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臓器提供がいやな理由って何ですか?
私は臓器提供意思表示カードで全部提供としています。 死んだら肉体は不要なので、あげれるものは全部あげればいいと思うからです。 また、死亡かどうか議論になるような状態なら、もはやいきたくないので、死亡でいいですよ!て感じです。 しかし、中には臓器提供したくない人もいるようです。 しかし、なぜしたくないのか私にはわからないので、したくない人はなぜそう考えるか教えてください。 検索した中では、 研究のため別の目的で利用してほしい。 人は臓器提供してまで生きるべきではない。 肝機能障害など、どうせ使い物にならないから。 などがありました。 ではよろしくお願いします。
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- gacha05
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私は臓器提供はしません。 なぜならば、ドナーカードを持っていると、緊急救命医療が手抜きにされるからです。 これは、今までの日本の移植手術の歴史からも明らかなことです。 交通事故などで意識不明の重態になったとします。 ドナーカードを持っていると、「この人からは臓器が取れるぞ。早く脳死になあれ」という気持ちで処置されてしまうのです。つまり、瀕死の人より、臓器移植を待っている人の命が優先されるのです。 そうでなくても、脳死判定は難しいものです。 ヤブ医者に当たれば、脳死でないのに脳死にされてしまうかもしれません。自分が万一のときは、せめて信頼できるお医者さんを指定して、責任を持って判定してほしいと思いませんか。そんな制度さえ整っていないのに、臓器だけくれなんて、おかしいと思います。 いちど下記の本をお読みになってから、お決めになることをおすすめします。
- myau_256
- ベストアンサー率25% (126/495)
こんにちは(^^ 私はドナーカードを持っていて、もし脳死状態になったら、使える臓器はすべて役立てて欲しいと思っています。 個人的にあまり宗教観を持っていないというか、死後うんぬんの考えは念頭にないですし、むしろ死にゆく自分が、他の方に対して最後のお手伝いができるという点で、臓器提供を望ましいと思っています。 ドナーカードについて思うのは、運転免許証や健康保険証などに記入欄を設けるなどして、国民全員に行き渡らせるくらいでもいいのでは? ということです。 そうすることで移植医療や脳死について、もっと一般的に話題とする機械が増えると思いますし、臓器提供を希望しないなら、「臓器提供しない」を選べばいいのですから。 現状では、小さい子供の臓器提供が認められていないこと、大人でも国内の臓器提供があまりにも少ないことなどが原因で、外国での移植を余儀なくされている人が何人もいます。 そういう人たちを助けることを、外国に任せきりで、果たしてよいのでしょうか。
- 555imp
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確か二十歳で腎臓バンクに登録したのが始まりだったと思います。今は臓器提供意思表示カードを持ち、脳死判定後全ての臓器を提供するに丸を付けています。 ろくなことをしてこなかったので、せめて死後誰かの役に立てればと思っています。 脳死状態で生かされ続け、残された家族の負担になるのは嫌です。自分の家族がそうなった場合でも即日で決心するのは難しいでしょうが、決断はすると思います。 知人とたまたま臓器提供の話になった時、「臓器がないとあの世で苦労する」と言ってました。「何で知ってるんだよ!? 見て来たのか!?」と言いそうになったのをグッとガマンしたのは言うまでもありません。
- bun-bunbun
- ベストアンサー率21% (81/377)
50代後半の主婦です。 私はドナーカードを持っています。 脳死した瞬間から体じゅうの器官を全て使ってほしいと思うし、そう表明しています。 しかし、主人はいやなのだそうです。 その理由というのが、「喜ぶ人の顔をみられないから」なんだそうです。全くもう(笑 感謝されたいわけではなくて、そっと物陰からでもその「移植を受けて助かった人の顔を見たい」のだそうで。 つまり自己満足ですね(笑 自分が死んでしまったのでは、それを見られないので「NO」なのだそうですよ。 こういう人もいるということで。
- mikacho
- ベストアンサー率9% (3/32)
私は、まだ決めかねている状態です・・・ 死んだら肉体が不要なのも、必要としているひとがいることもすごく理解はできるのですが。。。 一方で、ちゃんとした体で焼かれたいなとも思うし、 そこまでして人間が生きるべきなのかわかりません。 ただ、自分の子供が臓器移植すれば助かる!!という状況になったら、臓器提供賛成になると思います。
自分は、まだ決めかねています。 まず、自分が臓器移植が必要になったら、臓器移植を待つでしょう。また、そういった人がいるなら、単純に力になりたと思ってます。 ただ、自分は死ぬからなんともないのですが、家族が大変だと思います。そこがネックであり、そこを考えると、自分にはまだ臓器提供することに賛同できません。 命は不平等です。餓死する人間もいれば、 臓器提供で手術を受けれる幸運な人もいます。 現在、科学の進歩により医療はとても進歩しました。 昔だったら、死んでいた人間も現在は生きることが出来ます。それは、賞賛すべきことですが、 自分は遺族のこと(自分の家族)を考えると、 そこまでは、できないのが現在の自分の考えです。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
私は提供しません。 第一に、なぜ「なぜしたくないのか判らない」と言う疑問を持つのでしょう。 逆に言えば、今の風潮が自由だと言いながら「スルのが当然」という方向にだけ進んでいる事に懸念を持っています。 第二に、「死んだら不要だ。死亡かどうか判らないなら」と言いますが、命あるもの、生ける時に生きなくていいなんて思っている肉体はありません。しかも、提供するまでの間、貴方は活かされ続けるのですよ。 第三に、貰って当然みたいな人にあげたくありません。別に私に感謝しろというのではありませんが、多くの人達は(特に海外での様々な文章を見ると)提供者も「新しい肉体で活かされている」。被提供者も「新しい命(光、その他)を頂いた」という気持ちがあるようです。しかし少なくとも今の日本ではその様な気持ちは微塵も感じません。生命の尊厳を尊ばない社会に私の尊厳は提供しません。
- production
- ベストアンサー率18% (6/32)
少なくとも、僕は今の状態ではドナーには賛成しかねます。 なぜなら、「親からもらった体を、自分一人の考えで傷つけるべきではない」と考えるからです。 それに、自分が知らない、実感できないところで自分の体が切り刻まれたりするのは、何度考えても怖くて怖くて仕方が無いのです。 しかも、遺された家族はその決断をしなければいけない上、その瞬間を見なければいけないのです。 いくら助かる命があるとはいえ、それによって僕の知っている人たちが、たとえ僕がそれを知ることが無くても、悲しんだり、辛い思いをするかもしれないのならば、やはりドナーには登録したくないです。 まぁ、そうは言ってもまだ10代の若輩者ですので、これから先、死ぬまでに考えが変わる事もあるかもしれないし、或いは死ぬ瞬間になって何か別の考えに達することもあるかもしれないので、あくまで今この心境での考え、って事でお願いします。
- プラチナ エンゼル(@platina-angel)
- ベストアンサー率51% (252/491)
お求めの答えとは違いますが、臓器提供カードを持っています。 骨髄バンクにも登録していますが、これは特に問題なく、臓器提供が問題?になっています。 それは親が(娘の私の)脳死状態での臓器提供を嫌がっている為です。 心臓死なら良いけれど、脳死だと(本当は努力すれば助かるかもしれないのに) あっさり救命処置を諦められてしまいそうな気がするからだそうです。 親などの身内の署名欄がありますので、結局心臓死での提供に○をして、持っています。 臓器提供をしたくない場合は、臓器提供カードの「私は臓器を提供しません」に ○をして持っていれば良いですので、ある意味、国民全員が持っていてもいいのかもしれませんね。 確か米国では、運転免許証の裏が臓器提供カードだと聞きました。 露骨ですけど合理的で、免許を持っている以上、臓器を提供するような羽目になるかもしれない、 という自覚にもなりますね。 日本でもID(運転免許証に限らず)の裏に、そうした意思表示を出来れば、 臓器提供したい人、したくない人、どの臓器なら提供しても良いか、 脳死状態での提供拒否、等を示すことが出来ますので、国内での臓器提供も もっと増えてくるかも知れません。 一応、回答としましては、死んだ後に角膜を提供してしまったら あの世?で目が見えなくなる、という迷信を聞いたりするからだと思います。 あの世?では、障害も何もなく皆自由に過ごせるのが天国だと思いますので(笑) おかしな迷信でしょうけれど。
- tetoracyc
- ベストアンサー率26% (16/60)
「臓器提供してまで生きるべきではない」という点でしたくありません。 仮にある人が臟噐移植をしなければ余命いくばもない状態に置かれたとしたら、それはその人の運命ではないかと自分は認識しています。 酷なようですが、それが自然の摂理じゃないでしょうか。 他の生き物だってそうです。 人間はいつかは死ぬわけで、それが早いか遅いかということなだけだと思います。 もしドナーの方がいても、金銭的な問題で手術をうけられない人もいます。 また臟噐移植が必要な疾患でなくても、 お金がなくて十分な治療が受けられず亡くなっていく方も多くおられるはずです。 「高度先進医療」の花形である臟噐移植だけが、こうしてクローズアップされるているのを見ていると、 どうしてもそういった奇麗事のために自分の身体が使われるのには不信感があります。 「臟噐移植は神の領域に足を踏み入れている」という理由も然りです。 一般的な外科手術などは、要するに自分が生まれながらにして持っている自分の身体を削って生きながらえるわけです。 しかし他人の身体から臓器を持ってくるというのは、全く異なる次元のことだと思います。 移植を待つ患者の身になってみないと分からないじゃないかと言われる方もおられるかもしれませんが、 僕は自分や自分の家族がそういう立場になっても諦める覚悟は出来ると思います。 もちろんすごく辛いとは思いますが。。。