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空白のひきこもり期間は一体何だったのか

僕は自分の能力に限界を感じたというか、僕は頭の悪い人間なので人生を生き抜いていける気がしなくて18歳~21歳までひきこもりになってしまいました。世間的には一番活発な時期だと思うのですが…。 今その期間を振り返ってもあまり覚えていないし、他人に「3年間も何をしてたの」とか聞かれると「いや、特に何も…」としか答えられないのが恐くて未だに人と深く関われません。 いまはアルバイトなどをしてひきこもりを脱しつつありますが、これから長い人生その空白期間を背負って生きなければならないのが 苦しくやはり死にたくなります…。 一体自分はこの先どうやって生きていけば良いのでしょうか?そもそも生きる必要はあるんでしょうか?自分より優秀な人はいくらでもいてそんな人達にしてみれば、自分がこの世界に存在していてもはた迷惑なだけというか何となく生きる必要性を感じないのですが。自分はいくらでも替えの効く存在だと思うし、この世界は優秀な人達に任せればいいかなと。 それと3年もひきこもっていた人間をどう思いますか?やっぱり引きますよね…(このカテゴリーにいて回答を下さる方は優しいから、そんなことはないと言ってくれる様な気がしますが、一般的にはどうなのかなと言う意味です)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • frau
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回答No.12

聞けば普通のサラリーマンでも例えば次の職場に移るときに1年間遊んでたとかいう話をよく耳にします。「何もしてなくはないでしょう」と誰かも言っていました。 あなたは3年の間少なくとも生きてこれた。そして社会を生かした。 食べ物を消費し水道やガスを使い、テレビやDVDを見てパソコンを使い等々することで日本の経済機構に貢献してきた。 またあなたはそういう資源を基盤にいろいろものを考えてきた。それだけで充分な「要素」なんだと思います。誰かは言うでしょう。それは今食べさせてもらっている親のおかげだって。確かにそうでしょう。ではなぜ引きこもるようになったのか。まず原因を考え共に自立するための協同作業をするのも親の責任です。 起きることはすべて意味があります。あなたが息を吸って吐いて生きている、それだけで充分な意義があるのです。人が独りでは生きていけないのと同じ、人は何かしら生産し、他に影響を与えています。だから「>生きる必要性」はあるのです。 確かに社会参加できていない焦りはありますよね。人間て「ゆりかごから墓場まで」社会的な生物ですから。 でも「生きる」というのは合理的なものです。それを為すための要素や筋道が成立した結果なのだと思います。本来人を傷つけたり迷惑をかけたりしなければどんな生き方をしてもいいのです。 たとえば宝くじで1億円あたったら?一生遊ぶ(引きこもる)人もいるでしょう。なぜ人は働くのか?マズローの欲求段階説からみた場合はその価値観は人それぞれですがそれは二義的なもので、徹頭徹尾自分を生かすためのものつまりお金のためでしょう。 「どうして働かないの?」と聞かれた場合「食うに困らないお金があるから」と答えれば人は一応は納得するでしょう。(そのお金を元手にしてさらなる社会参加する人もいるし、それを勧められるだろうしけれど)合法的に合理的に結局は生きていければそこになにの罪はないのです。 しかしどうして見も知らぬ相手を社会参加に強制するのでしょうね。自分の隣人の顔も知らないのに。なぜならば他人が自分の根源的な不安を投影しているからです。引きこもることによる弊害たとえば経済的なことや社会参加できない焦りや孤独など・・・。さらに自分がこんなに辛い思いをして働いているのに何様だ!という羨望や妬みなどのごく主観的な感情からもあるでしょう。 実年齢に比例して彼女(彼)がいない、今仲のよい友達がいない、いい年齢して(←一般的に)結婚していない、実は精神疾患である、人に言えない過去がある・・・。皆「えーっ」と驚きますよね。引きこもりやニートを通して「不安」をみるからです。人は誰かの不幸を下に見て自分のほうが幸福であることを確認したい性がありますから、そういう優越感が差別と紙一重になっている。 とまあ、引きこもることに対して罪の意識が強いのならそういうふうに考えればよいと思います。 ご回答者様はとくに精神疾患とかを患っているのではないようですが(と勝手に推測していますが)、引きこもるというのは鬱や適応障害などを患っている精神疾患をもつ場合と、時代に対する引きこもりやニートはそのアンチテーゼでもあります。 私の敬愛する心理学者の河合隼雄先生がおっしゃっていますが、「『不登校』を文化の病と捉え、子どもの呈する困難は新しい生き方の創造を促す」「学校へ行かない子が出てくるということは、日本文化の方向を考えようという人たちが出てきているということである」。日本の文化を考えるというのは、どういうことかというと、ご存知かと思いますが日本人というのはとかく誰かや何かと同じであることに安堵したがる人種だということです。例えばアメリカの学校では制服がないけれど、日本の学校は私立などまだ圧倒的に制服が多い。それが象徴するように、日本人がいかに人と同じスタイルやスタンスをしたがるかという懐疑や居心地の悪さ、またそれに提言したくても今度は異端児として排除される危険があるそういう悪循環に、不登校や引きこもりの問題があるというとのことです。 自分さえよいという功利主義が蔓延し、物だけが激しいスピードで代謝を繰り返すと同じように安易に捨てられ、科学万能主義で心の相互作用が希薄な今の、こういう矛盾だらけの社会に対して立て(引き)こもることで寡黙に抵抗しているんです。称して「活動しないレジスタンス」(笑)。そういう背景を考えずに単に「心理バカ」なるコメンテーターやお茶の間評論家やのように一般論しか吐かない人たちはもっと自分の意見に責任を持つべきです。だから「怠け」と見られているのは哀しいことです。「怠ける」だって「休んでいる」かもしれないのに・・・。そういえば「なまけものの悟り方」って本があったよなあ) 18歳~21歳という確かに身体的に活発になる時期に引きこもることは数的に少ないでしょう。たんなる(でも深刻な)マイノリティの問題です。でもだからこそ貴重なんです。 この時期はときに心や感性が成熟への準備をしています。外界との相互関係を作ることも大切ですが、思春期の同輩は、自分と似た者を受け入れることが重要になるなんて確かに発達心理学でもうたわれていますけれどね、アイディンティティ確立のときには一人で思索することも大切だと思います。社会性なんて社会に出ればいくらでもスキルをつめる。でも多感な時期に付和雷同して得た価値観なんて容易に捨てることはできないでしょう。 「世界への関わりを中止することが、むしろ、世界を、そのありのままの真相において捉え直すための必須の方法的態度である」とフッサールも言っています。古今東西の賢人は孤独を決してネガティブにうたってはいません。創造の土壌です。(もし興味がおありになるのなら右の本をお勧めします⇒「孤独~自己への回帰」~アンソニー・ストー著・創元社)。本来人は孤独が根幹です。この根をしっかり鍛えない限り、ざわざわと騒がしく、でも空虚な世の中に出ても逞しい木は育たず、実も花も咲かせられないと思うのです。 自分という宇宙の空間で、空白にみえ実は有機的な濃い時間を自分の中にインプットしたわけですから、それを今度は外界にアウトプットすればよいのです。(普通にすごしていれば一生考えなかったことも考えていたかもしれない!) さらに「インアウト」にかけ、引きこもりの外界に対する「イン」と「アウト」の境界を、そういう発想の転換で乗り越えればいいんです。自分が靴を履いて外界に飛び出すことも、底から上(世間)を見ているのではなく、包括的に自他を観察してきたわけですから、こういうマイノリティの問題についての思慮が育まれた、それを今度はイデオロギーとして還元させること、それが考えることの果実だと思っています。 すいません、長くなっちゃって。 えと、あなたは文面から非常に素直な方だとお見受けします。ですが唯一もの申したいのは、ネガティブ思考を辞めましょうよ!ということです。潜在意識はきちんと後ろから見ていますよ(←キーワードです)。思考は現実化する、これホントらしいです。

basuball
質問者

お礼

とても丁寧に回答ありがとうございます。 確かに普通の若者が考えないようなことも考えていたのかもしれませんが、やっぱり周りとのギャップを感じるのが辛いですね…。 別に自分は哲学者では無いし、そんな頭も無いし、真実なんて知らなくてもいいから周りと楽しく関係したかったという思いがあります。(今は有名な哲学者も生きているうちは変人扱いされたりして結構辛かったんじゃないですかね?詳しくはわからないですが。) やはり自分は弱い人間なんで、なかなか後ろ向きな考えを絶てそうにはないですね…。何か時代についていけないというか、もう限界だと毎日感じてしまいます…。

その他の回答 (11)

  • precog
  • ベストアンサー率22% (966/4314)
回答No.1

>他人に「3年間も何をしてたの」とか聞かれると「いや、特に何も…」としか答えられない それでいいんじゃないでしょうか。それ以上聞く人は居ないと思いますよ。 もし、自分の過去を冗談に出来るなら、そこに何か逸話を入れれば他人を楽しませることは出来ると思いますが。 >自分より優秀な人はいくらでもいてそんな人達にしてみれば、自分がこの世界に存在していてもはた迷惑なだけというか何となく生きる必要性を感じない 例えば、優秀な人がリーダーになったとします。しかし、一緒に働いてくれる人がいなければ優秀さは十分に活かされる事はありません。そして、優秀な人だけの組織を作ると誰も手を動かさなくなりますから、それはそれで頭でっかちな困った組織になるんですよ。優秀な人だけ残ればいいというのは、短絡的な考え方です。それに、優秀な人も、最初はひよっこだったはずですから。 もう一つ。人間も含めてですが、生物というのは、何か存在意義というような大それたモノがあって生きてるわけではありません。この世に行き残っているから生物なのです。生物の目的はただただ生き残るだけです。 >それと3年もひきこもっていた人間をどう思いますか?やっぱり引きますよね… 別に引きませんけど、注意はしますね。もし、それもあなたが嫌だと思うなら、払底出来るだけのモノがあればいいわけで、それはこれから普通に暮らしていく時間の長さの中で得られるのではないでしょうか。 一番大事なのは、過去は変えられないということです。過去は過去として棚に飾っておいていじくり回さないことです。誰にでも消したい過去はありますが決して消える事はありません。生物しての人間に出来る事は、過去の上に過去を積み重ねて行く事だけです。しかし、触れないことは出来るはずです。 今日をしっかり生きて、明日に備えてください。

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