無意識と‘「記憶を司る脳領域」の作用’との違い?
記憶を司る脳の領域として海馬領域と呼ばれてるところがあるようですが、その海馬領域での記憶の出入りの具合と意識の関係をいろいろ吟味するということなら解りますが、
意識の世界に対して‘意識の無い世界とか意識以前の世界とか意識の下層にある意識とかいう表現で 意識とはその氷山のほんの海面上の一角にすぎない。’ という表現は脳の持つ可能性を示す表現だとしても、かなり曖昧であり、むしろ不必要な表現に思われてならないのですが、どうなのでしょうか?
潜在意識という言葉も、この無意識という言葉を前提としているわけですが、その潜在意識の可能性ということにしても、「記憶というものの活用しだいでの広大な可能性」というふうに考えないと、かなり抽象的な幻想がまかりとおってしまうような気がしてならないのですが?
それとも、意識とは別ななにかが脳の作用の中に何か存在しているという考えが何かあるのでしょうか?
無意識という言葉自体 何か変なのですが? 下意識でも別な点で同じく変ですが、 へたな曖昧な表現とやはり考えるべきところなのでしょうか?
わたしは、 なんというか、ともかく厳しい状況下にてあまり本とか読んでこれなかった者です。 でも、いろいろ一生懸命考えて生きてきて、この情報化社会にこんな大切な点が曖昧であっていいのだろうか?と思えてきてしまうのですが、
これはやはり、無知による早とちりの面もさすがにいなめませんし、かといってほんとに単純に海馬領域の出入りの作用として 単純であるがゆえにこそ力のある 深い経験の何らかの脳科学的な検証や、その他の実験がされたものがどのように海馬領域と関わるのかの実験のための哲学が今大きなちからになるのではと これは本気でそう思えるので、ここに質問させていだだきました。
哲学だけでなく心理学や生物学に詳しいかたの回答とかも必要とする質問でしょうが、 まずは哲学からは、私のこの質問はどうとらえられるものなのでしょう。 この疑問を提唱された方は、過去の思索家とかの中におられますか? その参考文献とかありますでしょうか?
お礼
充実したサイトを教えていただき感謝します。 一晩中見入ってしまいました。 いろいろと勉強してみます。