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金本位制の説明を見ると保有量分しか紙幣を刷れないと言うけれど
金の保有量しか紙幣が発行できないと言いますが、それじゃあ中央銀行に取り付け騒ぎになっても丁度足りると思うのですが・・・・・ 明らかに保有量以上刷ってますよね? というのも本で読んだのですが 19世紀中ごろの米では鉄道債・州債が欧州の投資家の資金で賄われていた。 金の備蓄量が足りず米が金銀複本位制をとるというので、欧州の投資家が資金=金を引き揚げます。 その頃は中央銀行ではなく米政府が為替を管理していましたが金の備蓄が足りなくなるのです。 保有量より刷ってなきゃマイナスにならないと思うのですが、よろしくお願いします!
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アメリカは1900年に法的に金本位制に移り、1913年にようやく中央銀行を設立させましたが、19世紀の中頃というとまだイギリスフランスのような、中央銀行の設立にまったく興味を持っていなかった頃ですよね。 当時は財務省が金融政策を支配して数千の小銀行が各地方に分散して、州単位で統制されていたため、ヨーロッパ各国の中央銀行のように、緊急の場合の金の貸し借りが出来ない状態でした。 と、以上が当時のアメリカの金融事情でしたが、質問の内容ですぐに思い浮かんだのが南北戦争です。 このとき戦費の支出がかさみ、またあなたの言う投資家などの資金の引き上げなどにより、金の保有量が大幅に減少しました。 そこで政府はまず金の兌換を禁止しました。まぁこれは妥当なというか常識的な措置なんですが、次に打った手が新しい紙幣の発行ということです。 財務省はこれで戦費を賄おうと画策したわけです。 この新しい紙幣は「合衆国紙幣」という、当然ながら法定貨幣でしたが兌換は出来ませんでした。つまり金との交換は法律によって禁止されていたということです。 しかし国に対する債権者たちにはこの金で支払いを済ませていたということです。そして法定貨幣ということなので、債権者たちはこの金での支払いを拒否する権利はありませんでした。 つまり金の保有量よりもはるかに多くの紙幣を刷っても、政府は金の保有量を気にする必要はなかったことになります。 いってみれば今で言う裏技的な政策だったのでしょうね。 1863年に登場したこの「法定貨幣」は1971年まで発行され続け、やく3億ドル以上が流通したということです。 そして同年1971年に正式に、この「法定貨幣」は価値のない紙幣だということを政府が宣言しました。つまりただの紙切れになったということなんでしょうね。 現在の連邦準備銀行券は「グリーン」とかグリーンバック」と呼ばれていますが、これは当時の「法定貨幣」の裏面が緑色に刷られていたことに由来してそう呼ばれていたものを、いまでも踏襲しているものです。 と、こんな教科書的な回答しか出来ませんが、何かの参考になれば幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 別に兌換できない紙幣を刷ってしのいでいたわけですね。 他にもアメリカ中西部で銀鉱が発見され、金銀複本位制を導入して銀も準備にしようともしたみたいです。 僕は取り付け騒ぎが起きないことを前提に、金保有量以上の兌換紙幣を刷っている、アバウトな本位制だと思っていました。 しかし兌換紙幣と不換紙幣で分けて発行していたのですね!! モヤモヤがとけました。 ありがとうございました!