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意識について
この質問は心理学の方がいいのか迷ったのですが、、、、 昔、学生時代に麻酔科の先生から、冗談だと思うのですが次のような話を聞かされました。 全身麻酔を使うより、麻酔しないでサクシニルコリンで神経筋を遮断しておいて手術した方が安全に手術できる。また脳でのタンパク合成を阻害しておけばその間の記憶は一切残らないから、本人は手術中の痛みの記憶は一切残らない。 私の思うに、神経筋の遮断だけなら交感神経を通して痛みによる脂汗がでたりすると思うのですが、現代の麻酔の技術ならあらゆる脳の出力を遮断することができると思います。そうしておいてその間の記憶が一切残らないなら、手術が終わった段階では、全身麻酔でいっさい意識がなかったのと同じではないかという気がするのですが、残念ながらその先生は、自分の地位が大事だったのかそういう手術はしませんでした。 実際のところ、こういう場合に全身麻酔で全く意識がないのとなにか違いがあるでしょうか?
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- yajiro-bay
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この質問は以前から気になっていたのですが、 どの様な回答をお望みなのか、もうひとつ理解できませんでした。 見当違いの回答かもしれませんが、興味深い箇所の補足のお願いを致したく、敢えて、回答として、投稿させて頂きます。 ご質問者様は、最初、医療における麻酔方法の差異を例にとり、ご回答者様の補足に「泥酔・・・云々」の例を追加で上げておられます。 最初の麻酔は、>こういう場合>の状況が、手術の最中、患者は確かに苦痛・不安を持って、自分の身体にメスを入れるさまを知覚することが出来たにもかかわらず、記憶として残らないような、神経系への処理が可能、と言うような意味でしょうか。これは正直、サッパリ理解できないのです、現実に感じた痛みその物は、記憶によって再現はしないはずです。感覚そのものが記憶によって再現されるなら、人間は一生を瞑想にふけって、幸福でいられるでしょう。つまり、具体的、快感・苦痛、それ自体は記憶しないはずですが。 >こういう場合>と言う状況が、上記のような事でしたら、お手数ですが、関係する資料などご紹介下さい、尤も、ご紹介いただいても、難しい問題で、再度回答できる可能性は少ないですが。 泥酔の件は、運動記憶による、行動の再現で、最初の麻酔による記憶の制約・抑制とは、正反対の生理的過程ですよね、例えば、運動記憶による行動の再現は、スキーや歩行の様に、体が覚えていること。道順も、意識に上る前に、自動的と申しますか(歩いたりするときに、いちいち、右足左足を意識しないのと同様な)反射的な行動になると思います。 これが、もし初めての目的地に、走った事のない道を車で走る場合は、常に道順や周りの景色、同じ道を堂々巡りしていないかと、道順を間違えないように意識を集中しています。 ご質問は、「意識について」ですが、意識は、なにかの対象に対する意識(外的対象か自己意識)であり、対象が変わるごとに、意識自体の切り替えがあります。丁度、量子力学で、量子の存在が、観察者の観察に依存して、観察しないときには存在していない。ところが、意識の特徴に対象に対する意識と言う能動性と言う特徴もあるようで、この様な、複雑な意識を単純に、「ある・ない」と区別するのは難しいのではと考えますが。 ご質問の趣旨に沿ってご回答すれば、麻酔の>こういう場合は、私の理解が間違っていなければ、手術の過程を真剣に観察するはずですから、意識を集中しています。泥酔状態は、意識はあったとしても、道順に対する意識は深層に沈殿して、酔っ払っちまった~♪等と、歌でも歌いながら、居眠り運転しない事に、能力の低下した意識を奮い立たせる徒労を意識しているのかもしれませんね。 お役に立ちそうもない回答で恐縮ですが、>こういう場合、の件、宜しくお願いします。
- tokytime
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補足をありがとうございました。 おっしゃるとおり現時点では、精神は魂の証拠が、誰もが認識できる方法で見出された・・とはいい難いかもしれません。 しかし、質問者様が「人間の意識」というものの真の実体に近づきたいと思われているならば、あらゆるものを考慮されることから最も偏りの無い結論がでるのではないでしょうか。 例えそれが仮定にしか過ぎないと判断されたものでも、真実に近いかもしれないと思われるものならば、一考する価値はあると思います。 私自身は医学に疎いので、著名な医学者が長い年月を精神、魂の研究に従事し、そこから得られた結論を著した本がありますので紹介します。 これらの著書の中で述べられていることは、想像や仮定の産物などではなく、実際の長年にわたる臨床とその研究から得られた結論です。 こういう真摯な著書を読むと、決して無視出来ない実体があることが、ひしひしと感じられます。 特に、医学に従事している方々には必要な知識ではないかと思われますが、そんなことを感じるのは私だけでしょうか。 前世療法;ブライアン・ワイス博士著 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569569323/503-1731015-2418316?v=glance&n=465392 続「あの世」からの帰還;マイクル・B・セイボム著 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980455888 以上、参考になれば幸いです。
再登場。#1です。 >「意識はあったけど覚えていない」 >「意識が無いけど無意識で行動していた」 たしかに、夢を見ても覚えてなければ見てないのと一緒ですけど、痛い夢を見せる側の人間がそんなこと言うなんて、患者を「修理すべき機械」くらいにしか考えてないっぽく感じますね。 俺はその先生、好きになれないな。
- hiyokomaru
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> 「意識はあるけど、泥酔しているため覚えていないだけ?」という答え あ、それこの前見ましたよ、偶然。でも私#1さんじゃありませんけど(すみません) んー、難しいですが多分患者本人にとっては同じというか、同じかどうかすらわからないでしょうね。 周りの人がどう思うかでしょうね。後で本人に伝えることもできるし・・・。やっぱり正しさに勝るものもあるのかもしれません。要は当事者が理解しているかどうかって事でしょう。 最後にふたたび#1サンへの回答からの引用で恐縮ですが・・・ > 区別できないのなら、昔の麻酔科の先生が言っていた「麻酔なしで神経筋遮断だけで手術をし、記憶が残らないようにしておけばよい」というのは、正しい手術方法となります。 というあなたの理屈の方がその先生の理論より恐いですね。どちらかというと。
- tokytime
- ベストアンサー率37% (43/114)
ご質問の意味が完全には分かりませんが、 人を単純に肉体のみの物的存在とした場合は、脳に痕跡を残さないことは「無い」に等しいことになると思います。 もし、人は肉体のほかにも精神(魂)を含むものだと仮定する場合、違った見方ができると思います。 たとえ、脳における痛みの感覚の痕跡が消されていたとしても、精神は覚えていると思います。 精神は肉体を越えるものであり、一時的に痛みのことを忘れているとしても、深層意識にしっかり保存されており、何かの時に表層に出てくる可能性があると思います。 医学的なことはよく分かりませんが、人は肉体のみの存在ではないことだけは確かだと思いますが、如何でしょうか?
全身麻酔って実はけっこうな量のモルヒネを使うんで、その依存性が問題になったり、または身体の弱い人なんかは心停止が問題になったりします。 そういう危険を冒すよりは安全だ、という意味だったのかもしれません。 (もし俺があなたの立場だったら、その話を聞いてそう解釈すると思います)
お礼
すいません、お礼ではありません。どうも、言葉足らずで質問の意図がうまくつたわらないような気がしましたので、補足をさせていただきます。 この質問をした背景に、心理学カテで「泥酔し意識や記憶がないのに帰宅しているのはなぜ?」という質問があって、私がそれに、「意識はあるけど、泥酔しているため覚えていないだけ?」という答えをしたのがあります。あとで考えてみると、一切覚えていないなら、「意識はあったけど覚えていない」というのと「意識が無いけど無意識で行動していた」というのとを区別することができるのか? という疑問を感じました。区別できないのなら、昔の麻酔科の先生が言っていた「麻酔なしで神経筋遮断だけで手術をし、記憶が残らないようにしておけばよい」というのは、正しい手術方法となります。 で、「意識はあったけど覚えていない」と「意識が無い」はほんとうに区別できないのかをお聞きしたいのです。
補足
それはもちろんわかります。私がここで質問しているのは、現実に手術をされた患者さんは意識のあるまま麻酔をかけられずに手術され、この間言葉には表せないほどの痛みを感じていて、でも手術が終わったらそれを完全に忘れているという状況をどう考えればよいのか? ということです。
補足
ご回答ありがとうございます。 > 医学的なことはよく分かりませんが、人は肉体のみの存在ではないことだけは > 確かだと思いますが、如何でしょうか? これについては私は「本当の事はわかりません」としか答えようがありません。ただ、現時点で非物質的な精神や魂の存在を積極的に仮定する必要はないと考えております。 そういうものの実在の証拠が見つかるとか、仮定しないと説明が無理であるということがはっきりしているというのなら別ですが、現時点では精神や意識のことは「分からない」と考えるのが正しい態度だと思います。分からないものを無理に説明しようとして、不確かな仮説を導入しようとするのは結局かえって分からなくなるだけ、と思っております。