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接続詞の位置
皆さんにお聞きしたいことがあります。 以下は私が小説で見かけた文章です。 『彼は、しかし、現れなかった。』 『彼女は、とはいえ、動揺を隠さずにはいられなかった・・』 これらの文章の“しかし”、“とはいえ” の場所に違和感を感じます。私なら、たんに 『しかし彼は現れなかった。』 『とはいえ彼女は動揺を隠さずにはいられなかった・・』 と書いてしまいます。 “しかし”“とはいえ”など、これらの語を文頭に置いた場合はすんなり文を読むことができるのですが、文中でいきなり出てくると、文の流れが途切れる感じがしてしまいます。もちろん私の感覚です。 ただいずれにしてもこのような使い方は小説等でよく見かけます。間違った使い方ではないと思いますが・・ 皆さんはどう感じますか?
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【彼は必ず来ると約束した。】という文が前にあるとします。 『しかし、彼は現われなかった』という文が続く場合。 「しかし」は、「約束したのに現われなかった」という、 【逆接的状況を最初から暗示】していることになります。 それに対し、 『彼は、しかし、現れなかった。』という場合。 「しかし」より「彼を」先に持ってくることによって、【しかし、現われなかった】という逆接的結果をすぐには明らかにしていないことになります。 いわゆる【気を持たせる】ことで効果的な表現になっているのではないかと思います。 ただ、特別効果的に表現する必要が無い場合に、この手法を使うと、わざとらしくなったり、くどい印象を与えることになり、逆効果になる危険性が高いということは言えるでしょう。 前後の文脈にもよりますが、個人的な感覚としては、 『彼は、現われなかった。』と、接続詞を使わないほうが余韻が残り効果的な表現になる場合も多いように思います。
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- tanuk
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> “しかし”“とはいえ”など、これらの語を文頭に置いた場合はすんなり文を読むことができるのですが、文中でいきなり出てくると、文の流れが途切れる感じがしてしまいます。 それが作者のねらいでしょ。
お礼
回答ありがとうございます。 作者に狙いですね。なるほど・・
- amip
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すんなりと文頭で「しかし」などの接続詞を出してしまうと流れが良すぎて「深刻さ」とかその文の「重さ」みたいなものが半減してしまう気がします。 「彼は、しかし、現れなかった」 「しかし彼は現れなかった」 この二文を比べても明らかですが、前者の方が重みを感じますよね。句読点法は重要ですね。
お礼
回答ありがとうございます。 使う場所によって重みが違うのですね。
お礼
回答ありがとうございます。 接続詞は使い方がむづかしいですね。 参考になりました!