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あぁ、あの時が自分の岐路だったかな?
段々年をとって、自分の人生の整理をしてます。 「自分史」を出そうなんて、そんなことは毛頭考えてません。刹那主義できました。 やはり私は就職でしたね。 関西のK戸市に好きな方がいて、K戸に本社のあるさる会社に志願、入社決定しました。 ほっとして、学生時代最後の冬休み信州へスキーに行きました。 帰りますと一通の電報が、関東にある「T都支店勤務を命じると」・・・ 結局○京で今の家内と知り合い、その縁でS国K県T市に住まうこととなりました。 皆様些細なことでも、よろしいですから体験おあれば、お聞かせください。 もしご回答いただいた方には、お礼は遅くなるかもわかりません。 海外へ出張いたします。海外?はい東○都です。 検索もせず、ご質問いたします。
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はじめまして。 おっしゃる通り、人生の岐路なんてほんのささいなことばかりです。 私は20代のとき、ある占いで、27歳で子供を産むって出てたのを何故か信じ込んでしまっていて、ずーっと付き合ってきた彼氏とは全く結婚に進展する気配がないまま、その年齢に近づいてしまったので、浮気をして「出来ちゃった結婚」をしました!? これは、いわば自分で選んできたことだから岐路っていうのとはすこし違いますね。 でも、その人との出会いというのが、ちょっと運命的なんですよ。 その日、私は連休だったのでひさしぶりに両親の家に車で行こうと思って、国道から高速のインターに入ろうとしてたんですが、何故か通り過ぎてしまったので、一度Uターンして、再度同じ道から入ろうとして、またもや通り過ぎてしまったんです。それですっかり長いドライブをする気力が失せてしまって、アパートに帰ったら、すぐにTelがなって、知り合いからで、今友人の家にいるんだけど遊びにこないかっていうことだったので、どうせ暇だしってことで遊びに行ったら、その人がいて、何故か初対面なのに気があってしまって、上記のような次第となり・・・。 今考えてもあのときの精神状態はフツーじゃなかったような・・・。 ところが、今現在、その人とほぼ幸せな結婚生活を送っております。「出来ちゃった子供」もなんとか、まともに育っております。 あのとき、無事に高速に乗っていたら今のダンナさまとの出会いはなかったと思うと不思議です。
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- rosso_cat
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ドラマも何もありませんが、私も矢張り就職ですね~。 学生時代の彼氏が、T都勤務というお話で先に内定を貰いました。 全く地元を離れるつもりなんてもうとうなかった箱入り娘なワタクシも、 「東○来ないか?」の彼の台詞で一念発起して、一転東京組へ。 首尾よく本採用が決まった(残念ながらT都勤務ではなく隣接)途端、 なんと彼氏は地元勤務になってしまったのです…ガ~ン… でももう配属先も宿舎の手配も全て済んでしまったのよぉぉ~(泣) 学校帰りに家までへ送ってくれる途中の車中で、 ぽそりと「○京行くの、か…?」と言われて涙ぐむしかない私でした。 #正確には東○ではないんですけどね、あの頃の私達には同じだったのです。 が。それを基点とし、お陰様で社会の荒波にもまれまくって、 箱入りから鉄の女(…)になって仕舞いましたので、 私の半生のうち、これが最大の岐路なんでしょうね~。 仲間うちで「一番先に結婚する」と言われていたのに、 結局一番最後まで残ってます(爆)
お礼
rosso_catさん。まいどです。 大ドラマじゃあありませんか! 素敵な話と言いたいんですが、なんともこりゃあ、ご愁傷さまと言うべきか、どうかですね。 でもきっと、今の自分で正解ですよ。よく言いますが、そういう運命だったのでしょうね。 そしてそのことが、本来の自分を開花させたのだと思いますよ。 きっとあなたは昔とは、また違った魅力を放ってます。 あなたに合った素晴らしい人が、そのうち彗星のごとく現れますよ。 はははーそれにしても、箱入りから、鉄の女とはね、おーこわ。(失礼) ご回答まことにありがとうございました。
補足
rosso_catさん。この場お借りします。 皆様、ご回答いただきまことにありがとうございました。 締め切らさせていただきます。 皆様に20点当然です。あしからず。 また、いつの日かどこかでお逢いしましょう! ばいちゃっ!しーゆーあげん!
- kuma-o
- ベストアンサー率64% (819/1271)
入試に合格して、念願叶って入学した学校を、諸事情により退学した時が、私の「人生の岐路」だったのでは、と思います。 ずっとそのままその学校に行っていたら、のほほんとした人生を送っていたのかもしれませんが、学校を退学したことで、全く先が見えない暗中模索のような状態が長い間(もしかしたら今もそうかもしれないのですが)続きました。 その出来事から年月がかなり経った現在でも、好きだった学校をやめたことを悔やんだり、複雑な感情を抱くことはあるのですが、それがきっかけとなって、物事についていろいろ考えたりする時間を持つことができたので、得たものも多かった経験だと思っています。 ・・・今だからこんな風に言うこともできるのですが、その当時は「もうダメだ」と思って惨澹たる気持ちになっていましたね。 今まで家にいることが多かったので、同年代の人間と比べると、周回遅れどころではないくらい遅れているのですが、別の学校に行って資格を取ったり、少しずつですが外で働くこともできるようになったので、ゆっくりと自分に出来ることをやっていけばいいのかな、と考えています。 あと、「人生の岐路」と言うのは大げさかもしれませんが、OKWebに登録したことも私の人生をほんの少しばかり変えたような気がしないでもありません。 登録していなかったら、こうしていろいろな人とやりとりをすることはなかったかもしれないし、自分から他人に話しかけるのが苦手な私が回答をしていることは、自分でも不思議に思います。
お礼
kuma-oさん。こんにちは。 退学なさったのが、岐路でしたか? そのまま学校に行ってたら、のほほんとした人生を送れたでしょうか?私はそうは思いませんよ。 大事なことは、行く行かないでなくて、学校へ行ってなにを学ぶか、自分のものにするか、と思いますよ。 そして、学校へ行かなくても、なにをやるか、どうやって自分を磨くか、でしょう。 そういう気持ちがなければ、学校なんて行っても行かなくても関係ありません。 一部の社会では、学歴がものを言うのでしょうが、最後は自分の実力ですよ。 私の世界は実力だけの世界ですから、学校でてようと、T大であろうと、中卒であろうと、全く関係ありませんよ。 学校へ行って、どこかに就職しても、のほほんどころか、数倍の試練が待ってたと思います。 どんな人生をたどろうと苦労は一緒です。 今の自分に感謝してあの時の岐路は正しかったと思うようになってください。 またなにかありましたら、ご一緒しましょう。 ご回答まことにありがとうございました。
しつこく再登場。すみません…。 おかげさまで仲直り、しました。というか、「え?けんかしてたっけ?はて??」とか言われちゃいました。おおらかでいい人なんです。(のろけ炸裂) >留学して、現地でプロポーズを受けられたとか。こりゃあうちの娘大丈夫かな。 わー、心配させるようなこと書いちゃいましたね。ごめんなさい。でも、大丈夫だと思います。私みたいなパターンの方こそ例外的なので。留学仲間もいっぱいいますが、みなさん真面目に「学生」してきた方達ばっかりですよ。 >岐路その2で、気になりますのは、ご主人様も日本勤務を望まれたのですかね。 うふふふ、そりゃもう、無理やり夫を日本に…ではなくて、これは夫の希望でもありました。当時は、まさかこのままずーーっと日本に住み続けるとは2人とも夢にも思いませんでしたが。もともと「義理」「人情」などという言葉が好きで、「実に日本人らしい外国人」と言われていた人です。日本のほうが肌に合うみたいですね。これは夫にとっても、大きな岐路だったと思います。 >ご主人さんの方こそ、慣れぬ文化や風土で大変だと思いますよ。やさしくしてあげてください。 優しいお心遣い、本当にありがとうございます。肝に銘じておきます。 さてさて、岐路その3。 十数年前、とある航空ショー(飛行機のアクロバットとかのやつです)を観に行こう、と夫と計画していたんです。しかし、うっかり同じ日に行なわれるコンサートのチケットを買ってしまっていたんですね。私は航空ショーの方に行きたい!と主張したのですが、夫の「チケット代がもったいないでしょう。」のひとことで、コンサートに行くことにしました。その航空ショーで、飛行機が観客のいる所に墜落し、大惨事になったというニュースを聞いたのは、コンサートから帰ってきたあとのことでした。 それでは。
お礼
Sweetbeansさん。何度でも来てください。○oroはいつでもお待ちしております。 ごちそうさまです。いいご主人様ですこと。 私も仕事で、デ○マークやシア○ルやオー○トラリアの大工さんと一緒になりました。 逢ってそう15分もすると、もう打ち解けます。 同じ日本人より数倍早いです。 そして話をしますと、彼らとは本当に心が通じ合います。旧知のように。 皆やさしいです。仕事ですから、喧嘩はします。彼らも譲れない。こちらも譲れない。 もの凄い剣幕できます。でも最後は目くばせして握手です。 あぁ、同じ人間だなあと感じました。 お互いのことを、両方が知りたいから、ついそうなるんでしょうね。 デン○-クの彼や、最初来たときは、日本の大工が鋸を引いて切るのをみて「オーテリブル!」なんて言ってました。 鋸は押して切るものだと言ってききません。「デンジャー」とかなんとか言ってね。 帰るときになりますと、引く方が楽だなんて言っちゃってね。 お土産に日本ののこぎりをプレゼントしたら、自分のリビングに飾ると言って喜びましたよ。 航空ショー、よくTVで衝撃の映像とかでるやつですね。 よっかったですねー。ほら、ご主人さん、あなたの命の恩人じゃあないですか! ご回答まことにありがとうございました。またね!
- gocchikun
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はじめまして。たいした話では ありませんが、私の人生の岐路の お話を。 私は高校の頃、保母さんになろうと 思い、短大もそっち方面に進もうと 資料も集めていました。 そんな17歳の冬、手術・入院を経験する 事になりました。ガンではなかったのですが、 微妙な細胞があったので、一応抗がん剤を 投与するなど、私にとってはかなり大きな 経験でした。 その時なぜか「人間いつ死ぬか分からないから、 好きな事をしよう!」と思いました。で、親の 反対を押し切って保母さんとは全然違う専門学校へ。 そこへ進んだことで、もともと趣味だった事に さらに没頭することになり(しかもその趣味も 入院生活中に出会った人によって目覚めさせられた)、 それがもとで、あるアルバイトをすることに。そこで 出会った彼が今では旦那になっています。 結局専門とは違う分野に就職し、あんなにハマってた 趣味も今では興味がなくなってしまいましたが、 今振り返ると、あの時病気をしなければそのまま 保母さんの道を進んでいただろうし、そのバイトを する事も考えなかったと思います。でもおかげで 旦那ともめぐり合えたし、今の私があるのだから、 いい人生の岐路だったなぁ、と思ってます。
お礼
gocchikunさん。こんにちは。 いいお話ありがとうございました。 私も、耳の鼓膜の再生手術で、三ヶ月ほど入院したことがあります。 三ヶ月目なんて、すっかり私は牢屋の牢長になってました。 「おう、新入りさんかい?あいさつがないねえ」なんてね。 入院すると、心が次第にピュアーになってきます。もっとも心細さもあります。 入院生活中に出会った人に目覚めさせられたのも、あなたの心のピュアーさにあったのだと思います。 それがそのまま、ご主人様との出会いに繋がったのだと思いますよ。 すみません。人生相談の一番苦手な私が偉そうなこと言って。 いい人生の岐路でしたね。 お幸せに! ご回答まことにありがとうございました。
たびたび、どうもです。(お礼書きがてら、立ち寄ってみました・・22時に質問立上げて、現在は就寝中でしょうか? 良い夢を) 真面目な回答をいただきましたので、わたしも真面目に。 ---中学生のころ、理科で電気の問題が全然わからなくて、絶対自分には向かん!と確信したのですが、何故か高校は工業高校で電子工業科・・わかるわけの無い授業の毎日で絶対に電気関係の仕事はやらんぞ!って心に誓ったのに、何故か今では電気関係のしかも技術系の会社に勤務・・あ~俺っていったいなんなんだ? ・・というのは、どうでもよくて 今の仕事を始めて、5~6年の頃ですか、知り合いのある技術関係の会社の社長さんに、「事業を拡大するので手伝って欲しい・・」といわれた事があります。 当時、自分の仕事自体がやっと面白くなったころで、また先方にたいしても「先行きが不安なベンチャー企業」のイメージがあったのですが(なにしろ当時その会社は、プレハブ小屋だったもんで)、しかし無碍に断るのも失礼だったので、後輩の技術屋を一人紹介してやりました。 しかし、なんと!今では、その会社は。小人数ながらも世界的にも屈指の技術をほこり、この不況下でも県内でも指折りの収益をあげる企業に成長しました。 後輩はいまや、そこの会社の「技術部長」で私など足元にも及ばない高給取になっています。 かくいう私の会社はこの3月で解散です・・・なんてこったい!! あーあれこそが、人生の分かれ目だったんだなー・・とつくづく感ずる今日この頃。 その社長とは今でも「飲み友達」なんですが・・・・この前酔った勢いで、「どうして、あの時もっと強引に誘ってくれなかったんですか」とのたまったら、「いや~!よかったよ、お前さんがいなくて・・いたら、こんな風に飲めねーもんな?」だそうです。。(確かに。) むこうの方が一枚上手でした・・ いやいや、まだまだ転機はあるはずなんで、頑張りますです! ・・ 絶対に「希望」は失わないkonojiでした! ではでは・・
お礼
はーい!konojiさん。ありありです。 傘張り職人の、kuronosukaiです。誇りを持ってやってます。 TVのスタジオセットで、今日隣のE県のM市にトラックで行って帰ってきました。 色んなパネルに色んな紙を考えながら張ります。傘張りと似てます。 小道具なんかも揃えて、奇麗なスタジオが出来上がります。 恐らく全国放送だと思いますので、よかったら見てください。 確か京セラに行った子の話前にしましたよね。 年寄りで忘れましたが、これだから、年寄りは同じこと、何度も言うんだ。 チョーマジ質問回答シリーズですね。 確かに確かに「こんな風に飲めねーもんな」ですね。 飲めるのは、映画の世界でハマちゃんだけでしょうね。 konojiさんのこと、なーんも心配してませんよ。 持ち前の明るさと、ガッツで頑張りなはれ! そう、悔いの残らぬ人生を! 今度一緒に飲みましょう。いつものように、馬鹿ばっかり言わずに、 いかをあぶりながら、しんみりとやりますか。 ご回答まことにありがとうございました。
koronosukeさんは人生の岐路に立ってから、今のあなたの存在に後悔されていませんか? 私は大いに後悔している人間で、出来れば人生をやり直したいと考えています。(所詮無理な話しですが…!) では、私の経験談をお話ししましょう。 高校卒業と同時に大手の石油精製会社に入社し、一応は順風満帆の社会人としてのスタートを切る事が出来ました。その後、13年間は何事もなく進み、28歳で結婚し、一人目の子供も設け、二人目が妊娠中に事件が起こりました。転勤です。今まで一度も生まれた場所を離れたことのない人間に取っては青天の霹靂って感じでしたが、転勤その物にはさほど抵抗はありませんでした。むしろ家内は喜んでおりました。そして、赴任先での生活がはじまりました。所が、赴任してから数年後に私の人生を狂わしてしまう人間が現れたのです。この人間によって私の人生は滅茶苦茶にされてしまったと言っていいでしょう! いまだにこの人間さえいなければ…と恨みに似た感情を持っています。 この人間と言うのは新たに課長としてやって来た大バカ上司です。部下の意見は聞かない所か、ワンマン課長で良く対立しました。仕事の事は全く分かっていないし、とんでもない輩でした。私が転勤してから5年目の出来事です。今思い出しても腹が立ちます。そんな事で、いい加減イヤ気がさして会社を辞めてしまったのです。これが私の運の尽きで、故郷に戻って来てある中小企業に再就職しましたが、阪神・淡路大震災で倒産、その後、ある企業に就職したにも関わらずそれも倒産し、現在に至っています。今は失業中の身であります。もし、あの時、この人間にさえ出会っていなければこんな目にはあっていなかったと思います。 自暴自棄に陥り、自殺願望さえ生まれて来ました。この不況下、年齢等もあり仕事先も見付からず、プー太郎生活が続いています。妻には感謝しています。たまに愚痴などこぼしていますが、看護婦として働いてくれています。年収も当時の約3分の1程度となっています。(離婚されないだけまだましかも?) と言う悲惨な運命を辿る事になってしまった上司との出会いが私の大きな岐路と言えると思います。果たして私は負け犬なんでしょうか? この先、運命を好転させるような岐路に再び立てるのかどうか分かりませんが、1日でも早く定職を見つけることが私に残された道のように思います。頑張ります! 人生の岐路なんて一瞬先に転がってるのかもしれませんね。それが良しにしろ悪しきにしろ…
お礼
yama585さん。こんにちは。 お気持ち痛いほどわかります。私も同じような経験があります。 初めに申し上げますが、私は後悔などしておりません。 あなたは、上司が嫌で会社を辞められた。私は二度目の会社の倒産です。 一度目は、私に社会性がまったくなく、自分から飛び出しました。 二度目も倒産しましたが、きっと同じことだったでしょうね。 話が反れますが、ここOKWeb,gooで、質問や回答させて戴いてるのは、社会の常識を学びたいがためです。 私も一時期プー太郎してました。その間家内はニコニコして働いてくれました。 そんな姿を見てか、会社人に向いてなかったら、自分でやるしかないと、一念発起いたしました。 結果ご覧のとうり、今は幸せです。 超きびしい世の中ですが、頑張ってください。 人によっては、この言葉は使わない方がいいのですが、貴方様は大丈夫、頑張ってください。 思いは、絶対通じます。 貴方様によい岐路が近づいてると、信じております。 ご回答まことにありがとうございました。
koronosukeさん、こんばんは! ○京都へ出張だそうで。気をつけてお越し下さい。 私の岐路は、ずばり留学でしょう。 高校3年生、17歳でした。留学して、その後帰国したらきっと勉強でも仕事でも何でもバリバリこなして結婚なんて二の次、みたいな人生を送るんだろうなあ…なんて思っていたら、あっさり運命の人(夫。)に出会ってしまいました。2週間後にはプロポーズを受けていました。 岐路その2:結婚後、数年間夫の母国で暮らしていました。「日本には、もうきっと住めないんだろうなあ…。」結婚する時に覚悟していたこととはいえ、やはり寂しいものがありました。 当時、私はあるお店でアルバイトをしていたのですが、そこにたまたま来たお客さんと話が弾み、話を進めていくうちに、実は夫の上司の上司のそのまた上司(くどい)だったことが判明。「さっき 君、日本にまた住めたら…って言ってたよね。ご主人は日本勤務を希望しているの?」--その1週間後、主人に日本勤務の辞令が出ました。 私の岐路でした。長々とすみません。 ここでkoronosukeさんにお礼を。実は今日、些細なことで夫とケンカしていたのですが、これを書いていくうちに当時のことを思い出しました。これから仲直りしてきます。ありがとうございました。
お礼
Sweetbeansさん。いつもありがとうございます。 東京○(そのまんまやん)へは、明日からで一泊の予定です。 今日はとなりの、E県のM山へ行ってきました。 仲直りできましたか?ご主人さんは、日本の方ではないんですね。 ご主人さんの方こそ、慣れぬ文化や風土で大変だと思いますよ。やさしくしてあげてください。 留学して、現地でプロポーズを受けられたとか。こりゃあうちの娘大丈夫かな。 岐路その2で、気になりますのは、ご主人様も日本勤務を望まれたのですかね。 なんか、あなたとその上司の方二人だけで、密約が成立したみたいですよ。(笑) 思わぬことで、ご感謝受けまして、この質問立ち上げてyかったなあと思いましたよ。 ご回答まことにありがとうございました。ご主人様にもよろしく!
お礼
RINGO-TAMAさん。こんにちは、 いやあー、運命ですよ。 元の彼氏とは、結局赤い糸は繋がってなかったんですよ。 繋がっていたのは、今のご主人さんだったのですよ。とは、無責任男の弁。 私は仕事の合間に会社を抜け出し、銀○あたりをブラブラしておりました。名目は市場調査です。 同じ会社の女の子と、出会いました。彼女も市場調査とか、(笑) からかいついでに「パチンコいけへん?」と言いますと「うん!」その彼女が今の家内です。 あのとき、無事に高速に乗るってことは、未来えいこうなかったのですよ。 でも、♪人生って~~~、不思議なもので~すねー♪♪ ご回答まことにありがとうございました。