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障害者に対する冷たい態度・冷たい目

障害者に対する冷たい態度・冷たい目 今年から障害者福祉の初級ですが勉強を始めました まだまだ理解できないことなども多いですし、難しいですね。。でもがんばります!将来福祉の仕事につきたいので! 本題ですが、福祉関連のTVを見るようになり、足が奇形児として生まれてきた赤ちゃんのお母さんのお話を聞いて、とても泣きたくなりました。こそこそ耳打ちで話されるのはまだ良い方で、指を指されて笑われる。子供センターなどで他のお母さんから「うちの子に近づかないで!」といわれたりと。。。正直ひどいと思いました! 私も実際に、バス待ちのときに、知的障害らしい女性が前に並んでいて、その女性が、前にいる女性をじーーっと見ていたらしいんですが、突然見られていた女性が「じろじろみてるんじゃねぇよ!」とさけんでどっかに行きました。 確かに気分は悪いでしょうがそこまで言わなくても良いと思うんです。 その場には障害者のお母さんらしき人もいて、「じろじろ見てはダメだよ・・・」とあきらめた口調で言っていました。過去にもいろいろな人からきついこといわれてきたんだろうなぁと感じました。 今の日本て、福祉に力を入れていて、差別をしない、弱い人を助ける、等、障害者の方にも優しい社会に見えるのですが実際はこんなものなんでしょうか?一部の人だけが理解していて、実際は社会に浸透はしていないのでしょうか? だとしたら、その原因はなんなのでしょうか?教育が悪い?行政が悪い?もともと人間は弱いものを差別する種族だから? 色々考えてしまいます。。意見を聞かせてください

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回答No.7

#1、#3です。 #5さんのおっしゃるとおり、小さい頃からの体験が一番なのですが、 現実にはそうはいかないようなんですよね。 先生がどのようにして扱うか? 特別扱いをしていいのか?してはいけないのか? とはいうものの、うちが通っていた時の小学校には、「ことばのきょうしつ」があり、 うちはこちらのほうにも通っていました (小3ぐらいまで、まともに言葉を話せないのにも関わらず、ピアノだけはかなりできた罠・・・) その他、法整備ももう少し障害者を守れるように できないのでしょうかね? 障害者に対する暴言の禁止等は、必要そうですね。 高齢者が増えるってことは、身体障害を持つだけではなく、認知症もそれなりに増えていくはずですから・・・

momoko0
質問者

お礼

またまたありがとうございます 暴言の禁止等。。これは無理かもしれませんね。。なにせ暴言を吐く人は障害者の方とか関係なく吐きますから^^;) 皆さんの意見聞いて、私的には小さい頃から徹底教育で偏見を無くそう! これが1番なのかな?と思いました 認知症。。どうなるんでしょうねこれからの日本。。障害&高齢よりも、破産の心配の方が大きいような。。。 大増税しても、福祉関連に回るのは少しでしょうしね。。。

その他の回答 (6)

  • suzuko
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回答No.6

養護学校教員です。一つ気になったので。 >確かに気分は悪いでしょうがそこまで言わなくても良いと思うんです。 何故ですか? 彼女が知的障害らしい女性だから? 彼女が見た目に障害がなさそうなら、そう言われても良い? それでも、大きな声を出しては駄目? 私が、卒業するまでに子ども達に一番覚えて欲しいことは、社会のルールを身につける事です。社会で生きて行くには、誰もが守るルールがありますよね。時に守れないときもあるかもしれません。その時は、自分なりの謝罪や回避方法を身につけて欲しいのです。それが身に付いていないと、一番被害を受けるのは彼らです。 弱いモノ=障害者と言う図式からは、決して障害者も社会の一員で、共に生きていく存在であると言う意識は生まれないと思います。 きつい言い方ですが、彼らは配慮はして欲しいが、庇護は望んでいないと思いますが、いかがでしょうか?

momoko0
質問者

お礼

>確かに気分は悪いでしょうがそこまで言わなくても良いと思うんです ん~とですね、、見ず知らずの人からジーーーっとみられるのは気分が悪いでしょう。怒鳴るのも無理がないのでしょう。私はその女性の後ろにいたので気づきませんでしたが、その怒鳴り事件?のあとその女性がこちらを向いた時から、目線?というかその態度ですぐに障害を持っている方だと思いました。都会に住んでるもので結構バスや電車でお見かけします。みんな冷たい視線か見ないふりです。かかわりたくないのないと思うならそれでいいと思うんです。でもわざとやっているわけでもないのに怒鳴るのはひどいです!

noname#19260
noname#19260
回答No.5

こんにちは。私が感じるには、幼児のころから一緒に遊ぶのが何よりも一番だと思っています。これに限ると思っています。少し大きくなるまでは違いに気づかないでしょうが、どこかが違う、何かが違う、と何となく気づいて、必要なとき自然と手を貸せるようになる、それ以外は自分と変わらない、恐れる気持ちも見下す必要もなく、そして大人になったときにも自然な気持ちで接する人になるのだと思っています。親が手を貸す後ろ姿を見るのもいいと思います。 中には面白がってからかったりいじめたりする子もいますが、それを見て憤慨する子もいる、そういう子供時代が偏見をなくす過程で多くの子に必要だと思います。 私自身がそうだったので、自信があります。たまたま一緒に遊ぶ機会のある子供だったので、偏見のない人間になることができたのだと思っています。もしその機会がなければ、よく分からない、自分と違うものとして「怖い」と感じる大人になっていただろうと思います。 いち意見でした・・福祉のお勉強、頑張ってください!(*^^*)

momoko0
質問者

お礼

そうですね、小さいときにかかわると違うかもしれませんね。 障害者クラスが小学生の時はなく私は中学に上がるまで、接点が無かったので、障害者クラスを最初はものめずらしく見たいた覚えがあります でも機会がありそのクラスの子と1時間ほどお話ししてから印象が変わりました ありがとうございます ありがとうございます^^

  • lookfor
  • ベストアンサー率25% (52/205)
回答No.4

職場で、身体障害者の部下を持っていました。 小学生の時に、白血病で、片足の切断を余儀無くされ、義足で生活しています。 最初、接し方をどうしようとか、色々考えましたが、案ずるより生むが易しで、結果的には、「普通で良いんだ」と思うようになりました。 2年付き合って、つくづく思ったんですが、「足を切らざるを得ない時の絶望感」とか「再発の恐怖」(今でも白血病の治療中らしい)、「何故、自分だけ」という想い、それら全てを克服し、普通に振舞っている強さに、年齢を超えて尊敬の念を抱くようになりました。今春、結婚しましたが、素晴らしい奴だなと想います。今、パラリンピックをめざして、水泳を趣味にしていますが、健常者である私は、すぐジムをさぼるのに、目標を堅持していることも、強い奴だなと想います。 学んだことは、日本社会は、まだまだ福祉の心が芽生えていないな、自分も含めてですが…ということです。重たい荷物を持ってあげる、少し不便な場所で手助けしてあげる、普通でいいんです。人として、隣人として普通でいいんです。 その部下とよく飲みに行きましたが、色々と教えてもらいました。普段何気なく使っている携帯。「5」のところについている、ちょっとしたぽっちり。これは、視覚障害者のためのものです。こんなこと、恥ずかしながら、何にも知りませんでした。また、「同情も禁物」「興味本位の質問も禁物」。考えれば、社会人として、例えば、子供や奥さんをなくした人に、そのことは触れない、同情しても、実感できないのに不遜であるといった普通の常識とパラレルです。 差別は存在します。自分の心にも、差別はあったでしょう。また、障害者を食い物にする人でなしもいます。障害者の方は、それをよく知っていますし、敏感です。 色々、学びました。問題はシステムなのか、教育なのか、それは、難しい質問ですが、少なくとも、きれいごとではなく、質問者さまのような福祉の仕事を志す方が、差別、偏見に負けない考え方と指導を実践され、障害を持つ人の味方になってあげて下さい。 これから、日本も変わって行くでしょうし、私たちも変わらなければなりません。 障害の程度もあります。働けない人もいます。障害者と人くくりするのは、危険ですし、セーフティーネットも日本は未整備なのに、一律に自立を強制するのも反対です。でも、理念として「共生」は、方向としては、正しいと思っています。そのためには、社会のシステム、教育も変わらなければなりませんね。

momoko0
質問者

お礼

>障害者を食い物にする人でなしもいます。障害者の方は、それをよく知っていますし、敏感です。 とても悲しいことですね。自分たちが騙されやすい人種に入れられてる。それを理解したいしょしていかなくてはならないなんて・・ ありがとうございます

回答No.3

#1です。 以前、書いた質問のコピーですが・・ http://virus.okwave.jp/kotaeru.php3?q=2222213 の#3 ・当初:電車に乗ると「あご」が痛くなった ←6年前より ・それが頭痛になるようになった ・何か?に怖くなるようになってきた ・電車に乗ると意識をほんの一瞬(2,3秒)失って、足に力が入らなくなり倒れるようになった(ある時毎日救急車状態) ・行列に並ぶと倒れる ・他人に触られただけで、無意識に暴力事件になるようになった。(最近は予防してるので解消) ・携帯の「ピピピ」の音や、救急車のサイレン、赤ちゃんの泣き声、犬が吼えることで、いきなり意識を失ったり、倒れたり暴れるようになった(つい最近「ソ」の音と判明)←2年前より  (電車のVVVF音もきつくなって、JR東日本に要望を出したこともあり、常磐線E531系ではかなり静かになっている) 確かに、助けてくれる時もありますけど、そうでない時も結構ありますね。 私としては今好都合なのですが、駅で倒れていても、誰もかまってくれません。 #倒れても、10分~30分あれば自己復帰できるので・・・

momoko0
質問者

お礼

倒れていたら声かけますが、暴れていたら。。逃げます。。。すみません。。。 ソの音ですが4・5・6の3つのボタンですね。とくに5・6 最近はキー操作音を消している方が多いので聞くことは少ないですが、たまに聞きますね。 上記に書かれていること、教科書には載っていません。専攻科目をとっている私でさえ、体験談をお聞きしないと知ることは出来ないのですね。これでは社会に浸透どころか、専門の方のみしか理解が出来ないですね。 おつらい体験なのに、お聞かせいただきありがとうございます ・・・それと、倒れているときは助け求めてくださいね。。。必ず誰か助けてくれます。私は勇気がいるんです。知らない人に自分からこえかけるのは、、^^; さすがにそこまで冷たい国ではないと思いますので、、、

回答No.2

私も理想では障害者に対する差別はなくなったほうがよいと考えています。しかし現実問題として、障害者に対する侮蔑、差別はなくなりません。 今後一生なくなりません。むしろなくなったほうがおかしいと思います。 人にはそれぞれ考えがあって、日本人全員が障害者に対して優しい気持ちで接する、それが極端なら少なくともフラットな気持ちで接するというのはそれこそ異常だと思います。 そういうのが混在するのが聖人君子ばかりでない生の人間が集まって生活する社会なんだということです。 障害者を侮蔑したり差別したりするのは良くないことです。それに心を痛めるあなたは大変すばらしいやさしい心をお持ちです。だからこそ福祉の道を選択したのでしょうね。 でも侮蔑、差別は障害者ばかりではないです。破産をしたといえば「貧乏神は寄るなよ」という人もいるし、伝染病にかかったといえば「病気もちはあっちいけ」という人もいるし、外国人にだって「とっとと国へ帰れ」という人もいる。 逆にいままで侮蔑発言をしていた人が侮蔑されたりする、そういう聖人君子ばかりでない世の中だからこそ現実をしっかりと見据えないといけない。

momoko0
質問者

お礼

確かにその通りです。。。聖人君子ばかりなら世の中犯罪は起こりませんね やはり差別社会だからなのでしょうね。。弱いもの=障害者、と皆思っているのでしょうね。。 ありがとうございます

回答No.1

精神障害者2級のものです。 今の実態として、「見た目だけの」障害者福祉しかできていない感じが感じられますね。 今ようやく、物理的な環境だけはできていても、論理的なケアというのは、実際できているでしょうか? 私も、先々月、携帯電話の着信音で倒れたのですが、携帯電話を鳴らされた人から、こういわれました。 「あんたきちがいだね」

momoko0
質問者

お礼

携帯電話の着信音で倒れられたのですか? 何か特別な音でも・・? 私もその場にいたら不思議?に思うかもしれません ありがとうございます

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