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小学校での英語学習に賛成ですか?
小学校で英語を教えています。しかし私は反対です。小学校では、正しい国語(日本語)をしっかりと身に付けるべきだと思うからです。皆さんはどう思いますか。
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質問者が選んだベストアンサー
英語にコンプレックスがある親ほど、自分の子供に早期英語教育をさせたがったり、「文法なんかより会話を教えろ」という主張をし、逆に英語能力の高い人ほど、文法や読み・書きの重要性を訴える これはよく言われることです 私が中学生に英語を教えた経験から思うのは、日本語能力・知能の発達度合・効率性の点から、英語教育は早い子で中2、人によっては中3くらいから始めたほうが無駄が無くてよいと感じています。
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私も反対かなー 小学生が英語を覚えて、何を語る? 語るべき内容を教えるのが先です☆
お礼
同感です。
- 安房 与太郎(@bilda)
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hika-ri さんの「どの教科を削るか」について わたしの個人的な資料によると、義務教育の中で、とくに音楽と英語 の達成率が低いのです。 楽譜が読めるのは10%、英字新聞に至っては1%以下なのです。 しかも驚いたことに、楽譜の読み方を学んだのは、ほとんど教室以外 の課外活動からです。わたしの提案は(実現不能を承知で)この2教科 を合体して「英語で音楽を教える」というものです。 いまや国際語となった“キャラオケ”と改称してもいいでしょう。 英語の歌詞を、とにかく丸暗記すれば、さまざまのことが分ります。 おぼろげながら和声や音楽理論も、すこしばかり理解できます。 語学の達人は、たとえばシューリーマンなどは、乞食を雇ってきて、 ホメロスの詩を聞かせたそうです。そして発掘現場では、未開の人々に 朗読すると、ちんぷんかんぷんのはずなのに、みんな泣いたそうです。 語学の達人は、とくに文法や会話を重視した形跡はありません。 わたしが出会った外交官も、誰かに日本語の文法を教わったりせず、 微笑をもって相手の瞳をのぞきこみ、マスターしたらしいのです。 われわれは、デーブ・スペクターやダニエル・カールのような友人に 傾聴すべきなのです。彼らが数十年かけて日本語を覚えたのは何故か。 さらに、何故あの程度しか上達しないのか、についても……。
お礼
>英語の歌詞を、とにかく丸暗記すれば、さまざまのことが分ります。 私の場合は、「You are my sunshine ・・」を覚え、唄うこともできます。でも、これが特別、英語の学習に役立っているとは思えません。カラオケのレパートリーが一曲増えたというだけです。 ありがとうございました。
- toscato
- ベストアンサー率21% (16/73)
小学校での英語には反対です。というよりそもそも日本語外国語教育の方法(英語ですけど)が現状のままでは小学校から英語を学習しても効果はまったくありません。たとえそれが幼稚園からであっても効果は現れないと思います。 文法は確かに大切ですが、文法重視ではなくコミュニケーションスキルを学習するのであれば多少問題は改善されると思います。 対人関係がうまくいかなければすぐに切れてしまう最近の子供たちを見ても、コミュニケーションスキルを高めてみるとなんらかの変化が見出されると思います。(そんな単純ではないと思いますけど)
お礼
ありがとうございました。
- thisaway
- ベストアンサー率29% (35/120)
賛成 幼いうちにいろいろな事に触れさせ興味を持たすことは悪いことではありません。 正しい日本語を身に付けることの大切さには同意しますが、それと英語教育は無関係です。英語教育をやめれば日本語能力が向上するかといったらそうとは言い切れません。
補足
人間は言語を使って思考します。 英語を習得すれば、必然的に英語で思考するようになる。英語で思考する習慣が身に付けば、日本人でありながら日本人でなくなるという心配があります。 ちなみに韓国では英語が盛んなようですが、韓国文化を捨てようとする愚行だと思います。
本当に英語かぶれの人の日本語読解力のなさに驚かされてしまいます。 下にあるコメントの中には、ひとつも「日本人だから日本語を!」などといっている人はいませんよ。 「日本語もろくにできないのに英語を詰め込んでもろくなことにならない」とみんな書いています。 日本語を廃して英語を母語にという論には一理ありますが、そのためには日本の過去文化を捨てる覚悟が必要です(日本語が読めない人は過去の文献も読めなくなる、ということをわかっていますか?) 中途半端な英語教育の結果生まれるのは、あなたのような「変な日本語」を話す新人類です。 そのような事態だけは避けねばなりません。
お礼
>日本語を廃して英語を母語にという論には一理ありますが、そのためには日本の過去文化を捨てる覚悟が必要です(日本語が読めない人は過去の文献も読めなくなる、ということをわかっていますか?) そのとおりです。日本人の祖先が営々と築いてきた伝統、文化を破壊することであり、日本の歴史を断絶することだと思います。 ありがとうございました。
- tetrarch
- ベストアンサー率21% (123/563)
どちらかと言えば反対です。 理由としては、質問者さんと同じで日本語まずしっかりとさせることです。 ただし、小学生の本人がやりたいのならやらせたいとは思いますね。 私自身は英語は不得意の方ですが、いつか翻訳機が出来る、英語の授業なんてそれまでだ。と思っています。(翻訳機が正確で広く普及すれば、英語の授業は異文化理解程度になると思う)
お礼
>翻訳機が正確で広く普及すれば、英語の授業は異文化理解程度になると思う 早くそうなるといいですね。
- 安房 与太郎(@bilda)
- ベストアンサー率27% (228/822)
教えるな、語れ! ~ 語学教育原論 ~ このテーマには、いやというほど正論が寄せられるでしょう。 しからば、いささか異論・疑論・極論を述べることにします。 日本語を愛するあまり、外国語に力が及ばなかった一人として……。 わたしは、小学校三年のとき、みっちりと英語の発音を学びました。 その後は不勉強でしたが、いまでも英語の有益性を確信しています。 紫式部も、英語で《源氏物語》を書くべきだった(?)と残念です。 hinode11 さんは、使命感あふれる有能な先生だと想像できますが、 一般論として、公立小中学校の教師は、言語能力を試されることなしに 免状を与えられ、その日常会話は聞くにたえないほど粗末なのです。 すべての言語は、耳から覚えるので、幼児教育は当然の原則です。 最近は、通常のテレビでも音声切替が可能なので、日常のニュースは 英語放送を流せば、副音声(日本語)や映像と字幕で理解できます。 日本の伝統的歌舞伎が“一声二顔三姿”であるように、アニメも映画 も、なるべく英語版で鑑賞させ、美しい発音こそが性的魅力であること を国民的合意とすべきです。 あるいは、何のために英語教育が必要かといえば、いまの日本製品は、 世界60億のユーザーに向けて生産されているからです。 海外旅行で浪費するために、外国語を教わるのではありません。 なお「日本人だから日本語を」という論拠は、少数民族や発展途上国 では通用しません。それを云いはじめると、関西で大阪弁を、山形では 東北弁を教えてから、共通の標準語を学ばせることになりませんか。 いまや先進国のドイツやフランスも、パソコン革命に押しきられて、 ウムラウトやアクサン記号を引っこめてしまったのです。 いつか日本語は、ラテン語のような学術上の古語になると思います。
お礼
>いつか日本語は、ラテン語のような学術上の古語になると思います。 残念、淋しい限りです。私は、日本語が世界の共通語になる日を夢見ております。^_^; ありがとうございました。
- hika-ri
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以前こんな質問をしました。 「小学校での英語教育、導入するならけずる教科は?」 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1525817 導入に賛成なさるみなさんは、「どの教科を削るか」についても、ぜひ触れていただきたいと思います。 削る時間のあてもなく導入を主張するのは、「予算がないのに『あれを買おう、これを買おう』と言っているようなもの」ではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 小学校で、国民の基礎的教養である算数、国語、理科などの授業時間を減らしてまでも英語を教えなければならない理由はないのではないかと私は感じます。 母国語(日本語)で「うっそ~」「かわいい~」「むかつく!」ぐらいしか言えない者が、外国語で(中身のある)話ができるとは考えられませんよね。 ← hika-ri さまのご意見を引用させて頂きました。 日本人にとって英語とは、「教養」ではなく「技術」として習得すべきものと考えます。
- dokinchankonabe
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はんたいです
お礼
私も反対です。
- cure-piee
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基本的には反対です。 日本語ですらろくに人に何かを伝えることが出来ない、あるいは伝えるべきことがない若者が増えている現状で英語教育に力を入れたところで何になるでしょう。 英語を身に付けて、彼らは英語で何をするのでしょうか。 せいぜい海外旅行で道を尋ねるくらいのものでしょう。 現状の教育でも、英語を必要とする人はきちんと努力して身に付けています。 英語を話せることが国際人なのではなく、世界に向けてきちんと発信すべき何か(意見や情報など)を持っていることが国際人なのだと思います。 母国語できちんと論理だてて物事を伝えることができるようにすることが最優先だと考えます。 ただ、英語に親しんだり正確な文法にのっとっていなくてもとにかく話して慣れろという姿勢を培うのは賛成です。
お礼
>英語を話せることが国際人なのではなく、世界に向けてきちんと発信すべき何か(意見や情報など)を持っていることが国際人なのだと思います。 まったく同感です。英語を学ぶ前に、豊かな教養を身に付け、思考力を高めて自分の意見を持つことの方が大切ではないでしょうか。
お礼
>私が中学生に英語を教えた経験から思うのは、日本語能力・知能の発達度合・効率性の点から、英語教育は早い子で中2、人によっては中3くらいから始めたほうが無駄が無くてよいと感じています。 英語教育の経験者のご意見、大変貴重です。ありがとうございました。 私は、「技術」として必要な者だけが英語を習得すればよいと考えております。