池波正太郎の言う《一刻》とは?
池波正太郎の言う《一刻》とは?
鬼平、仕掛人、剣客、大好きです。
このシリーズは全部読んだと思います。
で、池波作品を読んだことのある方はご存知だと思うのですが
池波正太郎の作品には、「一刻」という時間の単位が度々出てきますよね。
「一刻(二時間)ほどすると……」というような使われ方をしていて
大抵はカッコで二時間とわざわざ書かれています。
それを読んで、私はずっと「一刻って二時間のことなんだ」と思っていました。
ある時ふと思い立って、手持ちの電子辞書で「一刻」を引いてみたところ
「一刻」=「昔の一時(ひととき)の四分の一。約三〇分」(広辞苑より一部引用)
あれ? 違う。一時間半多い。と思ったわけなのです。
気づいた時は、何だか巨匠に騙された気がしてガックリしました。
ていうか、巨匠が「一刻」という言葉を認識違いしていたのかとビックリしました。
池波正太郎は「一刻」を「一時」として使っていたのでしょうか?
もしかして池波作品の「一刻」は「いっこく」ではなく「ひととき」と読むべきなのでしょうか。
まさか本当に認識違いということはないと思います。校正も働きますし。
表現は自由ですので、意図的であるならば、それで構わないと思うのですが、何やら紛らわしいです。「一刻=二時間」と勘違いしてしまった馬鹿がここに一人いるわけですし。
池波正太郎は、何故このような表記の仕方を続けたのか疑問です。何かこだわりがあったのでしょうか?
どこかで言及していたりしませんか?
何かご存知の方がおられましたら、三年くらい勘違いし続けてしていた私にぜひご教授お願いします。
大したことじゃないと思うのですが、妙に気になって仕方がないのです。
ちなみに名前は敬称略させて頂きましたので、ご気分を害された方は申し訳ありません。
お礼
ありがとうございます。 すっきりしました。