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学習離れ

今の中、高校生の中には学びの場から離れている、勉強するのも嫌だ、まったくしないという生徒がいるといわれています。嫌なのは理解できますが、なぜまったく勉強しなくなってしまうのでしょうか?そして、何が原因なのでしょうか?よく、学校で勉強したことは意味がない等という人がいますが、思考力、創造性、集団への適応等は学校で学んだことの基礎の上にあると思います。私は、学校で学ぶ学力も含め、新たなことを学ぶというのは、自分の幅をひろげることであり、結果として自分のためにもなるので、好きな方です。結局、自分にはね返ってくるので、嫌でもしなくちゃいけないとはならないんでしょうか?意見を聴かせてください。

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  • rut
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回答No.7

学びからの逃走は「情報の過多」ではないでしょうか? ま、こんな考えもあるんだな・・・と流してください。 テレビやインターネットから好きなだけ自分の好きな情報を得れます。 親がこれが正しいと言ったからって、それが子供、つまり学生にとって正しいとは思えません。 なぜなら環境が違いすぎるから。今と昔は。 よって自分が求めている情報が正しいのであって、 自分の都合の悪い部分の情報は削除します。俺もそうだったし。 学生の時代はちゃんとした現実の世界が見えてないから、 自分の中で仮想現実を作り出すために、自分の世界を作り出します。 それを助長させているのは親ですが・・ (小さい頃テレビを与え、パソコンを買い与えるから) そのために子供はテレビやネット上の「勉強をしなくても大丈夫だ!」「ゆとりの教育はだめだ!だからこんな事やる必要はない!」「ゆとりがないから遊べ」といわれたらそれにみんなとびつくといった具合でしょう。 ま、いいんじゃないですかね? だけど昔の人はよく言ったものです。 「楽あれば苦ある」 今日本は少子高齢化でモノはあふれています。 だからとりあえずはなんとかなるけど、 お金は入ってきません。モノは機械がやってくれます。 または会社は日本人よりも外国の物価の低いところに、 モノを作ってもらうようになっています。ユニクロとか。 会社的にはコストはできるだけ減らしたいからです。 じゃあ日本人にどんな人が求められているか?って事は、 結局の所、勉強してる人なんでしょうね。 (暗記中心の勉強じゃなくて創造性を問うような勉強としてる人を) 21世紀の産業は 情報等のサービス業 老人介護 教育 の三点が主な産業でしょう。 暗記中心の勉強では歯が立ちません。 モノを相手じゃなくてヒトが相手ですからね・・・。 ま、バイトで一生生計を立てるのであればしなくてもいいんではないですか? だけどバイトは若いヒトを雇うだろうからきっと・・・。 勉強しなくてはならない時代なのではないでしょうか?21世紀は。 何言ってるのかわからなかったらすみません。 あと長くてすみません。

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  • nozomi500
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回答No.6

なぜ、勉強しないか、というと、面白くないからです。 (「なぜ、しないか」の前に、「なぜ、するか」を考えてみましょう) 昔は「面白くなくてもとにかくやれ。やらないと困るぞ」と脅していれば、子供のほうも勉強しなければならない、と考えたのですが、少子化もあって、べつに勉強しなくても困らないように思えるし、逆に勉強したって困ることもあるし、という現実があって、「脅し」がきかなくなっています。 で、思いつきで文部省は「おもしろそうなこと」を「総合学習」などをつかってやろうとしているのだけれど、勉強自体が面白く出来なければ、どうにもならない、ということをわかっていないのだと思います。

  • kaakun
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回答No.5

 下の意見をまとめませんでしたね。私は何をいわんとしたのかというと、「生徒の学力低下」=「生徒の学習的好奇心の低下」だと思います。理科の授業ならやはり興味づけで夜空を見せて星のことの校外授業をしたり、国語なら奥の細道を歩いて松尾芭蕉の心を分かち合ったり、社会なら歴史館にいって武将のことを見る…こういった視覚と感覚にうったえる授業もものすごく大事だと私は思います。  学校も塾のように、「机上の理論」ならぬ「黒板上の理論」、「ノート上の理論」になっているから学習がつまらなくなってしまっているんじゃないですかね。生徒は馬鹿じゃないです。面白くなければ記憶に残りません。そこが「学力低下」につながっているように思えてなりません!

  • kaakun
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回答No.4

 下の方々とは違った視点で話そうと思います。色々なことがいわれていますが、ズバリ「インドア」授業が多すぎるからなのではないでしょうか?我々の頃の先生たちは、よく生徒を外に連れ出してくれました。それと休みの日に先生の家に遊びに行ったものです。いい意味で公私混同してる先生が多かったように思います。水戸黄門の歌じゃあないけど、「♪人生楽ありゃ苦もあるさ!」、つまり雨と鞭(体罰という意味ではない)の使い分けが旨かったのだと思います。  しかし、私自身教育実習とかでも学校へ行きましたが、今の先生はそういうのが下手、いやしない先生ばかりのように思います。あげくのはてには教え子に手を出したりと、悪い意味で公私混同している方が少なくないです。  中学までは私自身、「勉強だけではなく、親に代わって先生が躾をしてくれる場所」だと思っています。それがいまの学校は「総塾化現象」が起こっているように思います。大学生が大学に予備校チックなものを求めるように、中学では親が中学校に塾チックなものを求めすぎているように思えてなりません。私が中学生の頃はほとんど廊下に立っていることが多かった(笑)ですが、それでも学校に行くのが楽しかったものです。しかし、塾に行くのは嫌でした。  中学校も塾に限りなく近づいていると私は思います。だから「学校はつまらない!」と思う生徒が多いのではないですかね。文部科学省がいう「ゆとりの教育」って格好いい理想とは余りにもかけ離れていると思えてなりません。  逆に言えば、それだけ塾が認知されてきているということにもなりますがね…

  • 468
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回答No.3

はじめまして。 確かに学校で勉強した事が社会にでて役に立つかというと どうかな?という感じがします。 勉強をまったくしなくて社会に出るのは 冒険のように思いますし 勉強だけしかしなくて社会に出ても それも冒険だと思います。 私が学校で得たものは 友達と、勉強するやり方(個人個人勉強方法は違いますので)ですかねぇ?! 社会に出ても試験や勉強はずっとついてきますし 最近知ったのですが 大人になって仕事を普通にこなしてても 試験とかになると 勉強の方法が学生の時あんまりしてなかったから分からない と言うのを聞きました(ご本人さん達から!) 私には信じられない話しでしたが どうやって覚えていけば自分は覚えれるのかって言うことが 分からないそうです。 なので集中できないらしいです。 勉強に限らずですが 一生懸命した事って絶対自分の自信や いざというときの助けになると思います。 勉強でがんばってなかった人でも あの時あれだけやれたんだときつい時踏ん張れたり 思い出としてでも学生時代って とても癒してくれると上記の方達はおっしゃってました。 (私もそう思います) よく学生時代って社会にでるまでの執行猶予とかって言いますが ある意味そうかなぁって思います。 その間でどれだけ色んなものを見たり聞いたり 体験したり覚えたりしていくかで 器のもとは出来てくるんじゃないでしょうか?! (う~ん、なんかうまく表現できませんでした・・・・すみませんm(__)m)

回答No.2

こんにちは。 私は現在「学力低下」が叫ばれている「大学生」です。 私の意見を書かせて戴きます。 勉強しない理由…それは、勉強をしたところで 良い点が取れなければ評価されないという所にもあるのではないでしょうか。 もともと好きではない勉強をした→でも点は悪かった→評価されない→ますます嫌いになる。 この様な悪循環があるように感じます。 もう一つ、「教える側も問題」だと思います。 「受験用」「点稼ぎ」の為の指導ばかりして、 興味をそそるような授業をしないからです。 それと、昔は家に帰ると誰かしら人が居て 「勉強しなさい!」 等といわれて(しぶしぶでも)勉強する習慣が出来たと思います。 しかし現在、小さい頃から1人にされている人が多いので、 好きなこと「だけ」やっていても咎められずに育ってきた人達は あえて「嫌なことに挑む」という事はしないんじゃないでしょうか。 勉強(机に向かって、という意味で)をしないのはまだ良いとしても 読書をしない、新聞も読まない(そもそも活字に触れていないので漢字が読めない) マトモな日本語が話せない人が多いのは問題だと思います。本当に。 「学校の勉強は意味が無い」等とは良く言いますよね。 確かに「無くても生きては行ける」とは思いますが、 ふと考えると「あの時の事が役に立ったなぁ」って思うこと、 結構あります。

  • songbook
  • ベストアンサー率36% (334/910)
回答No.1

このあと、詳しい意見が出てくるのを期待して、簡単に述べます。 いろいろあると思いますが、一番大きいと思われる原因は、 「全く何もしなくても、とにかく生きていくことはできる、しかもかなりよい生活をしながら生きていくことのできる、そんな国に生きているから」です。 生きる力、という言葉があります。一部には、自分の身の回りにちょっとしたピンチが訪れたら、もう行きつづけること自体をやめてしまいそうな若者(若者でなくてもそうか)が増えているように思われます。 一体としての生き物として、生き続けようとする原動力自体が弱くなっています。以前だったら、絶対に生き続けられないはずの人たち(思考的、精神的に)さえも、この国では、世界一の福祉国家を目指す錦の御旗のもと、生き続け、増えつづけています。 大変に乱暴な言い方ですが、「人間に生まれた」というだけで、本当に誰でもが長生きできてしまう国、日本。 何かしなければ大変にピンチな状態であることは、わかっている。しかし、例えば目先の学習に意欲が沸かない場合、「今学習しないと、大変なことに…」という程度の説得で、怠け心にムチ打つことなどできないのでしょう。 何もしなくても、を言い換えますと、生まれてからこのかた、一切何も我慢しなくても生きていける国、ともいえますな。こんなに幸せなのに、真綿で首を締め付けられつつある地獄から逃れようとしている国、日本。 …果たして逃れることはできるのでしょうか。