうか。 鉄道には詳しくないので・・・。 何か情報をお持ちの方、よろしくお願いします。

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noname#132927
noname#132927
回答No.14

#9です。 私は昭和35年生まれです。 山手線は、昭和38年に中央線を走り出した101系を増備し、40年頃に73系だか78系だかから車両を入れ替えて高性能車(カルダン車)になりました。この頃、中央線のオレンジバーミリオンと新宿駅で間違わないようにと、カナリアイエローの車体でした。 しかし、全電動車方式(実現しませんでしたが)で高速性能を生かす設計だった101系では短距離で加速、減速を繰り返す山手線には不向きで、そのため、短距離で加速減速がよいようにと、モーターを強化した103系が開発されました。 山手線はこの103系が42年から投入され、あっという間に101系を淘汰してしまいました。少数が池袋の電車区に残り、赤羽線線専用車として残留、赤羽線で使用していた78系を淘汰しました。 この頃は正面に山手線は「山手」と表示し、よみも「やまてせん」でした。103系は総武線がカナリアになったため、ウグイス色で投入され、池袋で赤羽線の101系カナリア色と並ぶこととなりました。 この当時は山手線、赤羽線とも8両でした。その後山手線の混雑度が高くなり、40年代後半だったと記憶していますが、山手線が10両化されました。なにぶんにも編成数が少なかった赤羽線は、不足した日は山手線の103系が入るため、時折池袋で緑色の編成が並ぶこともしばしばでした。 ちなみに当時のホームは島式2面4線で、今の5番線が1番線で山手線の内回り始発電車、2番線が内回り、3番線が外回り、今の8番線が4番線で、赤羽線でした。 その後、山手線がATC化。このとき紛らわしいからと「山手」の表記が「山手線」となり、読みも昔懐かしい「やまのてせん」に戻りました。 その後、山手線を205系で更新し、赤羽線はホームを移設した新1番線と2番線(現在の3番線と4番線)に移動して埼京線の一部となり、現在は205系で運転されています。 山手線は、車両を205系化、そして6ドア車を20年ほど前に増結して11両化され、そして数年前にE231系の500番台に更新され、現在に至っています。 混色編成について#10さんが62年頃の記念列車では、と書かれていますが、私が池袋-巣鴨間を塾で往復したのが小学校3年生から6年生まで、9歳から12歳でした。その後よく利用したのがATC化の頃なので、昭和年号で44年から48年および50年代中期のことで、このとき混色編成、別路線色の編成を見ていますので、記念塗装ではありません。 ちなみに私は、現在某私鉄の従事員です。定年まで10数年のオジンですが。

Sarasina
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 鉄道関係のお仕事をなさっているんですね。 とても説明が分かりやすいです。 お仕事の方も頑張ってください。

その他の回答 (15)

  • ALF7001
  • ベストアンサー率37% (65/172)
回答No.16

#15さんの回答を見て思い出しました。 混色編成を揶揄したテレビドラマを見た覚えがあります。「常磐線は全国各地から寄せ集められたオンボロ電車だから混色になっている。」という設定で、「寄せ集めのオンボロ電車なのは気にくわないから常磐線を爆破してやる。」といった内容のドラマだったと思います。 もちろんドラマなのでフィクションなのですが、常磐線で混色編成が走っていたのは事実です。ドラマの放送と関係しているのか分かりませんが、その後の新聞に「古くさい常磐線の電車はサービスが悪い。」といった内容の読者投書が掲載されていました。 さらにその後、当時の国鉄の担当者が投書に対して、「効率よい運用のために車両の転配を行っている。混色だが山手線で走っているのと同じ高性能な車両だ。工場での検査時に塗り替えている。」というような回答をしていました。

Sarasina
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 あちこち混色編成で走っていたんですね。 しかもドラマにも登場していたなんて・・・。 私の小さな記憶の穴からこんなに膨らむなんて思ってもいなかったです。 みなさん、本当にありがとうございました。 この場を借りてお礼を申し上げます。

  • jnr-fun
  • ベストアンサー率16% (1/6)
回答No.15

それは京浜東北線や山手線に新型車両が配置されたときに発生した大規模な転配属のせいでしょう。 そういえばたくさんの混色編成が走っていたことでそれを揶揄したテレビドラマまでが放送されたそうですよ。

Sarasina
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 『太陽にほえろ』が始まったら観てみようかと思います。

  • hiroki0527
  • ベストアンサー率22% (1101/4910)
回答No.13

>横浜線が黒字だったんですか。 はい、その通りです。S30年代後半くらいまでは赤字ローカル線でしたが。 理由は簡単、横浜市北部や相模原市、町田市あたりの人口が昭和30年代後半以降急増したのに、横浜方面に行く路線が横浜線しか無かったからです。必要に迫られて皆乗っていたんですね。 (当時のみどり新聞等に文句記事等が多数載っています) いまの田園都市線みたいなモンです。 混雑率もそうとうなモンだったそうです(何せ複線化が遅かったので、電車本数はS50年代に入る位まで今よりかなり少なかったので) その昔、昭和10年代前半くらいまでは現町田~八王子間は非電化で気動車が走っていたそうですし、原町田駅構内にお召し列車が疎開していたのは有名です。なお、こどもの国線は田奈弾薬庫(現こどもの国)へ弾薬を運ぶ引き込み線で、当時は県道を渡ってこどもの国内まで伸びていたそうです。

Sarasina
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 こどもの国は弾薬庫の跡地だったんですね。

noname#211411
noname#211411
回答No.12

横浜線は通勤で使っていました。NO.11の型が言う通り、横浜線と言えばチョコレート色電車の後は山手線の色と京浜東北線の色の電車が連結して走っていました。ちなみに、国鉄末期には3色混合なんていうのにありました。さすがに、3色混合は沿線住民の怒りを買いましたね。なんせ、当時国鉄の黒字路線は新幹線、山手線、横浜線がベスト3でしたから。住民の怒りを鎮めるため(住民運動があったかもしれません)に現在のステンレス車両になりました。以下のHPで横浜線の昔を見ることができます。

参考URL:
http://www1.tmtv.ne.jp/~marina/
Sarasina
質問者

お礼

ありがとうございます。 3色混合の編成で沿線住民が怒ったんですね。 なんでだろう・・・。 横浜線は8両編成だから8色にしたら怒りが爆発したでしょうね。 横浜線が黒字だったんですか。 新横浜で新幹線に乗換えができるからかな。

  • hiroki0527
  • ベストアンサー率22% (1101/4910)
回答No.11

No4です。 >私は地元民なんですが青と緑の2色だと思っていました。 僕も沿線住民なのでよ~く解ります。 鉄道模型でも2色混色編成が「横浜線仕様」なんて売っていたという話がある位です。 なお、103系化されるまでは「茶色い電車」73系が走っておりまして、小学生の頃乗りました(この頃の写真は結構形式写真集等に載っていますし、みどり新聞の過去版にも結構載っています)。 なお、鶴見線は「大川支線」のカーブ等の関係で数年前まで旧型国電が残っておりましたが、最後の方は鶴見へも顔を出していましたね。 茶色い電車は中山駅が今の橋上駅化された記念に国府津電車区の車両が走ったのが最後では無いかと。

Sarasina
質問者

お礼

ありがとうございます。 鉄道模型も2色混色編成で売っていたんですね。 初めて知りました。

  • Mr_Holland
  • ベストアンサー率56% (890/1576)
回答No.10

#9さんの >最悪なのは1編成全部違う車両です。記憶の限り、オレンジバーミリオンの中央線色が2編成、スカイブルーか、エメラルドグリーンが1編成運転されました。 >こうした編成単位だったものは、先頭正面の窓下に、大きなシールで山手線と張ってました。 これかどうかわかりませんが、赤-黄-青-緑(ほかにもあったかな?)、とにかくカラフルな結合の山手線を見たことがあります。 確かJRが国鉄から民営化されたときの記念列車(昭和62年4月ごろ)だったと思います。

Sarasina
質問者

お礼

ありがとうございます。 山手線は11両編成ですよね。 昭和62ごろは知らないですけど・・・。 どうせなら11色のカラフルで走ってくれればおもしろいのに。 でも実際に走ると気持ち悪いかな?

noname#132927
noname#132927
回答No.9

山手線が緑色の103系だった時代、車両不足かどうか不明ですが、混色車両、別路線色車両が走りました。 例えば、先頭のクハ、中間付随車のサハのみウグイス、クハのとなりの電動車ユニットは常磐線のエメラルドグリーン、中央の電動車は中央線のオレンジバーミリオンとか、あるいはオレンジバーミリオンでなければスカイブルーというように。ドア上に山手線とシールが貼ってありました。 最悪なのは1編成全部違う車両です。記憶の限り、オレンジバーミリオンの中央線色が2編成、スカイブルーか、エメラルドグリーンが1編成運転されました。 こうした編成単位だったものは、先頭正面の窓下に、大きなシールで山手線と張ってました。 当時私は塾だったかに通っていて、乗るのが楽しみでした。

Sarasina
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 山手線もやっていたんですね。 私も乗った事があるかどうかすら覚えていないですけど乗ってみたかったな。

  • Sompob
  • ベストアンサー率21% (110/516)
回答No.8

記憶違いじゃないですよ、そうやって一時期走ってました。 (1985年から88年の間の一時期) その直前、関西地区で大水害が発生して、通勤電車が多数、 水没したんです。それで首都圏の電車を貸したんです。 東海道本線を電気機関車にドナドナされて。 首都圏で廃車予定だった車輛はそれを延期され、混色編成は 主にローカル的路線に回ったんです。 もっと昔。国鉄が首都圏五正面作戦を展開していた時も、当 時の最新電車(101系の事)を関西地区に貸したので、そ の時も混色編成でしたが、これは除外ですかね。

Sarasina
質問者

お礼

ありがとうございます。 1985~88年だと私は5~8歳でした。 今じゃありえないですもんね(たぶん) もっと昔にもあったんですか。 今でもリアルに見る事ができたら・・・と思います。

  • ceeda34
  • ベストアンサー率36% (517/1418)
回答No.7

太陽にほえろ 第625話 「四色の電車」 これに103系の混色編成が登場します。 しかも、この回のキーワードがこの混色編成103系。ドラマ内の名称も103系で通ってます。 七曲署の刑事たちがこぞって「103系が」といって総マニア化してます(笑) この時のスポットを浴びたのは常磐線の103系です。 放送が1984年で、前年に203系。翌年に205系が登場しています。 すでに中央快速は201系が導入されていました。 たぶん、ピークは中央線の201系導入あたりでしょうか? 1980~1985年当たりだと思います。 そのほかに横浜線にも103系の集中転属配置があったと思います。

Sarasina
質問者

お礼

ありがとうございます。 この回の『太陽にほえろ』を観てみたいです。 スカパーで放送しており、その話がきたら観てみようかと思います。

noname#79142
noname#79142
回答No.6

今のステンレスタイプが入る前の横浜線は、電車的には「はきだめ」「ふきだまり」でした。私が子供の頃の80年ころまで茶色い昔(戦中・戦前?)の電車さえ走っていた記憶が有ります(あと鶴見線も茶色いすごい古い電車が走っていました)。

Sarasina
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 小さい頃、鶴見に住んでいたので鶴見線を利用した事があります。 と言っても鶴見~国道の1区間ですが・・・。 茶色い電車にも乗った事があります。

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