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自分の過去を肯定するには
自分の過ごしてきた人生にあまり自信が持てません。 大学時代に所属していたゼミは卒業論文を公開していますが、出来が良くないので、公開しないで欲しい旨を教授に伝えたところ、出来れば公開したままでいて欲しいと言われました。 今大学院にいるのですが、その人たちに見られると思うと、気が気ではありません。出来が良くないので。 気にしすぎだという人もいますが、どうしたら、気にしないようになりますか。 次のレポートの課題についてネットで検索する人がいるとしたら引っかかってしまうと思います。それが嫌なのです。 まあ、レポートを真面目にやるには本の資料にあたるはずですが、自分の出来の悪い論文が知り合いの目に触れるのが嫌なのです。どのように教授を説得したらいいですか。 あるいはどのような気持ちの持ち方をすれば気にしないでいられますか。
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eulenspiegel 様 よろしければ参考にしてください。 自分も似た体験をしています。それは、学生時代にとある学会の学生会員になりました。そこで、学会誌に研究イベントの感想文を寄稿して欲しいと言う事で、しぶしぶ書いた事があります。約5年前のことですが、現在もインターネットで公開されています。 そのときは、正直一生懸命書きました。少しわからない言葉があろうとも、その時のできる限りで書いたつもりです。しかし、いまでも読み直すと、文章はめちゃくちゃだし、恥ずかしい気持ちでいっぱいです。 最初は、えー、あんな文章がネットにまでのっちゃってどうしようかと思いました。でも最近は違います。すこし考え方を変えたのです。これはちょっぴり時間と知識が必要です。でも、質問者様は知識の部分についてはクリアされていると思います。 方法というか気の持ち方です。あの時は、あのレベルだったんだ。でも、いまは、自分の書いたものについて自分で批判できて今の意見を自分で言える、自分自身進歩しているんです。だから、不安になっていても、もし、人に何を言われようとも、今は違うよと言えるでしょう。その気持ちがあれば大丈夫だと思いますよ。 頑張ってくださいね。
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- aoki_momoto
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未完のままでは心に残ってしまいますよね。 もし余力があれば、改訂版か、あるいは著者コメントを書いて、それも一緒に公開してもらってもいいかも知れませんね。 それより、実は、問題は卒業論文よりも、『自分の過ごしてきた人生にあまり自信が持てません』なのでは? すなわち、あなたが振り返ってみて、中途半端なままなのは卒業論文だけじゃなくて、これまでの自分の人生・・・なのでしょうか? もしそうなら、そこから目を逸らすよりもむしろしっかり自分で受け止めて、これから気持ちを入れ替えて頑張るのが最良の解決策ではないでしょうか。 どんな経験も、必ず社会に出てから役立ちますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 >それより、実は、問題は卒業論文よりも、『自分の過ごしてきた人生にあまり自信が持てません』なのでは? そうかもしれないですね。そこまで充実した大学生活を送ってきたわけではないので。 やっぱり自分が頑張っても上手くいかなかった過去の姿を知り合いにはあまり見られたくない、知り合いに知られると恥ずかしい、という気持ちがあります。 今はそれなりに頑張っているとは感じていますが、だからといって過去のことを見て、恥ずかしいという気持ちはなかなか消えません。 なかなか気持ちの整理が難しいですね。
- gardenparty
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もしかしたら、eulenspiegel さんは、ご自分で思っている以上に、向上心が強く、完璧主義な方なのではないでしょうか?その卒業論文、いい加減な気持ちで終わらせて提出したのではないと私は想像しています。提出した瞬間まで、これが自分の限界(持ち合わせている時間と自分の能力の限界)と思って提出されたのであれば、少ししてから「出来が良くないから公開しないで・・」と思い悩むことは決して悪いことではないと思いますよ。突き詰めて考えている、つまり、真剣な証拠です。私もジャンルは違いますが同じでした。学生時代も社会人になってからも提出したものに対して満足感は少しの時間しか持続せず、すぐやり直したいという気持ちでいっぱいになっていました。なんでこれしかできないんだろうかと自己嫌悪したり。人に見せられるものではなかった・・なんて思う。でも、これがバネなんです。つまり、現在の自分が作り出したモノを否定する気持ちがないと更に良いモノって出来ないんですよね。卒論に自信を持つのは良いことだと思いますが、満足だけで終わってしまうのは先がない。自分の中に人より強いバネがあるんだと思っていいと思いますよ。提出した瞬間からどこをどうすれば良かった・・と分析出来てる証拠です。どんどん自分の限界を塗り替えていってください。人よりそれが出来る素質があると自信を持ってください。社会の中に飛び込ませてしまった自分の作品は戻せません。でも評価されるのは一度きりではないから大丈夫です。だんだんと洗練されてきて今感じているバネは緩やかなものになってくると思いますが、死ぬまでバネは持ち続けたいものですよね。
お礼
お返事ありがとうございます。 ここでまとめて返事をさせていただきます。 卒業論文は適切な言葉が良く判らなかったので、 保留にしていた言葉を使っていたのですが、 適当な言葉がわからないまま、 終わらせてしまったので 意味不明な文章になってしまったんですよね。 それが嫌で嫌でしょうがないんです。 なんとなく、言いたいことがあったので内容を先に書いてから冒頭を直そうと思っていたのですが 冒頭を適切に表現することが出来なかったのです。 悔しいというか、情けないというか、 恥ずかしい気持ちがあります。 それの気持ちと上手く向き合いたいです。
- katyan
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たぶん同じような内容ですね。みんなあなたと同じ気持ちじゃないかな?いいじゃない。どうせ本気で書いたのではないのでしょう? 過去を見て歩く必要はありません。過去を見るならこれからいろいろな経験がありますよ。そのたびに見ないでください~と言えますか? 人の長所は色々あります。短所をみない。きりがないよ 自信が持てません。というのは自分を知っている証拠 どのようにすごしてきたのかわかっている証拠、これから何をすべきなのか知っていますよね。 だから恥ずかしがらない。いい思い出だ
- 007_taro
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自分の過去は、自分のその時その時の状態が重なり合ってできています。いきなり分厚いものが乗っているわけではありません。 論文も、大学を卒業するときの力量は、良くも悪くも有りのままが載っているものです。あなたの過去を変えられないのと同様、隠しも変更もできません。 自分の過去を、ありのまま自分の歴史として取り込むのは、実は大変なことです。たまには塩味を効かせすぎて嫌になったり、甘い砂糖を振りかけて取り込んでいたりします。でも、どんなに塩を効かせていても、砂糖を乗せていても、事実は変わりません。 ありのままを取り込むには、少しづつ少しづつホコリを拭いながら取り込むしかありません。そして、自分の今の姿を確認しながら、進むしかありません。 それは辛いでしょうか? でも、それによって未来は変えられるのです。過去は変えられないけれど、未来は変える余地のあるものです。今、大学院で頑張っているのであれば、提出する論文は前よりも良いものを書くために努力をすれば良いではないですか。 人間は皆、他人の人生はすごいと思い、自分の人生を比べがちですが、どの人の人生も振り返れば、ドラマは必ずあるのです。最終的に自分の人生を偽らずに、自分の歴史アルバムに均等に思い出を貼り付けられれば、上出来なのではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 自分も一生懸命やったつもりだったのに、出来が良くなかったので、とても恥ずかしいです。レポートの情報収集をネットでした場合(もちろんネットではなく、信用のある本・論文集、大学の先生が書いた論文集を見るとおもいますが)、知り合いに見られる可能性があるので、、、。 自分の過去のことを他人に評価されると思うと落ち着かないです。まあ、見るのもめんどくさいと感じて見ないか、あるいは、「何だこれ、わけわかんないな」って終わるかもしれませんけど。 今の自分は昔とは違うとは思いますが、個人的にはやっぱり過去のことは思い出したくないです。 早く他人に知られても平然としていられるようになりたいですね。