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臓器提供がいやな理由って何ですか?
私は臓器提供意思表示カードで全部提供としています。 死んだら肉体は不要なので、あげれるものは全部あげればいいと思うからです。 また、死亡かどうか議論になるような状態なら、もはやいきたくないので、死亡でいいですよ!て感じです。 しかし、中には臓器提供したくない人もいるようです。 しかし、なぜしたくないのか私にはわからないので、したくない人はなぜそう考えるか教えてください。 検索した中では、 研究のため別の目的で利用してほしい。 人は臓器提供してまで生きるべきではない。 肝機能障害など、どうせ使い物にならないから。 などがありました。 ではよろしくお願いします。
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- tacca
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以下の文は「脳死は人の死か?」という質問に対しての私の答えです。こういう理由で私は臓器の提供をしたいと思っていないのです。 1、人の死だとは思いません。 2、脳死では、駄目です。心臓死で使えるものがあれば使ってください。 文献が手元にないので、きちっと書けないのですが、以前四国で脳死状態の40代の女性から臓器を取り出すために、、無麻酔でメスを入れた所、血圧が急上昇し、激しく暴れたためあわてて麻酔を打って臓器を摘出したそうです。脳死患者が動くのは、ラザロ反応という条件反射だとの説明がありますが、人間の脳のことは、いまだ解明されていない未知の部分がほとんどなのですから、脳死者は痛みを感じないと断言することは出来ないのではないだろうかと、常日頃思っています。 脳が損傷を受けて、救命を目指す場合に体は温めて血液を循環させ脳は冷やすというのが、無事生還できた効果ある治療として報告されているそうです。 ところが臓器の提供を目的とする脳死者の場合にはその反対で、体は冷やして臓器をフレッシュに保つことが重要な処置なのだということで、脳死と判定されるや否や、生還とは正反対の措置がとられるのです。 助かるべき患者として処置を受けていた人間が、臓器提供を申し出ていたため、脳死判定された一瞬を境にして、臓器を新鮮に保つための処置を施される物体として扱われるというのは言葉がきついかもしれませんが、実際だと思います
- maji_ko
- ベストアンサー率0% (0/0)
脳死段階では臓器摘出に痛みを感じます アメリカでは臓器摘出時に「死人」がジタバタもがくため麻酔を打つことも多いそうです またアメリカでは心臓移植の場合、被移植者の人格が変調してしまう例が多数報告されています 人は脳死段階ではまだ生きています 脳死後子供を出産した例や脳死状態で数年間生き続けた例も報告されています 古来より死者を葬るのは死後一日以上空けていました 昔は土葬が多いですが火葬の場合も焼くのは死後一日以上経ってから行っていました(現在でもそうです) 古今東西、国・民族・宗教が異なってもこの点が共通しています。ということは「本当の死とは心臓停止後一日以上たった後である」というのが人類共通の知識なのではないでしょうか また死んで後魂が身体を抜け出すのにある程度の時間が必要だという話を聞いたことがあります それ以前に身体にメスをいれられると生きている人が身体を麻酔無しで切られるのと同じ苦痛を受けるそうです 死後の世界は検証不可能のためマスコミ、医者、宗教家、伝承。。いずれの意見を採るにしてもそれは「信じる」ことに他なりません 自分の「信じて」いるものが信じるに足りるかどうかは実際に死んでみなければわかりません。そのときになって後悔しないようにしたいものです
お礼
脳死判定によるものも、心停止後もどちらもいやだと言うことでしょうか。 以前にわとりの首を切ったのを見ましたが、切った後しばらく暴れていたので何かあるのでしょうね。 痛みを伴うと言う根拠はありませんが、万が一痛いといけないので、カードに麻酔を打ってくださいと書いておきました。打ってくれるかわかりませんが。
- eteled
- ベストアンサー率34% (36/103)
臓器提供意思表示カードで「提供しない」で持っています。医療について私は慎重でありたいと思っているので 高度最新医療には疑問があります。 移植自体、自然なこととは思えないというのがあります。 臓器提供、脳死についてはまだ勉強不足で本当の ところがわからないので、これから調べてみようと 思っていますが..臓器提供に疑問を持っている人達が いるということで私は今はすべきではないと考えています。 今のところ理由は以前、本で読んだのですが提供希望者の状態が予断を許さない状態に陥った時、提供しない人へ行う救命措置と違って提供希望者の場合には簡単に済ませる とあったからです。 移植後拒絶反応が出るかもしれないという「やってみな いとわからない」というのはいやです。 外国では移植回数が減ってきているとも本にありました。 脳死はすでに死んでいることだと思っていたんですが 脳死は死ではないという意見もあり、脳死状態で出産した 女性もあるそうです。 立花隆さんが脳死について書かれている本があるのです が私はまだ読んでませんが彼は「近い将来、確実に死ぬ ということと、すでに死んでいるということは全く 別のことで、その人が死ぬのが確実だからその人を死んだ と扱って良いというのはおかしい」と言っています。 彼の本に対し反対意見もあるようですが。 昔、知人に「もし友達が自分の臓器で助かるという場合、 提供するか」と聞かれました。(私自身は人の臓器をもら って生きたいと思ってもいない)その人がなぜ臓器をもら ってまで生きたいのかをじっくり聞いて納得出来たら 私は提供してもいいかもと答えたことがあります。 人は生きる時間って長さじゃないと私個人は思っていて 短くてもそこにいたこと、終えたことが大事なのではない かと思っています。でも実際、臓器が必要な状況に自分 がならなければわかりませんが。20才以下ならどう思 うか自分でもわかりません。 先日、テレビで臓器提供を呼びかけた少女がインタヴュー で「それでも生きたいの!」と訴えたのには複雑な思い がしました。 「脳死」という判断が解決しても1%の可能性にかけたいと願う人がいて手術したい医師がいる。難しい問題だと思います。
お礼
脳死は微妙なところですから、慎重にいきたいのですね。 わたしは、あまり生に執着はありませんので、少なくとも自分は脳死の段階で死亡でいいと思ってますが。 参考になりました。
補足
心臓停止した死後はどうでしょうか
脳死は人の死であると思いますが 今の判定基準が適切なのかは疑問です というより医者でも学者でもないので判断できないのですが、 死んだら肉体はいらない だから切り刻んでも構わないってのは あまりにも短絡的な思考ではないでしょうか? 死亡確認後 24時間を経過しなければ火葬も埋葬も出来ないはずなのに それ以前に臓器を摘出してもよいと考えるのはおかしいです、 それに臓器売買や その為の殺人に繋がる恐れも考えられます 金のためなら人の命など何とも思わない人は 現実にいますからね。 ただし 角膜と腎臓の提供はありかな?
お礼
海外では普通に人身売買がありますから、心配がないとはいえませんね。 >ただし 角膜と腎臓の提供はありかな? 心停止後なら考える余地はあると言うことでしょうか。
- ozisan
- ベストアンサー率11% (154/1339)
私も持ってます。 私は、脳死は人の死と認識しています。 脳死と認定され、私の命と引き換えに誰かが助かるのならなんでも提供いたします。 反対される方は、献血も輸血も反対されるのでしょうか・・・ 夫婦で話し合って決断いたしました。
お礼
エホバの証人は血も反対ですが、臓器移植反対でも血は賛成と言う人がほとんどだと思います。どこかの書き込みで、それを言われると痛いのだが・・・とありましたね。 血は抜いても回復するのからいいのかな?なんて思いますが。 ありがとうございます。
- skbler
- ベストアンサー率9% (69/691)
残された遺族が世間から批判に晒されることを避けたいからかと思われます。私は遺族にすべてを託します。臓器提供意思表示カードを所持していません。 もしも私が臓器提供して焼かれた際には、「オレは好きにしてくれ!と託してあるから、どうか妻や子どもを攻めないでやってくれ!」と地獄から見守ってあげたいです。 「臓器無しで天国に行かせるのも可哀想…」という人もいるようです。「むごいことするのう…」とも。
お礼
あえて、残されたものに選択させるためですか。 >「むごいことするのう…」 死体を焼くこと事態けしからんと言う文化もあれば、焼くのはいいけど一部切り取るのは駄目と言うのもあれば、自分のように死んだらもう全部いらないなどいろいろ考えがあるものですね。 ありがとうございました。
- Diogenesis
- ベストアンサー率49% (859/1722)
私がドナーカードを持たない最大の理由は 日本の医学界に対する不信です。 日本の移植医療の進展を遅らせる元凶となった38年前の「事件」は 一部に疑念を抱いた者がいたにも関わらず, 医学界内部のかばい合い体質の中でうやむやにされてきました。 当事者たる外科医はその後も権威であり続け,傲慢な発言を繰り返してきました。 まさに「白い巨塔」の世界です。 この「事件」について御存じないようでしたら,次の本を一読なさることをお勧めします。 凍れる心臓 http://homepage1.nifty.com/hint-yf/B_korerushinzo.htm このような医学界の体質は基本的に今も変わっていないと感じます。 個々の医師を信頼することはできるとしても, 医学界全体を全面的に信頼することはできそうにないのでドナーカードは持ちません。 ついでながら こんなカードを発行している団体があることも知っておいてください。 ノン・ドナーカード http://www.oomoto.or.jp/Japanese/jpBiet/ndc.html
お礼
不信ですか。たしかに、そのようなことがあると不安もありますね。 臓器提供意思表示カードには、 3、私は臓器提供しません と言う項目がありますが、これでは事足りないと言うことでしょうか?
- natu77
- ベストアンサー率30% (408/1342)
他の人の体の中で、生き続けるというのが嫌だから。 人間として生きてきて、もしも本当に霊が存在していたとして、体の一部だけがこの世に生き残っていたら、成仏出来なさそう・・・。 人間として、生存が出来ない状況なら、行き続けて欲しいのは、自分の遺伝子を持った子供だけ。 それ以外は、全部一緒に極楽浄土に行きたい。 これが自分が嫌な理由。 後、家族に決断さすのも嫌。 まだ温かい体から、一部を取り出すことで、確実に死ぬ訳で、これが我が子だったらたまんない。 と言う事は、きっと私の家族もそんな思いにさいなまれるかもしれない。 そこまでして、自分の一部がこの世に残されるのが嫌。 死んだら、きれいさっぱり焼いて、お骨になって忘れ去られる方が私はいい。
お礼
そういう考え方もありますか。 参考になりました。
- spiko14
- ベストアンサー率21% (237/1099)
それは本人が「いやな理由」ってことでしょうか? 私のイメージですが、「遺族の反対」って結構大きいんじゃないか・・・って思うんですよね。生きている人間からすれば、いくら死人でも身内にメス入れて中身取られるのはいい気がしないのでは?(でもどうせ最終的には燃えてなくなるのに) 私自身はカードを「全部提供」で持ってます。 死んだ後でも役に立てるのなら、それに越したことはありませんからね。痛くもかゆくもないでしょうし。 しかし、それをもしダンナが・・・と思うと正直複雑だったりします。まだまだ日本人には合理性が浸透していないってことでしょうか。 それが普通になるには、時間がかかると思います。
お礼
私と同じようなお考えのように思います。 ただ、やはり残される側とすれば複雑な思いはするでしょうね。 ありがとうございましした
補足
遺族の反対は大きいでしょうけど、まあそれは置いといて、本人がいやな理由です。
私は、こういう臓器提供カードというのは、自分が生きているうちに、自分の親しい人などに生死をさまようような状態に陥ったときに、自分の臓器を提供することに同意するものだと思っていました。 死後の臓器の提供に同意することを示すカードなのですね。私の場合はそういうことで、解釈が正しくなかったことによります。 ならば、即O.K.ですかといえばわかりませんが、もう少し制度の内容を理解したうえであれば前向きの行動が取れるのではないかと思います。 なんとなく、臓器提供という言葉だけを聞いて敬遠する人もいると思いますが、昨今、難病を抱えた子供が日本では法的に認められないために、アメリカに渡って臓器提供を受けるという例を聞きます。日本国内での手術に対する制限もあるし、臓器提供に対しての理解、浸透度がまだ低いことが、臓器提供したくない人が多いことの一因になっているのではないかと思います。
お礼
そういう解釈もあるのですね。 実際自分も調べるまで何なのかよくわかりませんでしたから、情報がいきわたってないのもあるのでしょうね。
お礼
やはり、脳死は微妙なラインですね。 ちなみに、わたしは脳死もOKです。 ありがとうござしました。