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跡継ぎ

 浄土真宗大谷派のお寺は寺を継ぐ人はそこの住職と同じ姓でなければならなく、その姓は寺の規則で決まっているというのは、本当でしょうか。もしそうなら、坊さんになりたい人はその寺の住職にはなれないわけですね。今時このような名前で差別をするということを寺がしているのでしょうか。  浄土真宗は親鸞が開祖なのにやたら宗派が多いですが、このような寺の取り決めと関係あるのでしょうか。本願寺派のお寺はどうなのでしょうか。

みんなの回答

noname#25297
noname#25297
回答No.5

boronboron 復活!!! マタでてきました。他の回答がぜんぜんつきませんが、まだ締め切ってなかったんですね・・・ 他の回答がつかないのは、特に述べることが無いのと、このように脱線することが容易に想像できたのも一因でしょう。 >今時このような名前で差別をするということを寺がしているのでしょうか。 ご質問はあくまでも「なぜ姓による規定があるのか」ではなくて「今時このような名前で差別をするということを寺がしているのでしょうか」と、「差別である」とする前提(決め付け)での質問でしたね。 ご質問はあくまでも「姓による規定は差別ではないのか」ではなくて「今時このような名前で差別をするということを寺がしているのでしょうか」と、「差別である」とする前提(決め付け)での質問でしたね。 >「差別」ではなく「区別」に過ぎないのであれば、なぜ答えたくないのでしょうか。 これは言い方を変えれば「“差別”ではなく“区別”なら答えられるはずであり、答えたくないのは“区別”ではなく“差別”だからであるから」となり、これは「“差別”だから答えられないのである」と、答えない理由を「差別であるから」と決め付けており、“決め付け云々”とは無関係な引用サイトも斯かる認識を否定せず「差別である」とする前提で述べています。事実差別であるかどうかは前述したとおりですし、姓の違う者を卑しめてもいません。もっとも“決め付けている”かどうかは本題とは完全に無関係で、当方にとってもどうでもいいことです。貴殿がなぜ“決め付け”に執着するのか理解できません。“決め付け”と捉えられては都合が悪いのでしょうか。 それとも貴殿は >私は「差別的」であると考えます。 と述べておきながら「宗規の当該部分は“差別ではない”」と、矛盾した主張をしているのでしょうか。「差別ではない」と認識しているのならば >名前で差別をするということを寺がしているのでしょうか・・・ ・・・このような表現はなされないはずです。ホントにどうでもいいことですが。 また、無意味に引用されているサイトは、一部の僧侶たちの偏った一つの見解(執着)に過ぎず正論とも思いません(当方には無関係なのであえて否定もしません)。他宗同様、闇雲に一般開放する必要もありません。もっとも世襲制の必要性、功罪につきましては前述した以上のことはあえて述べません。 さらにまた、どの宗派も住職資格に一定の条件を設けるのは然るべきです。 繰り返しますが人は必ず執着(“しゅうチゃく”ではなく“しゅうジゃく”)します。執着とは“不必要な拘り”を意味します。貴殿は思い込みの激しい方なのか、当方は「人間の行いはすべて執着である」と言っていると勘違いしているようですが、違います。 “卑属系統”の規定の必要性は前述したとおりで、執着とは思いません。 そもそも貴殿は卑属系統云々が規定された経緯、未だ削除されない理由をご存知ではないようなのに、なぜ(男女雇用)機会均等(法)を根拠に“差別ダ!”と決め付けるのでしょうか。住職は雇用主には成りえても雇用される側ではありません。新寺建立に制限があるということもありません。聖人の教えと宗門構成とは本来関係ないはずです。もっとも貴殿が「“差別的”である」と考えようが考えまいが当方にとってマッタクほんとにメチャクチャ“ドーーーでもイーーーこと”で、もちろん議論するつもりもありません。 以上、本題とはまったく無関係です。 さて、“浄土真宗を信じている集団が宗教法人になった経緯とその集団がどう変わったのか”については、部外者の執着するところではないでしょう。それとも大谷派の方ですか?ならばこのような処ではなく宗門に向けて発言するべきことです。ここは思想表明や議論の場ではありません。

noname#22782
noname#22782
回答No.4

>「差別」ではなく「区別」に過ぎないのであれば、なぜ答えたくないのでしょうか。 差別と決め付けている批判的な人とかかわりたくないのと、差別が理由で答えないのではないからでしょう。あえて述べませんし議論の場でもありません。 >・・・そこが宗教法人化しないと宗教法人法を定める意味がなくなる。 はあ? 宗教法人法成立の経緯からして、浄土真宗の宗教法人化と宗教法人法の可否は無関係ですが、ここで詳しく述べるつもりはありません。しかし宗教法人化されることにより浄土真宗が変わったのは事実です。 また、立法府や行政府が世襲云々等、宗教行為に立ち入ることはありませんし、不動産を所有しない宗教法人も多いです。 参考までに宗教法人化するメリットは税制面の優遇ですが、個人の不動産でも宗教法人が本来の用に供するのならば非課税の適用を受けます。 当方の属する宗には法人規則に姓の定めはありませんが他団体のことは知りません。姓による区別の根拠につきましては先に述べたとおりです。聖人の真意はわかりません。 寺院教会条例から“男子”が削除されたのは“区別”ではないからと推測できますし、「卑族“系統”」の部分を削除しても“姓”による規定が削除されるとは限りません。さらに、「卑族“系統”」に“執着”しているとは思いません。規則に“卑属系統云々”を定めている理由につきましては前述したとおりです。 以上

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質問者

お礼

有意義なご回答、ありがとうございます。

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質問者

補足

 有意義なご回答ありがとうございます。「決めつけ」だと述べられていますが、以下、浄土真宗のサイトから引用することでそうではないということを示します。  以下のサイトは真宗大谷派の僧侶のものです。 「その親鸞聖人を教団の中に閉じ込め、一宗一派の開祖として権威づけることによって、僧侶自らの権威とし、さらに天皇制に身をすり寄せ世襲制という家制度にしがみつきながら、伽藍と身分秩序を守ることに奔走してきた。そこから生まれてきた者は、「解放の精神を麻痺せしむるが如き教学」であり、身分制度を温存するだけの儀式であり、人々の競争心や差別心を巧みに利用することでしか護持できなくなってしまった、教団組織の現実である。  水平社創立当時に出された「部落内の門徒衆へ」という檄文にある、「色衣や金襴の袈裟を着飾って念仏称名を売買する人達」という厳しい批判の言葉の前に、改めて我が身をさらさねばならない。」 法伝寺住職 釈浩昭http://www.nsknet.or.jp/~yamabuki/osada.html  真宗大谷派寺院教会条例における「卑族」という規程が機会均等の障壁となっている点で、私は「差別的」であると考えます。  これは本願寺派住職の文章です。 「世襲制というものは、教法社会としての真宗教団の形成に対して大きな問題の一つである。都市開教の現場に見られるような具体的な課題をふまえて差別的・閉鎖的な世襲制から教法社会としての新しい真宗教団への展開が重要な課題である。また、この展開は、新しい歴史の形成への参加をも意味する。」(稲葉尚範 浄土真宗本願寺派開教専従員・藤沢市恵光寺住職http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho30/s30_090.htm) 「真宗の場合には住職の世襲が積極的な意味をもってきた点があるとしても、職業選択の自由がない人権を抑圧された被差別的とさえ思える境遇に現在では置かれていて、特権階層ではありえない訳ですから、そこで居直るしかないし、その「決意」は大変なことは重々わかります。」(浄土真宗本願寺派西順寺住職http://www.mirai.ne.jp/~makotom/koukeimn.htm) 「大谷派「同朋会運動」提唱者 訓覇信雄氏死去(http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r11.htm)」というところには以下の文章があります。 「もっとも、歴代「改革派」内局側も、教団の近代化・民主化を主張し、大谷家の「専制支配」を否定しながら、全国9000末寺のほとんどは、住職が「世襲」されているという実態、さらには、「家の宗教から個の自覚の宗教へ」という目標にはほど遠く、単に葬儀や法事を行うだけの「檀家仏教」に終始している実態に手が着けられていないことも、併せて指摘しておきたい。」 「東海地方で西本願寺派の寺を営んでおります。(中略)また、世襲制を改めるべきだと思います。今多くの末寺は兼業が大半です。経済的には本業の方で独立しているのが大半です。また、そのため寺については仕方なくやっている方も多くみえるのではないでしょうか(私もその一人です)。今お寺を巡る環境は非常に閉鎖的です。お寺に関係する人が増えるのは一世代に1人でしょう(嫁がれた奥様)。これでは、仏道が廃れていくのも仕方ありません。主体的にお寺に関わる人を増やすこと、そして黒骨様のように在家でありながら発心を起こされ仏道に入られる方を支援するためにも、世襲ではなくやる気のある方が入寺しやすいシステムに変えるべきなのだと思います。」(http://black.no-blog.jp/hone0625fk/2004/09/post_7.html) >人は必ず“執着(しゅうじゃく)”します。 >「卑族“系統”」に“執着”しているとは思いません。  ここは矛盾しています。 >浄土真宗が宗教法人格を取得した経緯につきましては関係者よりたぶん詳しいですが >宗教法人化されることにより浄土真宗が変わったのは事実です。  浄土真宗を信じている集団が宗教法人になった経緯とその集団がどう変わったのかについてご教示くだされば幸いです。勉強になるのでよろしくお願いします。

noname#22782
noname#22782
回答No.3

他の回答がつきませんね。答えられないのではなく答えたくないのでしょう。 ずいぶん古い話ですが、本来、優婆塞・優婆夷の集団であるはずの浄土真宗が宗教法人格を取得した経緯(宗教法人になってから大きく変わったんですよ、当たり前のように“出家”というようになったり)につきましては関係者よりたぶん詳しいですが、具体的な“教義”につきましては専門外ですので ANo.1 における“補足のご質問”に対する答えは「わかりません」です。 しかし、以下、門外漢の見解として・・・ お尋ねの件、“他にも理由がある”かどうかも、わかりません。しかし、姓や血縁、出自で“優劣”を判断しているのではないので差別であるという認識は理解できません。区別ではありますが。後継者が師僧の養子になるのは現在他宗でもよくありますし、姓が同じなら血のつながらない他人でも住職になれます。“いい・わるい”はともかくとして。 世襲について聖人の本意はわかりかねます。憶測の域をでませんが、後年、血脈(法脈)より血縁の優位性を主張したことも一因ではないでしょうか(騒動の原因ですね)。 このことにつきましては真宗各派との見解も大同小異でしょう、是非はともかくとして(本当はそのことがご質問の本来の趣旨でしょうか?)。 また、“真宗大谷派宗憲改正”につきましては宗派(包括団体)を運営する上での事柄であって、被包括寺院の法統を拘束するものではないということでしょう。宗憲は教義ではありません。 って、とこです。ここまでは専門外ですから読み流してください。 >大切にする・・・ この“大切”が仏教における大切と同等であるかは別にして(“一般的大切”と“仏教における大切”が異なるかどうかもともかくとして)、 人は必ず“執着(しゅうじゃく)”します。執着から離れるときはすなわち、解脱する(悟りを開く)ことを意味します。つまり“執着を捨てる”とは、 「執着は悪であるが私たち凡夫は執着しなければ生きられない。生きている以上、執着し続ける。」 この自覚を持つことを意味します。もちろん、執着しないように努力することを否定しているのではありません。 以上、入退会を繰り返す ANo.1 でした。 それではゴキゲンヨウ!!! (^^)/~~~

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質問者

お礼

どうもありがとうございました。

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質問者

補足

 ご回答ありがとうございます。 >他の回答がつきませんね。答えられないのではなく答えたくないのでしょう。 「差別」ではなく「区別」に過ぎないのであれば、なぜ答えたくないのでしょうか。 >本来、優婆塞・優婆夷の集団であるはずの浄土真宗が宗教法人格を取得した経緯(宗教法人になってから大きく変わったんですよ、当たり前のように“出家”というようになったり)  門徒が自分自身の土地や家の一画を提供して道場としたんでしたっけ。そうなるとそれは私有財産ですね。宗教法人になると、公的財産になり自分の財産ではなくなる。それじゃ、宗教法人になるメリットがない。浄土真宗の団体は日本最大の仏教団体ですから、そこが宗教法人化しないと宗教法人法を定める意味がなくなる。じゃ、国はどうしたか?公的な団体であるにもかかわらず、規則として世襲を認めてあげたのではなかったでしたっけ。ご教示お願いします。 >しかし、姓や血縁、出自で“優劣”を判断しているのではないので差別であるという認識は理解できません。区別ではありますが。後継者が師僧の養子になるのは現在他宗でもよくありますし  他団体はその宗教法人規則で「姓」を定めているのでしょうか。「差別」ではなく「区別」であるのならば、その「区別」を姓により行う根拠は浄土真宗の何に由来するのでしょうか。  調べてみると、以下の規則があることを知りました。 【宗教法人規則】「住職は、宗憲により、   姓を名乗る教師について、真宗大谷派の代表役員たる宗務総長(以下「宗務総長」という。)が任命する。」 【旧寺院教会条例】「住職[普通寺院の住職]又は一般教会の教会主管者は、先代住職又は教会主管者の卑族系統であって、男子である教師がこれを継承するものとする。」 【現寺院教会条例】「第九条{継承}住職又は教会主管者は、先代住職又は教会主管者の卑族系統であって、当該寺院又は教会に所属する教師がこれを継承するものとする。」  90年代において「男子」による「区別」をなくしたようですが、「卑族系統」による「区別」はなくしていないのですね。なぜでしょうか。「卑族系統」も削除すれば、「姓」による規定も削除されることになります。私が上に書いた宗教法人化した経緯が事実であるとするならば、「卑族系統」による「区別」は譲れませんね。「卑族系統」に「執着」する理由は何でしょうか。

noname#21974
noname#21974
回答No.2

補足にお答えする前に本質門の意図をお聞かせください。

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質問者

補足

 返事を出さず、申し訳ございませんでした。  以下に明快に書いてある通り、「世襲を大切にする」というのは真宗の教義に反することだと考えられます。  1981年「真宗大谷派宗憲改正――提案の趣旨」 [法主・管長制を廃し、門首制に]「教法が血統によって伝承されるということは、真宗の教義に悖るばかりでなく、教法が今日まで無数の念仏者によって伝承させられてきた事実にも反する」(「社会をつくる仏教」阿満著)    なぜ仏教が否定している出自による差別的な規則を大谷派の個々の寺は守っているのでしょうか。

noname#21974
noname#21974
回答No.1

以前、仏教会で大谷派のお坊さんに聞きました。 確かに、住職の姓は宗教法人規則に規定することになっているそうです。世襲を大切にする考え方からだとか・・・。

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質問者

補足

 ご回答ありがとうございます。専門家ということなので、質問させてください。  「世襲を大切にする考え方からだとか」ということですが、他にも理由があるのでしょうか。  それでは、「世襲を大切にする考え方」は親鸞の考え方なのでしょうか。浄土真宗におけるお経に書かれている考え方なのでしょうか。なぜ「世襲を大切にする」のでしょうか。「真宗」であることとどう関係があるのでしょうか。  この大谷派の考え方は、他の浄土真宗を信じているといっている他の宗派とは違うのでしょうか。違うのであれば、その根拠はどこにあるのでしょうか。  仏教において「大切にする」というのはどういうことなのでしょうか。執着を捨てるということと同じことなのでしょうか。

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