こんにちは。
質問者さんも面白いことに目を付けられるものですね。
まず、どうして穀物なんでしょうか。
>理由はおいしく栄養価が高いからだと思いますが
そうですね。
それと同時に「コストに合った生産が可能で安定供給ができる」というのが挙げられると思います。
先日新聞に「人類最古の作物はイチジクだった」という記事が載っていました。このイチジクは古代小麦の発見よりも何百年ほどか遡り、甘くて美味しくて、しかも「挿し木」などひとの手を加えなければ育てられない品種だったんだそうです。我々のご先祖様というのは、ほんとうに賢いんですね。
動物は与えられた環境の中から自分に食べられるものを見付け出し、そこできちんと生きてゆかなければなりません。これは人類といえども例外ではありませんから、我々のご先祖も様々なものを試し、その中から「食べられる物」をたくさん見付け出してきたはずです。
ですが、「定住生活」というものが始まることによって、そこに新に「栽培できる物」という条件が加わります。幾ら食べられるからといいましても、定住生活を始めてしまいました以上、自分たちの住んでいる土地で育てられないものは諦めるしかありませんよね。ですから、こんどはその条件に従ってありとあらゆるものが試されます。
恐らく、ご先祖様が木の実を試したからリンゴやミカンがあり、豆や瓜を試したから大豆やスイカがあるんでしょうね。それだけではなく、育てられないものは育てられるようにしてしまいました。古代遺跡で発見されたイチジクが改良品種だったなんてのは、ほんとうに驚いてしまいます。
さて、やっぱりご飯ですよね。
我々が穀物から採る栄養は力の源です。更にそれは美味しくて、栽培ができるだけでなく「保存」が利きます。我々のご先祖様はここに目を付けたんですね。中でも、麦、米、大豆、トウモロコシなどといったものは世界中の広い地域で栽培が可能ですので、それは正に人類の生命線として食生活の基盤となったのではないかと思います。
そして、
「必要栄養であり美味しくて」
「コストの合った生産が可能で」
「保存が利き安定供給ができる」
といいました点で、穀物は現在でもその地位を全く失ってはいません。このように、穀物といいますのは「定住生活」「文明生活」「経済社会」の全てを通し、それは常に「人類のご飯」であったわけですね。ですから、このような条件をクリアした上で、それが別な食品にとって代わったり、まして全く新しいものが発見されたりというのは、これはたいへん難しいことではないかと思います。
長い目で見ればこの先そういうこともあるかも知れませんが、もしあるとしますならば、それは人類の歴史上、定住生活以降、未だ起こらなかった「食文化の転換」という大改革になるのではないでしょうか。まあ、そこまで行かずとも、そのようなことは、どちらかといいますれば自然界からもたらされる新たな発見といいますよりは、バイオ・テクノロジーなどの技術の進歩に伴うものなのではないかと思います。
最近では海洋深層水なんてものが新しく売り出されるようになりましたし、アマゾンの奥地には未知の薬草があるのではないかと薬品メーカーが真剣に探し回っているそうです。ですけど、やはり健康ドリンクや薬にはなりますが、さすがにご飯の代わりというのはちょっとないでしょうね。では、バイオ・テクノロジーのような技術の進歩では、我々の「食」に対していったどのようなことが行われるのでしょうか。
ご先祖様がほとんど試しているのですから、食べられるものとそうでないものは粗方判明していますし、その辺のものであるならば、見れば子供でも分かりますよね。まして現在では、食べられるものでも食べていないものはたくさんあります。
牛やシロアリとは違い、我々は草や木を食べてもそれを消化することができませんよね。技術が開発されさえすれば食べられるようにするということは可能かも知れませんが、果たしてそんな技術が開発されるでしょうか。だって、そんな手間隙を掛けたとしましても、経済的にコストが合わなければ意味がありませんし、まして不味ければ最悪ですよね。定住生活が始まってからかれこれ1万年が経っていますが、科学技術の世界では人類の食べるもの探しはまだ続いていますし、恐らくこれからも続けられるものだと思います。ですが、やはり食品としての価値や必要性がなければそれが世に出ることはありません。
また、単に「栄養を補給する」ということと「食べる」ということは意味が違います。科学の進歩によって如何に効率の良い「未来食品」が開発されたと致しましても、錠剤1個で一日終わりでは、やはり私は絶えられません。点滴やサプリメントだけで生命を維持するなんてのもやろうと思えば可能ですが、絶対に病気になりますよね。これは、我々の身体の生理現象は消化器官の運動や満腹感、あるいは食事のリズムみたいなものとバランスを保っているからですね。このため、我々動物にとって「食事」というものが生命活動である限り、そのような急激は変化に対応するというのは、そう簡単にできることではありません。
ですから、基本的には当面、バイオ・テクノロジーなどといったようなものも、やはり既存の生産・供給の効率を上げるために用いられることになるのだと思います。例えば、同じ作付け面積でも高い収穫だとか、害虫に強くて農薬がいらないとか、砂漠に近い所でも育てられるといったものですよね。そして、ここでもやはり、経済性と、何よりも生命線としての安定供給という条件を外すことはできません。このような技術があることによって、我々は山の中に入って食べられる物を探したり、草木を食べるほどひもじい思いをしなくとも済んでいるわけですよね。
ということになりますと、ご質問とは関係ないのですが、やはりここでどうしても出てきてしまいますのは、現在、世界では直ちに解決しなければならない「食料問題」というものが発生しているにも拘わらず、一部の人類は食べられるはずのものも食べないであれこれと贅沢をしているのではないかということです。もちろん、その通りかも知れません。ですけどね、もう今更そんなことを言っても何も始まらないんです。
どうしてそんなことを言うのかと申しますと、食料問題といいますのは「貧困」と「情勢不安」を解決しない限り絶対になくならないものだからです。つまり、我々人類が現在のような経済活動を続けている限り、如何にバイオ・テクノロジーなどを進歩させたとしましても食料問題を解決することはできないわけです。結局、食料問題というのは経済問題なんですね。
ですから、毎日暖かいご飯を食べているくせに偉そうなことを言うな、なんていう堅苦しい議論はまあ取り敢えずおいときまして、せめて貧困に喘ぐ人々がいるということだけは決して忘れずに、心あらば、たまには募金に協力して下さい。我々がひとりの手でできることはそのくらいしかありませんよね。
やっぱりご飯です。こう考えますと、あり難いことですね。
お礼
詳しい回答ありがとうございます。 私たちが今の食生活を営んでいるのは、 栄養、おいしさ、栽培等、さまざまな要因が 重なり合っての事なんですね。 食料問題も最も生活にかかわることなので、 早く解決策が発見されるといいんですが、 まだまだ難しというのが現実かもしれません。 自分も含め、多くの人が意識を持つことが大切 ですね。