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後志支庁
なぜ倶知安に支庁が有るんですかね? このサイト見ても無かったので質問してみます。 小樽より先に倶知安が栄えたとかなら分かりますが、 僕の知識では函館→小樽の順で栄えたと思ってます。 陸上交通の栄えていない明治時代に小樽より倶知安が栄えていたというのは理解し難いので質問してみました。 詳しいかたよろしくお願いいたします!
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1910年に岩内・倶知安・小樽を統合して倶知安町に支庁を置いたと書かれていますね。明治のころには馬車で農産物を倶知安から二セコ・蘭越・寿都と運んで、海産物を寿都から倶知安へ運搬していました倶知安町の基線通りには馬逓や蹄鉄屋が多くありました、陸上交通があまり栄えていないから倶知安に支庁が必要だったのではないでしょうか、北海道鉄道が開業し、その後倶知安・伊達紋別間に胆振線が開通し京極の脇方から鉄鉱石を室蘭まで運ぶ重要な路線になり末はビート列車にまでなりました。 当時の陸上交通の要所だったのではないでしょうか。 蛇足 北海道開発局(国の機関)の倶知安出張所はあるが、土木現業所(道の機関)の倶知安出張所はなく真狩出張所があり、倶知安の業者は申請書類を真狩までもって行きます。当時の町のえらい方が土木現業所の出張所はいらないと言ったそうです。
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- nobugs
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回答No.1
単純に言って、札幌との距離ですね。 本来は、県庁のある札幌で各種の事務等を行いますが、遠い場合に支庁を置く様になります。 小樽ですと、札幌まで1時間程度ですので、札幌まで行けば良いという考えです。 北海道では、支庁の統廃合を進めていて、この考え方がはっきりとしています。 昔は、郡毎に地域センターとして支庁を置き、窓口としての機能を持たせていて、県によっては、県庁に支庁があるところもあります。
補足
1910年に倶知安が支庁になったようですが、その頃から札幌>小樽だったのでしょうか?