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王・女王について
日本の皇室では天皇の子・孫等を親王・内親王、それ以外の王・女王として区別しています(どこで分けるかは時代により違いますが)。 俗な言い方をすると王・女王は親王・内親王より位が下と言うことになります。 それとは別に、現在日本では他国の君主を一般的に王・女王と言っています。つまりKingとQueenの訳語として王・女王が使われています。 そこで疑問なのは、なぜこのような二つの用法ができたのでしょうか。 皇室の王・女王は漢字が伝わったとき中国での相当する地位を表す文字を当てはめたのでしょうが、よく考えると中国でも(皇帝の臣下ではありますが)君主としての王というものがあったと思います。 なぜ、このような違う概念に同じ漢字が当てはめられるようになったのかご存じの方はいませんか?
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- tiuhti
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天皇という称号は、天武朝の頃から始まったとされていて、それまでは「おおきみ」(漢字にすれば大王)だったと考えられています。日本語での「きみ」という言葉は、「エライ人」という意味であって、漢字の「王」から受け取れるような「一定の領域を支配する者」という意味は、「きみ」の使い方のあくまで一つに過ぎません。 ところで、聖徳太子は、最近の教科書では厩戸王と書かれているらしいですが、別名として、上宮王というものもあります。聖徳太子が、ご存知のように、形式上国のような一定の領域の支配権を持っていませんでした。額田女王もそうですね。 一方、上毛野君という古代ではそこそこ有力だった貴族の名前も残っていますが、これは元々は今の群馬県あたりの支配者の子孫だったと推測可能で、「きみ」という言葉や「王」という称号は、領域支配権の有無とは無関係だった事がわかります。 このような日本語で「きみ」と呼ばれる人達に、どこかの時点で、天皇の親戚は王、それ以外は「君」(あるいは「公」)という字が、称号としてあてられたのでしょう。 一方、中国では、元々(春秋時代まで)は、王は、概念としては世界に一人しかいないはずの存在でしたが、秦の始皇帝によって、皇帝にかわりました。始皇帝は、意識としては王よりもエライとは思っていたでしょうが、そもそも自分の下に君主の存在を認めるつもりはさらさらなかったので、「王は皇帝に従属する」と考えていた訳ではありません。王に代わって皇帝という名前ができたのです。 その後、漢になると、郡国制と呼ばれる、直轄領と王を置いた間接支配を並列させる地方制度になりましたが、それから後の時代の流れとしては、例外的に王の勢力が強い王朝はあっても、どんどん「実権の無い称号としての王」へと移っていきました。ですから、領域支配権の無い皇帝(あるいは天皇)の親戚を王とよぶ、という点では、日本での王・親王と、中国での漢中期以降の王は、表面上はかなり似ています。しかし、中国では、秦王、斉王といった呼び名が、最後まで概念上は「一定の権限」を持つ職位のようなものであったのに対し、日本では、「王」は、厩戸王のように、権限や職とは関係の無い、名前につける称号でした。 近世になって、ヨーロッパ諸国のKingを王と呼んだのは、対外関係に於いては、外国の主権者は、中国の皇帝をのぞいて、すべて朝鮮王など、王をつけて呼んできましたから、Kingの訳に相当する漢字として「王」を使ったのはごく自然な事です。 というわけで、天皇家の「王」、「(親)王」は、元々「エライ人」という意味から来ているのに対し、ヨーロッパなどのKingを「王」と訳すのは、一定の領域支配権をもつ中国での元来の「王」から来ると考えるべきでしょう
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日本での国は、大和の国や武蔵の国など、県単位のレベルです。 その地位でのTOPが王であり、 それらの王を統べるのが、天皇(皇帝)位です。 天皇の親族は、王と同レベル以上の地位に数えられてきただけですね。 尚、古代の日本は、朝鮮の数倍の国力(人口を含む)を持ち 中国に準じる国力まで至った時代もありました。 (戦国時代では、軍事力は中国を上回っていたため、征伐に行こうとしましたが・・・) 規模から言えば、現在の東京(一都市)でも、中小国以上の規模ですから 皇帝扱いでも問題無いでしょうね。 (昔でも、江戸は1000万の人口なので、世界最大の都市であり しかも小中国家規模の人口でしたから・・・)
お礼
回答ありがとうございます。 皇室が皇帝とほぼ同じ概念であることはよく分かりました。 ただ、諸国の王(=君主)と天皇の子孫である王が同じ文字を 使っていることは、まだ今ひとつ納得できません。 「天皇の子孫は諸国の君主と同じくらい偉いから、王と呼ぶ」 ってことなんでしょうか。
- nacam
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これは、推測ですが、中国の状況からきている物だと考えます。 そもそも中国では、「王」という概念が先にあり、始皇帝が中国を統一した時に初めて王の上の地位として「皇帝」の名前を使いました。 それまでは、王は独立国家の際上位の階級から、皇帝に従属する地位へと落とされたのです。 日本もこれを輸入し、親王よりも下の地位として王を置いたと思われます。 一方中国では、中華思想の下、他国に中国と対等の地位を認めませんでした。 そのため、他国の君主は、中華皇帝に従属する地位にあるとみなし、王の称号を使用したと思われます。 中華帝国が、その地位を落としても、慣例として王の称号を使ったため、皇帝とは関係無い国にも、王の称号で呼ばれ、それも日本に入ってきて、天皇と並ぶ地位にも、王の称号が用いられる事となったのだと思われます。 そして、偶然西洋社会でも、皇帝と王がいたため、西洋社会でも当然の事として受け取られて、特に問題にならなかったのだと思います。 西洋においても、皇帝と対等の王(イギリス王やフランス王)と、皇帝に従属する王(ボヘミア王やブルグンド王)がいました。 また、王に従属する王(フランス王に従属するナバラ王)もいました。
お礼
回答ありがとうございます。 中国の状況を詳しくみてみないと答えは出てこないんでしょうね。 私ももう少し調べてみます。
お礼
ご回答ありがとうございました。