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あのお家は、なんだったんでしょう。

積年の疑問中の疑問です。 私は、48歳、女性です。 祖父は、立身伝中の人物で、「車業者年鑑」のような、小冊子で、トヨタの隣のページに載っています。 芸者遊びが過ぎて、性病(花柳病)を患い、祖母を産まず女にした後、父を養子に迎えました。 私よりはるかに、弟を溺愛していましたが、年1回くらい訪れる、家に弟を連れて行ったことは、ありません。 そこには、同年代の女の子がおり、私は、下にも置かない扱いを受けました。 祖父には、3人のお妾さんが、いたと、聞いています。 そのうちの2人は、行き先もぼんやりと聞いています。 両親に、この家のことをオブラートに包んで聞いたことが、ありますが、「初耳」という、印象でした。 祖父のお妾さんの家だったのでしょうか。 印象のみでも結構です。 ご教示ください。 徒歩で行った印象があります。 不思議なフィルターがかかり、その家に二度と行けない感じです。 最愛の男の孫(弟)を連れていかなかった理由も解明していただけたら、ありがたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#24488
noname#24488
回答No.3

 NO.1あれから気になって、この質問を開けてみましたら、お礼を戴いていました、ごていねいにどうも。  最初の質問文の「不思議なフィルターがかかり、その家に二度と行けない感じです。」のところですが、回答者さんの足をすくませるバリヤーのようなものが、回答者さんの心の中にあるのかもしれません。イメージしていたお祖父さんと違ったものが出てきたら怖いという心理が働いているのかもしれません。ここのところはよくわかりません。  しかし、質問をしばらく開けておかれるということですので、当方は土足でズカズカと野次馬気分でコメントさせてもらいます。ごめんなさい。  あのお家にあるオルガンやフランス人形というのは、その女の子のためのものでしょうね。芸事の道具というのが三味線であれば元芸者、琴やお茶の道具であれば元はマシな家の出身と想像されます。  工場閉鎖後とくに節約もせずお金をつかってしまった、・・・お金については、それほど余裕があると言う状況じゃなかったんだと推測できます。しかし沢山お金を持っていても、戦後のものすごいインフレですからみんな紙切れ同然になっていたでしょう。私の親もインフレと預金封鎖で素寒貧になりました。  商売をやっている人は営業資金については預金封鎖にならなかったので、工場経営者であったお祖父さんは、そこいらへんをうまくやって、お金を物に替えたかもしれません。土地や書画骨董宝石の類、資材関係などはそれなりの価値があったはずです。  女にモテル人は、女性に対してすごくマメだという話です。マメを言い換えれば、誠意をもってつくすということでしょう。  お祖父さんはそんなタイプの人だったんじゃないかな。そんな気がしてきました。  手元不如意で現金はなくても、土地やその他の物を処分してなんとか工面し、女性方に手当てしていたんじゃないでしょうか。  前回の回答で女の人を元従業員の未亡人、女の子を質問者さんの叔母さん(!)と推理しました(叔母さんの可能性は50%くらいかな)。想像できる範囲の中でもっともドラマチックなケースを言ったわけですが、この線はやっぱりなくならないですね。葬式に出て来なかったというのもわかります。後でひっそりとお墓参りをしたんじゃないでしょうか。  お祖父さんの最後のローマンスだったような気がします。

noname#25898
質問者

お礼

私には、世界一好きなすてきなおじいちゃんでしたが、ひどい舅であり、極悪非道な夫であることは、承知しています。私の中で、無理なく、共存できています。子どもが産めなくなったとわかった、(自分のせいなのに)祖母、しかも身寄りのない女を裸同然で、ほっぽりだそうとしていたのは、まぎれもない事実です。 溺愛の仕方も、並はずれていましたし、気前のよさは、死後何十年たってもまだ、伝わってきます。 自分の中で、だんだんストーリーが、組み立てられてきました。 あなた様のお助けのおかげです。 工場関係の資料、写真も存在しているそうです。 そして、そのお家の女の子の名前も思い出せました。 ベールにかかった、幻の真実がいいのか、本当の真実がいいのか、少し考えさせてください。 豪放磊落・・・この言葉がぴったりの祖父でした。 明治の男でした。 ありがとうございました。

noname#25898
質問者

補足

私の中で、全てが解決しました。 私は、弟とおじいちゃんを取り合っていました。 弟が、昨年他界しました。 たったひとつ弟を出し抜いて優位に感じていたこの一件を保てなくなる危惧を感じ始めていたのでした。(質問、ご回答を経ての実感です) あの家の着物の似合うおばあちゃんが祖父の想い人だったと、断じていいと思います。 あの家のおばさんと、子どもは、祖父とは、血が繋がっていないと思います。 あの家と、収入の道をお世話したのだと思います。 きのう、テレビで、「退行催眠」という過去を探る方法が存在することを知りました。 私は、いつでも真実の過去を手に入れる方法を知りえました。 それを履行するかどうかは、わかりませんが、方法を手に入れただけで、とても満足しました。 ご協力ありがとうございました。 今日の私は、とてもすっきりした気分です。

その他の回答 (2)

noname#96295
noname#96295
回答No.2

質問をしばらく開けておかれると、わかる方、読める方が訪れるかもしれませんね。 勝手な印象を述べます。 不思議なフィルターを感じていらっしゃるところからすると、訪れにくく、人目から隠れやすい、という 地勢や環境の「陰」の力を強く受けたお家なのではないでしょうか。妾宅、置き屋など。 あるいはお家そのものがというよりも、odochanさんがそういう「陰」の力を感じる感受性をお持ちだったというべきか。 男子を「陰」の気に触れさせないために、お祖父様が連れて行かなかったことも考えられそうです。 これは特別に迷信深くなくとも、普通にありそうなことです。 または、男の子を置かないジンクスのあるところかもしれませんね。 水商売、しかも女性の、となると、とても神仏頼みで型破りを嫌いますから。 いずれにしましても素敵な思い出をお持ちですね。 狐の家にでも行ってらしたのではありませんか。

noname#25898
質問者

お礼

どんな自分の中での結末があろうとも、祖父を大好きなことは、変わりません。新しいお説に、やっぱり、ぞくっとしました。そういえば、あの家に男性がいた、印象がありません。芸事の道具が、あった気もします。オルガンフランス人形など、女性が好みそうなものが、ありました。祖父の葬式にその家の人は、来ませんでした。芝生の養生所を横切るのですが、「ここは、昔おじいちゃんの持ち物だったんだよ」と、言っていました。ご助言に従い質問をしばらく、置かせていただきます。誠にありがとうございました。

noname#24488
noname#24488
回答No.1

 回答者さんのお祖父さんは、「英雄色を好む」の典型的なお人だったんだろうな、という前提でお話します。  そのお家の住人は、お祖父さんの妾、あるいはそれに類するひとであったのには、間違いがないところだろうと思います。  3人のお妾さんのうちの2人までのお家については、ほぼ確認できているようなので、残りの1軒かあるいは4人目のお妾さんかということになります。  ご両親は初耳ということらしいので、お祖母さんやご両親非公認の4人目の可能性が強いですね。  その頃のお祖父さんの経済状態や年齢は詳しくはわかりませんが、立身伝中の人物ということで、お金にも心配なく、また矍鑠とされていたのにちがいありません。  そしてお孫さん(質問者さん)と同じ年頃の女の子を産ませたのでしょう。  お祖父さんがその4号さんと、どうして結ばれたのかはわかりませんが、4号さんは玄人筋(芸者など)ではなく、素人上がりであったのかも知れません。  つまり経営していた自動車会社の社員や職人の未亡人であった可能性もあります。すなわち、かわいがっていた社員が死亡し、経済的に困ったいた未亡人を援助しているうちに、わりない仲になっていったということも考えられます。  「下にもおかないもてなし」というのは、社長(雇われ社長ではなく本物の社長)と旧部下の未亡人の関係を想像します。  お祖父さんとしては、年も年だし、ご家族にオープンにするには照れくさいということもあったんでしょう。また、未亡人も内密にしてくれと懇願していたのかもしれません。  ということで、「非公認の4番目のお妾さんのお家」でいかがでしょうか。  次の弟さんは連れて行かずに、質問者さんだけ連れて行ったのは、孫への教育上の配慮ではなかったんでしょうか。  世は戦後の高度成長期にさしかかろうとしています。二号三号などは容認されにくい時代になってきました。跡継ぎには見せない方がよいと判断されたんじゃないでしょうか。  女の子の回答者さんには逆に、お嫁にいっても、この程度のことは容認できるような女性に育った方がよいと判断したのかもしれません。  以上勝手な空想ばっかりですみません。楽しんで推理させてもらいました。  

noname#25898
質問者

お礼

ぞくぞくっと身震いがしました。解明に近づいた実感があります。祖父は、戦争のため、工場を閉鎖し、戦争中にもかかわらず、不自由のない生活をするために、蓄財をほぼ、使い切ってしまいました。3人のお妾さんは、近所の人の話によると「三つ子のようにそっくり」で祖母も同じタイプだそうです。こんな話を子どもの前で、オープンにしていたわけではなく、私が、聞き耳を立てて、聞いていたのです。ありがとうございました。私の脳みそをどう、フル回転させても、思いつかないことを教えていただきました。

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