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喪中期間の結婚式への出席の是非について
先日父がなくなり兄が喪主をしました(実質 母がなにもかもしてあげているのですが) その兄の嫁が父が亡くなってまだたった 17日目に結婚式に出席します。 兄とは新築の家どうしで隣に住んでいます。 私と母は、とても不愉快です。 この事についての是非を広くしりたいので よろしくお願いします。
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- haraomushi
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再度。 「この事についての是非を広くしりたいので」ということでしたので、 何を基準に「是非」かと思い、回答しました。 あなたの気持ちを規準に気に入ったか否か、が規準では、「質問」でなく、「賛同者あつめ」でしかありません。 「あの兄嫁、腹立つなあ」という小姑のぼやきを支持してくれという。 日本人が鯨を食べるのをアメリカ人がけなす(じつはアメリカ人のほうがたくさん鯨を殺しているが、食用にするアメリカ人がメジャーでないだけ)ことの是非、を問うて、回答に対して 「それでも私は腹が立つ」というのでは話がすすみません。 「神道」の立場と「仏教」の立場は違いますし、それを押し付けるようでは宗教戦争やってるどこかの国とかわらない。 四十九日というのは、浄土真宗でなくても、仏教で忌避しなくてはならない期間ではありません。禅宗などで、殺生を控えるとかのきまりごとはありますが、お祝いを禁止するようなことはいいません。 お葬式を神道でされたのなら、「ケガレ」をいわれて、祝い事に「ケガレ」を持ち込むのはまずいから自粛しようということで、 ケガレを出した側が文句を言う理屈はありません。 嫁姑問題のことは、しょせん他人がどうこうできるものでないので、 腹を立てるのはしかたないですが、「それが常識だ」というまわりの意見で攻撃するのは控えましょうね。 (いとこは血のつながった親戚・血縁者で、それを祝うな、というのも、「よけいなお世話」だと思います。)
お悔やみ申し上げます。 私も、昨年実母をなくしました、参考になりますでしょうか、 質問者さんと同じように2週間後に親類の結婚式がひかえていました。 その親類も葬儀にも参列してくれました、そのおり、結婚式には出席できない旨を伝えお断りをしていましたら、その話しをお聞きになったご住職が「ご出席なさい」といわれました、私は一瞬耳を疑いました。ご住職のお話はこうでした「こうやって、こちらの方もお悔やみにこられているのです、お母様もお喜びのはずです、そうしてあげないと私(故人)のために出席できなくてしまったことを悔やまれます、こういう場合は故人の気持ちを考えてください。そうしないといつまでも故人が浮かばれません」といわれました。それで私のほうもあまりにも日が近いのでといいましたら「そんな無礼な教えは仏教には無い」ときっぱり言われました。当日は墓前に結婚式に行くことを伝えからいきなさいといわれました。 今回質問者さんは兄嫁様ですので参考にならないのかもしれません、また宗派によっても違いがあるのかもしれません、私どもは浄土真宗ですのでその日のうちの旅立つといわれていますのでそのように住職も言われたと思います。
- haraomushi
- ベストアンサー率13% (11/84)
結婚式は、人生の節目であり、そのお祝いをするのに、○○だから駄目だ、という理屈はありません。 自分の価値観の押し付けはつつしみたいものです。 タレントの結婚式みたいな「馬鹿騒ぎ」じゃないんでしょう? お葬式の後でもみんなでお食事もするし、おしゃべりしてるじゃないですか。皆で泣いてばかりではお葬式にならない。 ちなみに「服喪の習慣」は、戦前の「神棚」が押し付けられていた時代の発想で、「人の死」を「けがれ」だということで、「神様」の前に「けがれた人間」がいかないよう、ほとぼりがさめる期間、宮参りを自粛するように、という習慣です。 四十九日は、(浄土真宗では「即往生」だからそういうことは言わないけれど)、故人が成仏するための準備期間であり、遺族が何をつつしむべき期間だということではありません。 結婚式が「神社」であれば、嫌われるかもしれませんが、無宗教はもちろん、キリスト教や仏教では、そんなことは言いません。 私の息子は、祖母のなくなった1週間後に生まれたのですが、実子である母も伯父(喪主)も、お祝いをくれました。(母の実家は真言宗) 「みんながこうしているからそれが常識」というのは、戦前、「非国民」だといって「常識」を強要した時代、あるいは北朝鮮で金日成バッジを光らせているようなことと同じですから…。
お礼
こおした確たる考えで結婚式に出席するような 家庭もあるのだと参考になりました。 決して批判とか悪口ではないのですが、 そうした考えはやはり私には、理解できないし 私の常識を変える考えには至りません。 隣同士の家に住んでいるのに、昨日今日の 日程で結婚式に出席するなんて 不快以外の何者でもありません。 宗教といえども、人の気持ちの上に成り立っているものだと思います。
- gehararigo56
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一般的な常識からすると、少なくとも49日は慶事は慎むのが普通と思います。どのような宗教・心情であろうが。。。と私は思います。一方、このような価値観を共有しない方が居ることも事実で、感性が乏しいのですから腹を立てるだけ無駄と割り切られたらどうでしょうか。そういう方々と割り切っておつきあいするしか無いというのが、非常識な親族にさんざんなやまされた私の結論です。心安らかに故人への追悼を続けられてください。
お礼
私も書かれているような 心情に同感です。 宗教上の小難しい事は、よくわかりませんが やはり、常識的にまたは、こちらの親族の気持ちを 考慮すると結婚式への出席は、容認できません。 容認できないというより、許せません。 このようなご意見で私の気持ちも救われます。 ありがとうございました。
- mayuclub
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お辛い思いをされたのですね。 私は結婚してすぐに身内を立て続けに亡くし(自殺) 気がおかしくなりました。 お嫁さんは出席してもありだな~と思います。 質問者さんからしたら不快だと思いますが 血が繋がっていないということで、許してあげて下さい。 そのお嫁さんも喜んで結婚式に出席するというよりは 先方に直前になって断りづらいのだと思います。 自分だったらこんな時 故人はどう考えるかで判断します。 身内を立て続けに亡くしたあとに 私自身も結婚式へ出席しました。 自分は断ろうかと迷ったのですが 断ることは故人も好まないことと 新郎新婦もどうしても来てほしかったようなので 周囲の親族の許可をとって出席しました。 故人だったらどう判断するかを 考えて決めてみるといいですよ。
お礼
>断りづらいのだと 断りづらくはないはずです。 むしろ喜んで行くのを楽しみにしている ご様子です。 ご意見参考になりました ありがとうございました。
- mtomtomto
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「そんなに気にすることかなぁ」 というのが素朴な疑問。 そりゃぁ、勧めることじゃないかもしれないけど、 しょせん兄嫁は他人でしょ。
> この事についての是非を広くしりたいので とのことですので、私も識る範囲の話をしたいと思います。 > 結婚式にでる相手もいとこらしくてそれほど近い間柄ではありません。 まず、これについては少し「?」です。 血のつながりのない義父と血のつながりのある従兄弟姉妹。 どちらを「近い」とするかについては、とても難しい問題だと思います(昔と違って、「家」に「貰った」のではなく、「兄の配偶者」に過ぎないので、あまり「家」を押し出されると揉め事のタネにもなりかねませんし)。 私自身は従兄弟姉妹とはあまり親しい付き合いをしていないのですが(ご質問者さまもそうなのでしょうか)、友人の多くは、従兄弟姉妹同士で旅行に出かけたりとか、お互いの家を行き来したりとかしているようです。 ですから、いとこだから「近い間柄ではない」とは限らないと思います。 そして、殆どの友人が「結婚式・披露宴に従兄弟姉妹は出席してもらうもの。」と言っていました(私は従兄弟姉妹の結婚式・披露宴に出席したことはありません。従兄弟姉妹の数が多すぎるということもあるかもしれませんが)。 お父さまが亡くなってまだ1か月も経たない、ご家族が哀しみの最中にある時に、家族の一部がお祝い事の席に出ることは「心」の問題としては、母を失った身としては悲しいですね。 「家族」なのに…。 「もう少し私たちの心情を思いやってくれてもいいのに…。」とは思います。 ですが、はっきり申し上げまして、この件に関しては「是」も「非」もないんです。 ご質問者さまのお宅では「非」となることかもしれませんので、「嫁に来た」義姉さまには「家の宗教の慣習に合わせてほしい。」と思われるかもしれませんが、それを強要することはできません。 慣習云々の前に、#3さんがおっしゃるとおり、日本では憲法で信仰の自由が認められています。 これは「個人」がどのような信仰をもってもよい-ということです。 親と違う宗教を信仰しようと、家族が全員違う宗教を信仰しようと、何ら問題は無いのです。 私事で恐縮ですが、私の母の実家も仏教で、家を継いだ伯父(母の兄)はその家の仏教も継承しました。 ですが、伯父の妻は考えるところがあってキリスト教を信仰するようになり、数年前に洗礼を受けたクリスチャンとなりました。 伯父は仏教のままです。 日本においては、神仏混淆などの歴史もあり、本来は神道的な文化風習でしかなかったことが仏教にも影響を与えていることが多いのだそうです。 神道的な文化風習であった「清めの塩」が、仏教の葬儀においても用いられるようになったのが分かりやすい例だそうです。 神道においては死は「穢れ」と捉えるのでしたよね? そして、葬儀の際には「死という穢れに触れた身を清めるため」に「清めの塩」を用いるのでしたっけ?(間違っていたらゴメンナサイ。) それが神仏混淆我などにより、仏教においても葬儀の際に使われるようになったとか(我が家は浄土宗という仏教の一宗派の檀信徒ですが、葬儀においては「清めの塩」を用います)。 ですが同じ仏教でも、ある宗派では、葬儀の際に「清めの塩」を用いません。 その宗派の葬儀に出向くと、入り口に「この宗派では死は穢れとは捉えないので清めの塩は用いません」という趣旨の説明がされています。 また、この宗派では「死=即往生」なので、葬儀の際に喪家にお渡しする金銭の表書きは「ご香典」ではなく「ご仏前」を用いることが一般的なのだそうです(地獄もないので、お盆に地獄の釜の蓋が開いて、死者が帰ってくる-というお盆の行事もないらしいんです。聞きかじりなので違っていたらゴメンナサイ)。 先般、勤務先の同僚のお母さまが亡くなられました。 その方のお宅がその宗派でした。 月曜日に亡くなられ、水曜日が葬儀でしたが、その週末の日曜日には部下の結婚披露宴が予定されていました。 悩んだ同僚はお坊さまにご相談をしたそうです。 そうしましたところ、お坊さまのご回答は「相手の方(結婚される方とそのご親族および相手の方とそのご親族)が気にしなければ、結婚式も披露宴も出席しても構いません。」というものだったそうです。 結果、相手の方(結婚される方とそのご親族および相手の方とそのご親族)も「気にしないので、ぜひ出席してほしい。」とのことでしたので、同僚は披露宴に出席したそうです。 私の感覚では、「やはり(自家の宗教の忌明けである)七七日忌が終わるまでは…。」と思っていたのですが、「現実」はこんなものです。 ですから、義姉さまの行動についても、「是」も「非」もないんです。 もし出席されるのが「神道の『結婚式』」ならば、「神道では死は穢れと捉えるので、穢れを負った家の者が出席するべきではない。」と神道の慣習を改めて教えて差し上げればいいのではないでしょうか。 ご質問者さまやお母さまと、お兄さまとの間にすら感覚のズレがあるようですから、元は他家の方である義姉さまはなおのこと-ではありませんか?(義姉さまを責めるよりも、それを教えてあげなかった・窘めなかったお兄さまを責めるべきかも。) ですが、出られるのが神道以外の結婚式(日本ならばキリスト教式が一般的でしょうか?)であったり、披露宴だけならば、相手方が気にしなければ出席しても問題はない-というのが「日本における一般的な」結論になるのでしょうね(確か前述の宗派は、日本で一番多くの門徒数を誇っている筈ですから。多数決の論理からすれば…ですね)。 そして、何だかんだ言っても、現在の日本では「神道」よりも「仏教」の方が「多数派」ですから…。 さらにいえば、「仏教」は「最後だけ」。 多くの日本人が、お宮参りには神社で祝詞を受け、初詣にも神社へ出かけるが、クリスマスを祝い(?)、キリスト教式の教会で結婚式を挙げ、祖先に対する行事や葬儀は仏式…というパターンの現代ですからね。 ただ、「是非の問題ではなく」、また私個人の「感覚だけ」からすれば、「家」の忌明けまでは結婚式や披露宴の出席は「見合わせてもらいたい」ですね(出席してもらう側としても、出席する側としても)。 今回の問題の本質は、「是・非」というよりも「不愉快」ということになるのではないでしょうか。
お礼
宗教に関する論理的な記述では、是も否もないと 少し理解できるようになりました。 でもおっしゃっていただいたように、 「感覚だけ」からではやはり 隣の家に住んでいてしかも 喪主の嫁の立場からすれば 私はどうしても「不快」です。 でも宗教について書いてくれたおかげで いろんな価値観や考え方もあるのだと 分っただけでも心が楽になりました。 ありがとうございました。
- mukaiyama
- ベストアンサー率47% (10402/21783)
>この事についての是非を広くしりたいので… とのことなので、忌憚なく言わせてもらいます。 >家は神道ですが嫁は仏で、普段から嫁はそちらの宗教関係に… ご質問のケースで、仏教では 49日間、神道では配偶者の親の場合 30日間を「忌中」として、祝い事をさけるのが通例のようです。 とはいえ、これはしょせん宗教の問題なのです。 法律などで決められたものでは決してありません。 出生届が 14日以内と決められているのとは、全く意味が違うのです。 一方、わが国では憲法で信仰の自由が保障されています。 信仰の自由とは、仏教かキリスト教かなどの選択だけではなく、それぞれの宗教にどの程度深入りするかも全く自由なのです。 お姉様が普段は仏教に熱心だとしても、1年 365日、仏の教えにがんじがらめにならなければならないなどというものではないのです。 朝はたしかに仏壇に手を合わせたけども、昼には鳥居をくぐっているという日本人は大勢いるのです。 信仰の自由とは、また、他人に宗教を押しつけてはいけないということでもあるのです。 嫁というのはもともと他人です。あなたとは全く違う環境で生きてきた人なのです。 あなたの宗教観を一方的に押しつけることは、憲法の精神に反することです。 お姉様自身の判断に任せるよりほかありません。 ------------------------------------------ 以上、お気に召さない回答かと思いますが、反論混じりのお礼はいりません。
- yun0628
- ベストアンサー率5% (2/39)
私は、開放的なな地域に住んでいますが 17日目では、結婚式には出席しませんね。 やはり、49日にまでは、 お祝いのことの参加は控えるべきだと思いますし 相手の方も、承知してもらえるはずです。 逆に不愉快に思われることも・・・ お悔やみ申し上げます。
お礼
ありがとうございました。 どうやら、やはり、常識的な人間で 他人をお思いやる心のある人なら こんな場合には、結婚式への出席を見合わせるのが 筋のようですね。 そのような兄嫁なら、今後その程度レベルの相手、家庭だと して対応していきます。 今後の付き合い方がかえって気楽になって いいかも!?(笑) この件は私もだいたい、そうではないかとは、おもっていましたが、こおした経験があまりないだけに 多くの考え方をしりたかったのです。 とても参考になりました。
- taa1031
- ベストアンサー率38% (147/377)
通常、喪中とは1年間。 また、略式で四拾九日です。 その期間は、祝い事には辞退するのが通例です。 出席と答えてしまっている場合には、代理を立てます。 四拾九日が過ぎている場合には、相手方に了承をとり、出席することもよくあります。 17日目となると、弐七日が過ぎたばかりですし、 喪主の嫁ともなると、確かに・・あまり祝い事への 参加は オススメしません。 ご結婚される方とはどのような間柄なのでしょう? 私は、実父が亡くなって四拾九日があけてすぐにあった結婚式は欠席させてもらいました。 自分自身が立ち直れて居なかったこともありましたので・・。 お父さまのことを 軽んじられているような気持ちになりますね。 不快な思いをなさる気持ちが良くわかります。 ただ、宗教・地域によって、こう言った考え方には開きがあるのでしょうか? お兄さまのお嫁さんは、ご出身がお近くでは無いのでしょうか?
お礼
早速のお返事ありがとうございました。 それとさらに補足ですが 兄の嫁は隣の県からきています。 家は神道ですが嫁は仏で、普段から 嫁はそちらの宗教関係に熱心です。 それだけに結婚式への出席にたいへんな 不快感と怒りをかんじています。 こんなとき嫁の親の顔をみてみたいと 言うのでしょうね。<冷笑) 結婚式にでる相手もいとこらしくて それほど近い間柄ではありません。 それに最初は、喪主を形ばかりだとはいえ、喪主をした兄までもが母が説得するまでは 結婚式に出席しようとしていたのですから もう情けない気持ちです。
お礼
大変参考になりました。 (この掲示板の使い方をまだきちんとマスターしていないので失礼があるかもしれません。すみません) 文中に「故人の気持ち」とありますが、 私の父は、一般常識、過去の前例、原理原則や 挨拶に事の他うるさかった(気にして守っていた)人間です。 その事を考えると、兄嫁が結婚式に出席する 行為を喜ぶとは思えません。 (家は神道で兄嫁は仏です。兄嫁は 普段からその宗教にとても熱心です。お札とか神社参り等々) でも、本当にとても参考になったし心も 少し軽くなりました ありがとうございました。