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利家と慶次郎の関係は?
カテゴリが歴史になるのかもしれませんが、マンガの「花の慶次郎」のことなので、こちらで質問します。 花の慶次郎では、利家の描かれ方がちょっとひどすぎるとは思うのですが、マンガだからしかたがないのかなって今まで思っていました。 大河ドラマを見ていると慶次郎はイメージが違いすぎるし・・・。 本当のところ(史実てきに)利家と慶次郎の関係はどんな感じだったのでしょうか?
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参考URLに史料をまとめた記述がありますが、これによると父親は滝川一益のいとこであり、前田家と血縁はありません。 先日の放送では及川慶次郎が利家に簡単に日和りやがりましたが、その後の出奔はどう描かれるのでしょうか。 http://www.nhk.or.jp/taiga/jinbutsu/jbt016.html
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- rushan
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史実とマンガの話はみなさんにおまかせして。 大河ドラマについては、あくまで「ドラマ」だと制作者サイドは 言ってますし史実通りではないので、ご覧になっていて「?」と 思ったとしてもそこはご愛敬、ということだと思います。 おじゃましました☆
お礼
そうなんですよね。ドラマも漫画もやっぱり楽しませるために作りこんであるから史実どおりではないことはわかっているのですが、フィクションとノンフィクションを織り交ぜて書かれているので実際のところはどうだったのかなぁと気になったので・・・。 アドバイス、ありがとうございます。
- moonrose
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前田慶次郎については,karinntouさんが読まれた漫画の原作である『一夢庵風流記』を読まれれば,よくわかると思われます。隆慶一郎著作で,ハードカバーの他に文庫本も出ております。 隆氏いわく,利家は意外に小心者であり,兄の家督を奪い取ったという負い目があったといい,漫画の方ではそれがことさら強調されているようです。家督のみではなく,本来なら慶次郎に譲られるはずであった出城も利家は手中にしているようです。 また,二人の年齢も近いこと,利家の正室・お松の方と慶次郎が幼なじみらしかったことなどから,彼女を挟んでの恋模様もあったと思われます。お松様については,徳川の天下平定後に江戸へ人質として自ら赴きますが,そこには慶次郎の説得があったとの説もあります。 ただ,慶次郎は金沢時代に一応妻子もあったようですので,自由に生きたかったというのも出奔の理由の一つでしょう。ちなみに,慶次郎の実家(?)滝川氏は忍びの家系だそうです。
お礼
ありがとうございます。 槍の又左という名前のイメージからは遠いのですが、小心者だったのですね。 年齢が近いというのも意外でした。 「一夢庵風流記」は一度読んでみたいと思っていたので探してみます。
- disease
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前田家は普通なら利家の兄の利久が継ぐはずだったんですが、信長の鶴の一声で弟が継ぐことになります。 つまり利久の子、前田慶次は継ぐはずだった前田家を甥の利家に奪われたことになります。 ところで慶次は本当は滝川一益(益氏だったかも)の側室の子なので前田家の血は全く流れていません。 利家の兄、利久は滝川の側室を気に入り貰い受けたんですが、その時すでに慶次を妊娠していたんです。 慶次は義理の父の前田利久の死亡後、前田家を出奔しています。 このことから慶次は地位や名誉にはあまりこだわらない性格のようです。 当時の書物に慶次の戦の時の凄まじさを書いたものがあるので、かなりのツワモノだったようです。 少なくとも大河ドラマのような華奢な人ではなかったんでしょう。
お礼
ありがとうございます。 慶次郎については、あまり資料が残っていないようですね。 「花の慶次」の印象が強いので、利家に簡単に気絶させられるのはイメージが違いすぎて。 地位や名誉にこだわらない性格だったとすると、ドラマで「荒子を取り戻す」といっているのはドラマの演出なんでしょうね。 前田家を継げなかったことを怨んでいたのではないと考えていいのでしょうか? >利家の兄、利久は滝川の側室を気に入り貰い受けたんですが、その時すでに慶次を妊娠していたんです。 ↑マンガでは、出産前に嫁いでいます(貰い受けたということは益氏は生きている)が、ドラマでは結構大きくなって(益氏は亡くなっていたような)いましたよね。実際はどちらが正しいの?
以下の参考URLサイトには関連質問の回答がありますが、参考になりますでしょうか? この中で#1で紹介したサイトも参考にして下さい。 ご参考まで。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。 慶次郎については、「前田慶次郎日記」が有名ということは、世間から見てどうだったかってあまりよくわからないわけですね。 茶会のあと水風呂に入れたことは事実らしいのですが、嫌いだから仕返しして逃げたというより、マンガにも書かれていたように迷惑をかけないためそれを出奔理由にしたってことなのでしょうか。 性格的にかぶいただけと考えていいのかな? ・・・質問ばかりしてますよね。すみません。
お礼
ありがとうございます。 慶次郎が出奔したのは、利家と仲が悪くてというより自由奔放な性格のためと考えていいのでしょうか? 前田家は戦国武士の中で、めずらしく血族間で血を流していない一族で家族の結束が固かったとは聞いていたので、出奔するほどなにかごたごたがあったのかなーってかんぐってました。 私的には、利家はその人徳のおかげで100万石にまで上りつめた人と思っていたので、「花の慶次」の利家にはちょっとなっとくできなくて。 一方、慶次郎もその武勇やご免状などからも人から好かれる人物だったのではと思うので、その2人がかなり険悪だったのか?と思える書き方にちょっと疑問があったんです。 相続に関するごたごたや、出奔などもあり、やっぱり関係がよくなかったのかなーとも考えられたんですけど。 結構長い間おとなしく利家に仕えていたってことはそれほど悪くはなかったってことですよね。 その後の出奔がどう描かれるか気になりますね。 URL参考になりました。